第6話 言うこと聞かなかったらわかってますよね?

 放課後、ミコトは明菜を校舎裏に呼び出した。ここの校舎裏は滅多に人が来なくて人目を避けるには丁度いい場所だ。


「どうした宮垣。私をこんなところに呼び出して」


 明菜の問いは自然なものだろう。ここに呼び出すということは、みんなに聞かれたくない話があるのだろう。学生同士なら告白とかが考えられるが、ミコトと明菜は生徒と先生の関係だ。そんなものはないと明菜は思っている。


「あの……先生。一つお願いがあるんです」


「なんだ? 言ってみろ。私にできることなら協力するぞ」


 明菜は経験則からミコトはそんなに無茶なお願いをしてこないと思っていた。だが、察するべきだった。いつもと違うこの校舎裏の場所に呼び出された時点で、ミコトの何かが吹っ切れていたことに。


「先生。僕、蜂谷先生の学生服姿が見たいです」


 ミコトの勇気ある一言の後、静寂が訪れる。小鳥のさえずる声が聞こえて、それがより一層静けさを強調する。そして、次の瞬間明菜が静寂を破る。


「は、はぁ!? な、なにを言ってるんだ宮垣! な、なんで私の学生服姿が見たい? え?」


 明菜は混乱している。ミコトは制服姿の女子を飽きるほど見飽きている環境にいる。それなのに、なぜわざわざ自分の制服姿を見たがるのか理解に苦しんだ。制服は若い子が着るからこそ価値があるものであると明菜は思っている。自分は学生服を着るほど若くはないつもりだった。ミコトの要求の意味が理解できなかった。


「お願いします蜂谷先生! 先生の制服姿じゃないとダメなんです」


 ミコトは頭を下げた。けれど、明菜はまだ困惑しているばかり。生徒の願いはできるだけ叶えてあげたい。しかし、明菜にも恥じらう心はある。もう制服を着るような歳ではない。四捨五入をすれば30歳になる年齢で着るなんて想像だにつかなかった。


「宮垣。一旦落ち着こう? 私はもう今年で26歳だ。高校生時代なんてとうの昔に過ぎている。そんな私が制服なんて着てみろ。みんなの笑い物にされるだけだ」


 ミコトを説得するために、明菜はまず年齢的に無理があることを告げた。自分はもう学生服姿よりもスーツ姿の方が似合う大人である。明菜はそう認識していた。


「それに、宮垣の周りには素敵な女子生徒がいっぱいいるだろ? 制服姿を見放題の環境にいるのに、わざわざ私に拘る必要もないだろう」


 別に明菜でなくてもいい。そう説得することでミコトの暴走を止めようとした。しかし、それは火に油を注ぐ形になった。


「先生! 僕は先生の制服姿じゃないとダメなんです! 他の女子の制服姿なんて価値がないんです。先生だからこそ。大人の先生だからこそ見たいんです」


 ミコトの決死の懇願。生徒がこんなに必死になってお願いしている。普通のお願いだったら明菜なら喜んで引き受けただろう。しかし、明菜も羞恥心がある。このお願いばかりはいくらなんでも聞けなかった。


「すまない。宮垣。キミのその思いに応えることはできない。私はやはり恥ずかしいのだ。えっと……その、宮垣が私を頼ってくれたのは嬉しい。けれど、どうしても叶えられないお願いというのはあるのだ。もし、私が制服を着たら恥ずかしくて死ぬ」


 明菜は心底申し訳なさそうにしている。しかし、ミコトは後に退くつもりなどなかった。


「職場でBL本を検索している先生が今更なにを恥ずかしがっているんですか?」


 ミコトの言葉に明菜はドキリとした。明菜はミコトが自分の秘密を握っていることを今の今まで忘れていたのだ。


「あ、そ、それはだな」


「先生。僕はできるだけ先生を脅したくないんですよ。だから、今の内に了承して欲しいんです」


 十分脅している。明菜はそう感じたが、今のミコトを刺激するのはまずいと思って黙っていた。


 もし、職場のパソコンでBL本を検索していることがバレたら一大事だ。生徒には腐女子として認定されるだろう。今までオタク趣味を隠し通して、体育会系で通して来た明菜にはそれが耐えられなかった。


 それに先生方にバレるのもまずい。サーバーを管理している情報科の先生は、明菜と仲がいいから黙っててもらえる。けれど、それより上の教頭や校長や理事長にバレるのは非常にまずいことだ。いくら仕事外の休憩時間とはいえ、18歳未満の生徒がいる学校で、18禁のBL本を調べていたことがバレたら一大事だ。


