第10話 先生! 耳かきして下さい

 放課後の部活の時間、ミコトと龍人はいつものように作業をしていた。ミコトがプログラミングをしている最中、龍人はヘッドホンでなにかを聴いているようだ。


 龍人はなにやらニヤニヤとしていて、ミコトは薄気味悪い感情を覚えた。ミコトはどうせ龍人が如何わしいものでも視聴しているかと思っていた。


「龍人」


 ミコトの呼びかけにも龍人は全く動じない。それはそうである。ヘッドホンをしているのだから、ミコトの声は届きにくいだろう。


「おい、龍人!」


 ミコトは更に大声で龍人を呼びつけた。流石の龍人もそれに気づいたのかヘッドホンを外す。


「ん? 俺を呼んだか? ミコト」


「うん。読んだよ。お前、なに聞いているんだよ」


「なんだ。ミコト。お前もこういうの興味あんのか」


「なにを聞いているのは訊いているんだよ。質問に答えてくれ」


 ミコトは龍人の悪ノリに全く乗らずに真面目に返した。ミコトとしては、人が真面目にプログラミングをしているのに、龍人が怪しいものに手を出しているのが気に食わないのだ。


「まあまあ、お前も聴いてみろって」


 龍人はミコトに無理矢理ヘッドホンを装着した。ミコトの耳に女性の声が響き渡る。


『ふふ……ふー。耳の中、気持ちいいですか? 幸せそうな顔しちゃって、かーわいい』


 ミコトは素早くヘッドホンを外す怪訝な表情をする。


「なにこれ」


「耳かき音声だよ。最近流行ってるんだよ」


 龍人は誇らしげにそう言った。そう言われてもミコトには理解し難かった。


「耳かき音声? 音声で耳かきができるのか? 最近のヘッドホンは進んでるな」


「んなわけねえだろ! 耳かきを疑似体験するんだよ。こう、耳元をごしょごしょする音を流しながら、女性声優の声を聞く。その組み合わせがたまらないんだよ」


「はへー。想像力逞しいなー」


 ミコトはそういう音声には全く興味がそそられなかった。


「わからないかな。ミコトは。膝枕されながら、耳かきされるという男のロマンってやつが」


「でも、それ音声なんだろ? 実際にやってるわけじゃないんじゃ」


「おいおい。実際にやって貰える彼女がいるなら俺だってそうしているさ! でも俺は! 彼女が! いねえんだ!」


 龍人が声を荒げる。どうやら踏んではいけない地雷を踏んでしまったようだ。


「お、おう。そうか」


「まあ、この音声は一度聴けば癖になるからよ。ミコト。お前にも後でデータ送ってやるよ」


「No thank you.」


「そんなに遠慮するなって。このお姉さんタイプの他にも妹タイプやツンデレタイプ、ヤンデレタイプとか色々な音声があるんだって。お前の好みにあうやつも絶対あるぞ」


「なんでそんなに必死に薦めてくるんだよ」


「俺は同士が欲しいの!」


 ミコトは耳かき音声を聞くくらいなら自分で耳かきした方がマシだと思った。ただ、誰かに耳かきをしてもらうというのはそういう発想がなかった。どういう感覚なのだろうかと、ミコトは少し興味が沸いた。


 どうせなら自分の好きな人にやって欲しいなと思うミコト。ミコトが好きな人と言えば当然、明菜である。明菜に頼めばやってもらえるのだろうか。いや、明菜は教師で自分は生徒。そういう関係ではない。と諦めかけたミコト。その時、ミコトは明菜の秘密を握っていることを思い出した。


