第3話 美術館一緒に観に行きませんか?

 それは昼休みのことだった。クラスの友人数人と一緒に昼食を済ませたミコト。その後、別のクラスの龍人に会いにいくために、廊下を歩いていたら明菜と遭遇した。


 周りには他に生徒もいっぱいいるし、軽く挨拶だけ済ませてすれ違おうとする。その時だった。


「お、明菜ちゃん今日も可愛いね~パンツ見せて」


 クラスのお調子者の不良が、明菜に絡み始めた。ミコトはそれを横目で見ながら嫌な気持ちになる。蜂谷先生に馴れ馴れしい態度を取るな。セクハラ発言をするな。と心の中で悪態をつく。


 けれど、ミコトは決してその態度を表に出そうとしなかった。ミコトは頭こそいいが、風紀を守ったり、誰かを指導するようなタイプではないのだ。そういったリーダー的な役割は避けて生きてきた。


 頭がいいんだから学級委員をやったらどうだ? 生徒会に立候補しないか? などと言われたこともあったが、全て断ってきた。ミコトは自分にはそういうことが向いていないとわかっていたからだ。


 そのミコトがいきなり不良に口出ししたら、衝突やトラブルは避けられないだろう。不良もミコトは大人しくて、感情を表に出さないタイプだと舐めてかかっている。だから関わり合いになりたくない。


 ミコトが心の中で不良に呪詛を唱えていると、明菜が溜息をついた。


「はあー。あのなあ。高校生にもなって、そんな幼稚なこと言うな。こっちが恥ずかしくなる」


 明菜は不良の頭を軽く小突いた。セクハラの罰だと言わんばかりだ。


「なんだよパンツくらい見せてくれたっていいだろ。減るもんじゃないし」


「そういうのは彼女にやってもらえ。いなきゃ、がんばって作るんだな」


「じゃあ先生が俺の彼女になってよ」


「あのなあ。教師と生徒が付き合えるわけないだろ」


 教師と生徒が付き合えるわけない。その言葉はミコトの胸にも突き刺さった。そうだ。明菜は分別がつく大人なのだ。一時の感情で生徒と付き合ったりするような先生じゃない。だからこそ、そんな清廉潔白な人間だからこそ、惚れこんでいるのだ。


 それは頭ではわかっていても心で理解するのは難しかった。明菜と交際したい。若い男子高校生がその欲望を抑えるのは難しかったのだ。


「おい、そこまでにしておけよ」


 がたいのいい刈り上げの男性が不良に声をかける。彼は体育教師の牧田先生だ。


 牧田が明菜と不良の間に割って入った。牧田は生徒の間では鬼のように恐ろしいと恐れられていて、不良生徒たちですら震え上がらせるほどの威圧感を放っている。牧田に生活指導された生徒は、「生きた心地がしなかった。針山の上に座る方がマシだ」と証言したほどだ。


「げ、牧田……さ、さよなら」


 当然、不良も牧田には歯向かうことができずに一目散に退散するしかなかった。


 ミコトは不良の怖気づくさまを見て、スカっとした。晴れやかな気分で龍人のところに向かおうとした。


「蜂谷先生。大丈夫ですか?」


「ええ。ありがとうございます牧田先生」


「困ったことがあったら、なんでも言ってくださいよ。この牧田。蜂谷先生のためなら、命すら惜しくありません」


「は、はあ……そうですか」


 明菜は牧田の発言に若干引いている。ミコトもミコトで、牧田先生は何を言っているんだ。と心の中でツッコミをした。


 牧田は明菜のことが好きなのだろうとミコトは推察した。明菜はとても美人で男性人気も高い。生徒にも教師にも好きな人がいて当然だ。


 ミコトは溜息をつく。明菜はモテるのだ。恋愛的なアプローチを受けている明菜を目の前で見るとやはりいい感情はしない。明菜が人気者でみんなに慕われているのは嬉しいが、それとこれとは話が別だ。


