第12話 明菜の日記

 自室にいる明菜は机に向かって、日記帳を開いた。明菜はマメな性格であり、毎日日記をつけている。


 明菜は一応パソコンは持っているのだが、今時アナログな方法で日記を書いている。


 これは、ただ単に明菜がパソコンの扱いになれてなくてタイピングするよりかは、手書きの方が早いからである。


「さて、今日も日記を書くか……」


 淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを机の端に置き、明菜は日記帳に今日起こった出来事を書いていく。


――


 今日の授業は少し難しいところをやった。ほとんどの生徒が理解できていない中で、宮垣だけは楽勝に解いていた。宮垣は塾に行ってないし、家庭教師もつけていない。そんな中で、これだけ優秀な成績だから本当に大したものだ。


 宮垣は後はもう少し協調性というものがあればいいと思う。正直、宮垣はクラスに馴染めているとはいい難い。私が学生の頃は頭のいい子は、勉強ができてない子の面倒をみていたものだ。けれど、宮垣はクラスでは全くそういう気を見せていない。


 そのせいか、私の見立てでは宮垣はクラスでは若干浮いているように感じる。ただ単にクラスの平均点を無駄に上げている存在。そういう風に取られてしまっているような気がするのだ。


 妬み……とまではいかないが、クラスのみんなは宮垣を異質なものを見るような目でみているとは思う。中学時代の宮垣を知る者が、彼はもっと上の高校を狙えてたと暴露したせいで余計に嫌味な存在として扱われているようなんだ。そう思うと彼が不憫でならない。


 けれど、他クラスの大場 龍人、藤林 絵麻とは仲がいいようだ。彼らは同じ部活の仲間である。そこでは上手くやっているようで安心した。


 この前、パソコン室で部活動の様子を覗きに行った時も、宮垣は本当に楽しそうだった。クラスでいる時には見せない笑顔をそこでは見ることができた。


 けれど、そんな宮垣でも私にしか見せない顔を見せる時がある。


 今日も宮垣は私の秘密を握っていることをいいことに、変な要求をしてきた。膝枕をした状態で耳かきをしてくれと。


 最初はなんの冗談かと思った。身近に女子高校生がたくさんいる宮垣にとって、私は魅力に映らないはずだ。だって、男性は若い子が好きなもの。私はそう思っていた。


 けれど、宮垣は年上が好きだと言った。それで、1年2年上の先輩ではなく、教師である私に構っている。


 私も正直、宮垣にそういう目で見られて嫌な気持ちはしなかった。最近の私はどうも仕事に打ち込んでばかりで、女として生きてこなかった。同年代の独身女性はもっと彼氏と付き合ったり、合コンしたり、街コンいったりしているのだろう。けれど、私はそういうことを全くしていない。


 そんな私でも宮垣は女として見てくれているのだ。そんな彼の思いに少しだけ報いたいと思って、私は耳かきの要求を呑むことにした。


 やる前は少し戸惑いもあったけれど、やってみるとこれが中々楽しい。私の手で誰かが気持ちよくなってくれる。それが少し幸せに想えてしまった。


 宮垣の気持ちよさそうな顔が、私の脳裏に焼き付いて離れない。また宮垣に耳かきをしてあげたい。


――


 ここまで書いて明菜の筆が止まった。そして、今一度自分の書いた分を読み返してみている。そして、明菜の顔が紅潮する。


「な、なんだこれは! わ、私……宮垣のことしか書いてないじゃないか」


 明菜は心を落ち着かせるためにコーヒーを一口飲み、机に顔を突っ伏せた。


「違う違う……私は生徒を意識なんかしていない。違う。違うんだ」


 明菜は口に出して何度も「違う」と繰り返す。今の自分の想いを必死になって否定しようとしているのだ。


「ダメだ。私は教師なんだ。特定の生徒だけを贔屓するのはまずい。そうだ。別の生徒のことも平等に書こう。そうしよう。ふふふ。宮垣。キミだけが特別な存在だと思うなよ」


 そんなわけで、明菜は続いて加筆するのであった。


――


 最近、斎藤も数学の勉強をがんばっている。他の教科はまだまだだけれど、数学の勉強ができれば必然的に伸びていくだろう。勉強する楽しさを知ってもらえればいいと思う。


――


 ここまで書いて明菜の筆が止まる。必死になって続きの文を考えるが、なにも思い浮かばない。ミコトのことを書いている時はスラスラと書けたのに、他の生徒の時だと全く筆が動かないのだ。


