第15話 明菜の心境
休日の思いがけないタイミングで明菜と出会ってしまったミコト。まさか、隣町のデパートで遭遇するとは思いもしなかったのだ。
「蜂谷先生。こんにちは。私たちは一緒に買い物をしているんです。先生も買い物に来てたんですか?」
絵麻は笑顔で明菜に話しかけた。当の明菜は、ミコトと絵麻が一緒にいるのを見て少し放心状態になっている。
「あ、ああ。そうだな。ちょっと推している作家が新刊を出したから、それを買いに来たんだ」
明菜はバツが悪そうな顔をしている。明菜の視点では、ミコトと絵麻がデートをしているように映っているのだ。学生同士がデートしている場面に、教師が邪魔をしている。そういう気まずさを明菜は感じている。
「あの……蜂谷先生。その……」
ミコトは明菜になにか声をかけようとしたが、なんて声をかけていいのか思いつかなかった。でも、折角会えたんだからなにか声をかけたい。その一心で必死に言葉を絞り出そうとする。
「偶然ですね。先生もよくここに来るんですか?」
ようやく出てきた言葉がそれであった。特に当たり障りのない言葉だ。
「ま、まあな。ちょくちょく利用させてもらっているよ」
明菜の心はここにあらずといった感じで、どうも落ち着かない様子だ。ミコトも普段の明菜と少し様子がおかしいことを感づいている。
「そ、それじゃあ。私はこれで退散するよ。2人の邪魔をしたら悪いしな」
そう言うと明菜はそそくさと逃げるように本屋から立ち去っていった。
「あ、先生……」
ミコトは明菜を追いかけようとしたが、今日は絵麻と約束をしている日だ。絵麻を置いていくことはできなかった。
「あはは。2人の邪魔しちゃ悪いだってさ。蜂谷先生。私たちのこと恋人だと思っているのかな?」
「い、いやそんなことは……ないと思う」
ミコトは少し複雑な思いを抱えている。明菜と会えたことは嬉しかった。けれど、それとは別になにか言いようがない不安みたいなものを抱えている。明菜はどうして、自分たちから逃げるように逃げてしまったのだろうか。その疑問がミコトの頭の中でぐるぐると渦を巻いている。
◇
女子トイレの個室で明菜は1人。息を切らしていた。ここまで走ってきて疲れたのだろう。明菜はバスケ部の顧問で同年代と比べたら運動する機会には恵まれている。しかし、それでも全力で走れば息は切れてしまうのだ。
「な、なんで宮垣が……藤林と一緒にいるんだ」
ミコトが同年代の女子と一緒にいる。それはごく当たり前のことであろう。高校生ならよくあること。特に付き合っていなくても、男女が一緒に出掛ける。そういうことは明菜だって経験してきたはずだ。なのに、明菜の心は締め付けられるようなそんな思いだった。
ミコトと絵麻は同じ部活の友達同士。仲が良くても不思議ではない。現に美術館の時も、絵麻はミコトについてきた。その時は、明菜はミコトに対してそこまで思い入れはなかった。生徒より上の感情は抱いていなかったから特に思うことはなかった。
けれど、今は違う。明菜はミコトに対して、生徒以上の感情を持ってしまっているのだ。その正体が恋心かなにかはわからない。けれど、ミコトは明菜にとって欠かせない存在になっている。
少なくても、女子と2人きりで一緒にいるところを目撃すると嫉妬してしまうほどの感情を。
「やっぱりあの2人。仲が良すぎるよな……」
ミコトは年上が好きだと言っていた。けれど、絵麻の感情はどうかはわからない。ただ、明菜の女としての勘が告げている。絵麻はミコトのことが好きだと。
でなければ、あんなにおめかしをする必要はない。それに絵麻のあの楽し気な表情は学校では見たことがない。あれはミコトと一緒にいられて嬉しいという感情がにじみ出ているものだ。そういう状況証拠から見ても、絵麻はミコトのことが好きなのだろうと明菜は推測する。