 ミコトは複雑な感情を抱えたまま、龍人のいるクラスへ行き、部活動のことでの打ち合わせをしながら昼休みを過ごした。



 その日の放課後、ミコトは部活動をするためにパソコン室へと向かおうとする。その道中だった。またもや明菜に遭遇したのだ。


 今度は周りに人がいない。話しかけるなら今がチャンスであろう。


「蜂谷先生。お疲れ様です」


「ああ。宮垣か。お疲れ。これから部活か。がんばれ」


 明菜に応援されていると思うだけで、ミコトは元気が湧いてきた。男子高校生とはくも単純なものである。


「先生。その今週の土曜日暇ですか?」


「土曜日か? 午前中はバスケ部の顧問があるから忙しいぞ。その後だったら、空いてるがどうしたんだ?」


 ミコトは緊張からか唾を飲み込んだ。そして、一呼吸おいた後に話を続ける。


「その……今度の土曜日、一緒に美術館に行きませんか?」


 あからさまなデートの誘い。今まで女子との交際経験がないミコトの人生初の快挙である。ミコトの心臓がバクバクと脈打つ。一度口に出した言葉は取り消すことができない。明菜が返事をするまでの間、ミコトは生きた心地がしなかった。


「美術館か? 友達と行けばいいだろう。なんでわざわざ教師の私を誘うんだ?」


「そ、その……芸術に興味がある友達がいなくて。でも、一人で行くのも寂しいし、芸術作品を見た感動を誰かと分かち合いたいんです。だ、だから先生と一緒に行きたいっていうか……」


 真っ赤な嘘である。もし、絵麻を美術館に誘えば喜んでついていくだろう。絵麻はグラフィッカー志望である。むしろ、感性を磨くために美術館に行きたがっているくらいだ。


「ははは。そうか。まあ、高校生で芸術に興味ある方が珍しいか。宮垣は周りと比べて大人だからな。あんまり同年代と話があわないだろ?」


「そうなんですよ。だから大人の先生と一緒の方が話があうっていうか……一緒にいて落ち着くっていうか」


「わかった。それじゃあ一緒に美術館に行こうか」


「ありがとうございます」


 ミコトは明菜に向かって深々とお辞儀をした。ミコトは今週の楽しみができてしまった、これを糧に残りの平日を耐えていけるだろう。


「おっと。私はそろそろバスケ部の方にいかないとな。また詳細な待ち合わせは後でしよう」


「はい」


 明菜は体育館へと向かっていった。ミコトもパソコン室に向かい、それぞれ違う方向へと歩いていった。


「ふーん……」


 物陰から二人の様子を見ていた怪しい人影があった。その人影はミコトの後を付けてる。そして、ミコトに気づかれないようにゆっくりと接近して肩を叩いた。


「宮垣君。おはよう」


「藤林さん? 今は、おはようじゃないよね?」


 ミコトの背後から現れたのは絵麻。ミコトと同じパソコン部に所属しているから目指す場所は同じだろう。


「ねえ、宮垣君。キミって結構年上の人が好きなんだね」


 絵麻の物言いにミコトはドキリとした。


「な、なんのこと?」


「私という手近な友達がいるのに、わざわざ先生を美術館に誘うんだ。へー」


 絵麻は流し目でミコトを見つめた。明らかにミコトを非難しているような雰囲気だ。


「えっと、それは……」


「わざわざ、美術館に興味ある友達いないって嘘までついて蜂谷先生を誘いたかったんだー。へー。私って宮垣君の友達じゃなかったんだね」


 絵麻は完全にいじけてしまっている。ミコトはなんとか絵麻の機嫌を取り繕うと頭を働かせるが、何もいい案を思いつかない。


「ねえ、宮垣君? 私も宮垣君と一緒に美術館に行きたいな」


「うぇ!? そ、それはダメだよ」


「なんでダメなの?」


 ミコトは先生と二人きりのデートを絵麻に邪魔されたくなかった。なんとか絵麻がついてくるのを阻止したいところだけど、断る正当な理由を思いつかない。


「えっと、あの……」


「理由もなしに私は来ちゃダメなんだ」


 絵麻は完全に意地悪をしている。ミコトが絵麻に来て欲しくない理由をわかっていながら、あえて泳がせているのだ。


 先生とデートしたいの一言が言えずに、しどろもどろになっているミコトを見て、絵麻は楽しんでいる。先生とデートしたいと素直に認めれば、それはそれで面白い。生徒が教師に恋しているだなんて、女子が好きそうな話題だ。


「なにも問題ないなら土曜日私も一緒に行っていいでしょ?」


「はい……」


 ミコトは観念してしまった。折角、明菜と二人きりでデートできるチャンスだったのに、ミコトは落胆してしまった。

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