「だー! ダメだ! 全く! なんだこれは……ち、違うんだ。斎藤。キミは悪くない。悪いのは私だ。こんな風に生徒に差をつけるだなんて教師としてあるまじき行為だ」


 明菜はなぜかこの場にいない斎藤に謝罪をした。もし、斎藤がこの場にいたとしたら、確実に傷つけてしまうだろうと思っての発言だった。


「くそう! 考えろ! もっとあるだろ! 斎藤に対して書くこと。数学の勉強をがんばってる……は書いたな。後はえーと……そうだ、クラスのお調子者でみんなを笑わせてくれる……お調子者って誉め言葉なのか?」


 明菜は必死になって日記を書き続けた。睡眠時間を削りに削って、なんとか自分が受け持っている生徒全員のことを書いた。



 翌日、寝不足の状態で学校にやってきた明菜。寝ぼけ眼を擦りながら、職員室へと向かった。


 その道中で偶然にもミコトと会ってしまった。


「あ、先生おはようございます」


「げ、あ、おはよう」


 明菜は日記のことがあって、ミコトに若干の苦手意識を持ってしまった。


「げ、ってなんですか。もう失礼ですね」


「あ、違うんだ宮垣。キミは悪くない。悪くないんだ。全ては私のせいなんだ」


 明菜はミコトを傷つけてしまったと思って必死に弁解をする。


「は、はあ……そうですか」


 ミコトはなにかが釈然としないといった表情を見せて、自分の教室へと向かっていった。


 職員室に入り、自身の席につく明菜。朝っぱらからため息をついてしまう。


「どうしたんですか? 蜂谷先生。ため息なんかついて」


 体育教師の牧田が、沈んだ様子の明菜に話しかけた。牧田は落ち込んだ同僚を励まそうとする気持ち半分と、落ち込んでいる女性に対してポイント稼ぎしようとする下心半分といった気持ちで明菜に声をかけたのだった。


「いえ……牧田先生。やっぱり特定の生徒に肩入れする先生ってダメですよね?」


 明菜に話を振られて考え込む牧田。そして、しばらく考えた後に口を開く。


「そうですかね。俺はそうは思いませんよ。教師も生徒も人間です。人間同士には合う合わないといった相性はありますからね」


「いや、しかし……」


「考えてもみてください。品行方正で成績優秀な生徒と、遅刻早退は当たり前。風紀を乱して学校にタバコを持ち込むような生徒。同じように扱えと言っても無理な話でしょう?」


「ええ……確かに言われてみれば」


「みんな同じような扱いをするんだったら、真面目な生徒がバカを見るだけですよ」


 牧田の言うことには一理ある。けれど、明菜はその考え方に納得はできなかった。


「きっと、不良生徒もなにか事情や悩みを抱えているんだと思います。それで教師の扱いも悪かったら、きっと彼らの心を傷つけてしまうかもしれません」


 明菜の発言に牧田は思わず吹き出してしまった。


「いやはや。蜂谷先生はまだまだ若いですね。そういう考え方は若者の特権らしくていいですよ」


「私が若い……?」


 明菜としては自分はもう20代後半であるし、高校生に比べたら全然若くないと思っていた。触れ合う対象が10代の若者ばかりなので、若いと言われてもイマイチピンとこないのだ。


「まあ、蜂谷先生もいつか割り切れる時が来ますよ。教師も所詮、好き嫌いをする人間だってね」


「そういうものなんですかねえ」


 明菜は好き嫌いと言われて、ミコトのことを考えた。自分はミコトのことが好きで意識しているのか、それとも嫌いだから意識してしまうのか。その感情がよくわからなくなってきた。


 ただ、出会った当初のころは、印象が薄かったミコトが最近ではとても印象深くなってきていることは事実だ。それは受け入れるしかなさそうだ。

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