「違う。関係ない関係ない。宮垣が誰と付き合おうとそんなことは私とはなんの関係もないじゃないか。私だって、宮垣と付き合っているわけじゃないし。そもそも、教師と生徒がそんな関係になるのはよくないことだし」
明菜はそう自分に言い聞かせた。自分の本心を押し殺す。自分の立場ではミコトと付き合うのは許されることではない。
けれど、ミコトのことを想っているのも事実だ。なら、明菜のできることは1つしかない。ミコトの幸せを願い、彼に相応しい女性と付き合えることを応援するしかないと。
「ダメだ……やっぱり、宮垣が他の女子と付き合うのを想像すると胸が苦しくなる。私は教師失格なのかもしれない」
明菜は自嘲気味に笑った。この教師という仕事を始める前は教え子に特別な感情を持つことなど想像できなかった。
生徒に対してそういう感情を持つことはいけないことだと頭では理解している。けれど、それで抑えられるほど人間の気持ちというものは弱くはない。
明菜は腕時計をちらりと見た。もうすぐ正午だ。今日はこのデパートにあるレストランで食事をする予定だった。明菜は予定通りにレストランに向かうことにした。
◇
「あ」
レストランへと向かう道中。明菜は、またもやバッタリとミコトと明菜に遭遇してしまった。
「本当によく会いますね先生」
絵麻は笑いながらそう言った。同じ建物内で行動しているのだから、これはありえることだった。
明菜は、無意識にミコトと絵麻の所作をチェックする。2人は間に距離を保っている。恋人なら、もう少しくっつても良さそうな気がすると明菜は思った。そして、なにより、並んで歩いているのに手を繋いでいない。そのことから、2人はまだ恋人ではないのかもしれないと明菜は考えるのであった。
「私たち、これから一緒にご飯食べるんです。先生は?」
「あ、ああ。私もそうしようとしていたところだ。そ、その良かったら一緒にどうだ? 教師と一緒が嫌じゃないなら奢るぞ」
明菜は勇気を出して2人を誘った。これがデートなら、2人は奢りでも断るだろう。もし、断らなければ2人はただの友達である可能性の方が高い。
「え? いいんですか? ねえ、宮垣君聞いた? 蜂谷先生が奢ってくれるって」
「え、ああ。うん。先生ありがとうございます」
絵麻は、あっさりと明菜の申し出を受け入れた。これで2人は付き合っていてデートをしているという線は薄まった。
「ねえ、得しちゃったね。宮垣君」
絵麻は無邪気な笑顔をミコトに見せた。明菜は絵麻のその笑顔の真意を読み取ることはできなかった。
ふと、明菜は自分自身を嫌になる。そんな感覚に襲われた。自分は大事な教え子である絵麻に嫉妬をしている。絵麻もミコトも大切な生徒であるにも関わらずに、明菜自身ミコトに良い感情を持っていて、絵麻に悪い感情を持っている。
それに自分は絵麻を勝手にライバル視して、その心境を探ろうとしている。当の絵麻からは邪気は一切感じられない。高校生の純粋な子にけん制をする自分の汚さを自覚して嫌な気持ちになった。
レストランは昼時ということもあってか結構混んでいた。満席状態だったので、明菜たちは大人しく待つことにした。
「藤林さん。蜂谷先生。ごめんなさい。ちょっとトイレ行ってきます」
「む、そうか。私たちで待ってるから安心して行ってきていいぞ」
ミコトがトイレに立つと明菜と絵麻の2人きりだけになった。明菜は気まずい思いをした。自分が一方的に敵視していた相手と2人きり。更に明菜はそのことに対して罪悪感も覚えているという複雑な思いだ。
沈黙が流れる。明菜と絵麻は教師と生徒という以外に特に接点がない。会話することが特にないのだ。
「先生。先生は宮垣君のことをどう思ってますか?」
「え?」
「宮垣君は多分、蜂谷先生のことが好きなんだと思います。それに対して、先生はどう思いますか?」
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