いや、パクリは駄目だろ、という考えをそろそろ改めよう!(ぺこぱ味)

赤月カケヤ

いや、パクリは駄目だろ、という考えをそろそろ改めよう!(ぺこぱ味)

この世には、ないほうが良いと思う概念があって、そのなかのひとつに「パクリ」がある。

警察に捕まるほうではなくて、作品を真似るという意味のパクリだ。


多くの人は「パクリは悪いことだ」と思っているだろうけど、そう思わないほうが自分自身も周りも幸せになると考えている。どちらかと言えば、悪影響のほうが大きい。


パクリが何故悪いのかと言えば、本来、製作者が得るべき名声と利益を、他の者が奪ってしまうからだ。つまりは泥棒。


じゃあ、泥棒なのに、なんで「悪くないと思え」と言っているかというと、以下の理由による。


1 パクリは私刑

2 パクリよって作品は発展してきた



1について、


そもそも「パクリ」という罪はなく、著作権法の著作権侵害や盗作という法律で裁くことができる。

けれども、パクリは法律を通さずに「自分がそう思う」だけで、相手を攻撃している。

つまりは「私刑」だ。ちなみに私刑とは、死刑の打ち間違いではない。


昨年話題となった「私刑」と言えば、「京都アニメーション放火殺人事件」だろう。犯人は「応募作をパクられた」という理由で、放火殺人と言う攻撃に出た。


私刑が愚かで恐ろしいのは、「自分の思い込みで悪を認定」し、「罪に応じた罰ではなく、自分の怒りが収まるまでとことんやる」点にある。この事件は「私刑」の本来の姿だ。誰もが怒りを覚えたはずだ。


パクリと騒いで誰かを攻撃し、打ち切りや二度と書けない状態に追い込むのは、この「京都アニメーション放火殺人事件」の構図となんら変わらない。


「別に殺していないからまた復活できるだろ?」と言う人もいるが、それは想像力の欠如だ。作品の人生はそこで終わるし、復活に要する努力や苦労は大学受験の比ではない。作家の生存率というデータを見れば、その厳しさは理解できると思う。


ここで重要なのは、パクリが事実かどうかという点ではなく、「自分が正しいと思うのなら法にゆだねるべき」だという点だ。思い込みじゃなかったとしても、その報復措置は過激になる点も考慮すべきだろう。


パクった(と思う)相手を攻撃するのは、もうやめよう。攻撃して良いのは、パクられた本人だけだ。


(ちなみに、『コードギアス』のルルーシュの科白に「討っていいのは討たれる覚悟のある者だけだ」という名台詞がありますが、討たれる覚悟のない悪人って結構いるよね。それってどうするんだろう? って見ていた当時思ってました。ちなみに「討たれる覚悟のない悪人」を討つ話がお好みならば、MF文庫から発売されるラノベ『異世界はジョーカーに微笑んだ。』をお勧めします。

ちなみに、この主人公も「違うな。間違っているぞ」とルルーシュっぽい口調を使いますが、これはパクリではないです。単にキャラの方向性が似ているので、口調まで似ちゃったパターンです。猫キャラが語尾に「ニャ」ってつけるようなもんです。いや、マジで)



2について、


「学ぶ」という言葉は「真似る」から来ているというが、人が何かを成し遂げるために、真似るという行為は非常に重要だ。


学校で習う知識も「先人の努力」の結晶だし、ICTの分野でもオープンソースを開示した結果、急速に発展できた経緯もある。また、他の作品の影響を受けていないクリエーターなんていないだろう。


逆に厳密な意味でパクリが禁止された世界を想像してみよう。

日本におけるサブカルチャーのほとんどは、この世から消滅する。「ロボット」という単語使った時点でアウトだし、「エクスカリバー」もアウトだ。二次創作なんて論外だし、ミステリ小説もRPGもこの世から消えてしまう。


それに対し、「いや、それはパクリじゃない」という人もいるだろう。オマージュ、リスペクト、パロディ等、いろんな言葉が存在する。

でも、その違いに混乱した経験はないだろうか? それはそうだ。とどのつまり、「許されるパクリ」と「許されなかったパクリ」の違いしかない。


許される理由として、大きくふたつがあると思う。


A その作品が有名である

B その作品が大好き、または尊敬している


Aに関しては、ちょっとわかりにくいかもしれないが、有名であれば、製作者が得るべき「名声」を泥棒することはない、という意味が込められている。

でも、有名か無名かなんて個々の環境で変わるもん(これを主観という)だし、有名であっても著作権侵害の訴えは可能だ。逆にパクられたことで有名になって、評価や名声を得る可能性だってある。

その意味でも、パクリという私刑ではなく、パクられた側が訴えを起こすべきだろう。


Bに関しての理由は感情的には理解しやすいが、ファンであるほど「にわか」を嫌い、自分と同じ熱量を相手に要求しやすい傾向にある。世間ではそれが「痛い」や「迷惑」に置き換えられている事実も知っているだろう。やはりこれも主観であり、こういう人ほど視野が狭くなっている可能性が高い点は、誰もが認めることだろう。


そもそも製作者が、それをパクった時点で、「これは凄い」「おもしろい」「素晴らしい」等のリスペクトの感情があるのが普通だ。それが以外の理由は「それがウケている(売れている)」くらいだろう。冷静に考えてほしい。他にあるだろうか?


つまりBは、「売れているからという理由で安易に真似するな」という意見にとれる。

しかし業界的には、売れている作品をパクることを「勉強」という言葉に置き換えている。(僕が知っているのはラノベだが、おそらくどこも似た感じだろう)


最近売れている作品を読んでなかったり、今のトレンドを知らなかったりすると「勉強不足ですね」と結構厳しめの言葉をもらったりする。

「オマージュやリスペクトしか認めない。売れる作品を真似るのは作家として最低」と主張する作家でさえも、「あの作品を見ていないなんてクリエーターとして失格」と発言することもある。大いなる矛盾だ。だが、その気持ちは理解できる。


これを矛盾にしているのは、「パクリは悪い」という概念だ。感動だろうが勉強だろうが、自分が良いと思ったものを取り入れ、どんどん真似ていくことで、逆におもしろい作品が世に出る土壌ができている。

パクリは、これを阻害するだけでなく、思い込みによる悲劇や、パクリ以外のオリジナルの部分を楽しむ心さえも奪ってしまう。メリットなんてない。


どのみち、パクリと騒がなくとも、オリジナリティがなければ飽きられ、その作品は消えていくし、酷い場合は著作権侵害で告訴もされる。あなたがわざわざ攻撃すべき理由はどこにもないのだ。


パクリじゃなく、その作品を良いところを見つけよう。そこがその作品の本当におもしろい部分なのだから。

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いや、パクリは駄目だろ、という考えをそろそろ改めよう!(ぺこぱ味) 赤月カケヤ @kakeya_redmoon

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