 その時、ミコトの中に黒い欲望が渦巻いていた。その欲望の渦は徐々に大きさを増し、自分では制御できないものになっていく。


 明菜に耳かきを頼む。拒否されたら、脅迫されてでもやらしてやると。



 ミコトは明菜を生徒指導室に呼び出した。ここは仕切りがあるお陰で外からはなにをやっているのか見えないのだ。


「宮垣。こんなところに私を呼び出してどうしたんだ? なにか悩みでもあるのか?」


 明菜は相変わらずいい先生だ。自分がミコトに弱みを握られている立場なのに、その相手の心配をしているのだ。


「蜂谷先生……そ、その。僕に膝枕耳かきしてください」


 ミコトは頭を下げた。明菜はミコトの発言を受けてポカーンとしている。


「え? は、はあ? な、なに言ってるんだ宮垣。ひ、膝枕耳かきだなんて。そんな破廉恥なこと」


 明菜は顔を真っ赤にしている。流石に恋人でもない相手にそういうことをするのは抵抗があるようだ。


「先生お願いします」


「いやいや、お願いされてもな。そ、そういうのは彼女を作ってだな。その彼女にしてもらった方がいいぞ」


 明菜は必死でミコトをなだめている。だが、ミコトも退く気はなかった。


「先生。僕の言うこと聞かなくていいんですか? 僕が先生の秘密を握っているのを忘れてませんか?」


 ミコトの冷酷な言葉に、明菜は呆気にとられたような顔をしている。


「み、宮垣。本気で言ってるのか?」


「本気です。僕はどうしても先生に膝枕してもらいたいし、耳かきもして欲しいんです。お願いします」


 ミコトの言葉に明菜はため息をついた。顔をうつむかせた後に、やれやれと観念した感じで顔をあげた。


「本気なんだな。宮垣。本当に私に耳かきして欲しいんだな?」


「はい、お願いします」


「わかった。それじゃあ、やってやる。だけど、その前に一つ訊いてもいいか?」


「はい。なんですか?」


「どうして私なんだ? いくら秘密を握っているとはいえ、こんな歳も離れている私に耳かきをしてもらいたいんだ?」


 明菜の追求にミコトはドキっとしてしまう。ここは正直に話すべきだろうかとミコトは悩んだ。自分の明菜に対する率直な気持ち。好きだという気持ちを伝えるなら今がチャンスじゃないかと思う。しかし、それを言ってしまう勇気がミコトにはまだなかった。


「やっぱり、私が手頃な異性だからか? どうせチョロくて軽い女だと思っているんだろ?」


「違う!」


 卑屈なことを言う明菜に対して、ミコトはすぐさまに否定した。咄嗟に出た嘘偽りのない言葉。ミコトは明菜を本当に魅力的な女性だと思っているし、チョロくて軽いだなんて全く思ったことがない。


「違います先生……僕は年上の人が好きで、先生みたいなクールで大人っぽい人に憧れているんです。だから、先生に色んな事をしてもらいたくて、ついこんな手段を取っちゃうんです」


「そうか、全く。年上なら学院内の生徒にもいるだろう。宮垣はまだ1年なんだ。2年や3年の先輩にもいい人はいっぱいいるぞ。歳が離れすぎている私じゃなくても」


「でも、先生がいいんです」


「そ、そうか……」


 明菜はミコトから視線を外し、顎を人差し指で書いた。率直に求められて、照れてしまっているのだ。


「わかった。今日は宮垣の言うことを聞いてやろう。私は今、気分がいいからな」


「ほ、本当ですか? 先生!」


 ミコトの顔がパァっと明るくなる。その無邪気な笑顔を見て、明菜は少し心が温かい気持ちになった。やはり、明菜は教師。生徒の可愛らしい笑顔を見ると幸せを感じてしまうのだ。


「ああ。女に二言はない。耳かきの道具は持って来てあるんだろ?」


「はい。実は用意してあります」


 ミコトは鞄から耳かきの道具を取り出した。それを明菜に手渡した。


「これを今から宮垣の耳に入れるのか……そ、その痛くしたらごめんな。人に耳かきをした経験がないから、上手くできないかもしれない」


 明菜は耳かきの棒をゆっくりと指でなぞった。その仕草がやけに色っぽくてミコトの心はドキドキとする。


「はい。大丈夫です。僕は先生を信じてますから」


「そ、そうか。なら生徒の期待に応えないとな。宮垣……」


 明菜は床に正座をして座った。そして、自身の太腿を軽くぽんぽんと叩く。


「さあ、ここに頭を乗せてくれ」


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