「うぅ……わ、わかったよ宮垣。制服着る。着るから、あのことは黙っててくれ」


 ついに明菜は観念してしまった。羞恥心さえ捨てれば耐えきれる。そう思って、明菜はミコトの要求を呑むことにしたのだ。


「でも、私は今は一人暮らしだ。高校時代の制服は実家にあるんだ」


「別に先生の学生時代の制服でなくてもいいですよ。それも見てみたかったですけど、この高校の制服でも構いません」


「そうか……それなら、予備の制服が被服室にあったはずだ。今日は丁度、被服部は休みだ。誰もいないはずだから……そこで見せる。それでいいな?」


「はい。楽しみにしてます」


 ミコトと明菜は被服室へと向かった。ミコトは道中わくわくしていが、明菜は断頭台の階段を上る気持ちだった。いくら覚悟は決めたとはいえ、あまり気乗りはしないのが明菜の心情だ。


 被服室の扉を開けて中に入る。そこには男子生徒と女子生徒の制服があった。明菜は女子生徒の制服を手に取り、試着室のカーテンの中に入った。


「それじゃあ着替えるからな。の、覗くなよ!」


 明菜はそう言い残し、試着室の中に入った。ミコトはただ明菜が着替えるのを待っている。艶めかしい衣擦れの音がミコトの聴覚を刺激する。この中で明菜が今着替えていることを生々しく伝える音。たった一枚のカーテン越しにだ。その背徳感がミコトの感情を高めた。年頃の男子高校生にとっては、これだけでも十分すぎるほどの刺激となるのだ。


 サーっとカーテンが開く音が聞こえる。中から出てきたのはブレザー服姿の美少女……否、少女というには少し老けている。そんな感じの女性だ。若々しさの象徴の学生服と、成熟した女性のアンバランスさがミコトの胸を高鳴らせた。


「ど、どうだ? やっぱり変だろう! こんなのやめよう」


「蜂谷先生……写真撮っていいですか?」


 ミコトはポケットの中にしまってあるスマホに手を伸ばした。


「そ、それは勘弁してくれ」


「いいじゃないですか。僕は好きですよ。先生の制服姿」


 ミコトのその言葉に明菜が紅潮する。その赤みがかった頬を見て、ミコトは自分の中で、なにかが目覚めていく感覚を覚えた。


「とにかく写真はダメだ。もし、写真撮ったらひどいぞ! 化けて出るからな!」


 明菜にキツく言われてミコトはしょんぼりとした。写真撮ったら本気で明菜に嫌われてしまう。そんな予感がしたミコトは写真を撮るのを諦めた。


「わかりました蜂谷先生。その代わりじっくり見させてください。その状態で一回転してみてください」


「こ、こうか?」


 明菜が一回転する。スカートがひらりと舞い、それが扇情的に映る。制服の前後左右をミコトは堪能した。


「なあ、宮垣。こんなことして楽しいのか? 私を辱めて……」


 明菜の目が潤んできた。快活な性格でさっぱりとした明菜だったが、流石に羞恥心には耐えられないようだ。このままでは明菜を泣かせてしまうと思ったミコト。ミコトだって好きな女性を泣かすのは本意ではない。これ以上は流石に明菜の心に傷を負わせてしまうだろう。


「ごめんなさい先生。もう着替えていいですよ。少し名残惜しいですが、楽しませて頂きました。ありがとうございます」


 ミコトのその言葉に明菜の顔が明るくなった。やっと解放される。そう思った明菜はすぐに試着室に入り、着替えを始めた。


 数分後、元のスーツ姿に戻った明菜が制服を持って出てきた。その顔は少し安堵している。


「宮垣。その、なんだ……次からはもう少し恥ずかしくないお願いで頼む」


「はい。先生」


「それと……今の写真はダメだけど私の学生時代の写真なら送っても大丈夫だ。ちゃんと制服も着ている。それで我慢してくれ」


「本当ですか? 先生の学生時代の写真見てみたいです」


 明菜の思いがけない提案にミコトは心躍らせた。明菜がスマホを操作していると、ミコトのスマホに通知がなる。そこにはセーラー服姿の明菜の姿があった。今よりも少し若々しく肌にハリがある明菜。化粧もしていない天然の美少女の姿がそこにはあった。


「それじゃあ私はもう行くからな。まだ仕事が残ってるんだ」


「はい。先生。付き合わせてしまってすみません」


「全く……こういうのはこれで最後にしてくれよ」


 そう言って明菜は制服を元の位置に戻し、二人は被服室を出て行った。明菜は職員室に戻り、ミコトは学生時代の明菜の画像データを紛失しないようにバックアップを取る作業を速やかに行った。

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