[11-5]エピローグ

 父さまを交えてキリアと三人で話し合ってから半月後、わたしは再び父さまに呼ばれた。

 前回と違って今回は執務室に来てくれという話だったけれど、一体どうしたのかしら。


「今日はあたたかいわね」

「そうですね。暖炉の火をつけなくてもいいくらいです。姫さま、お身体の具合はいかがですか?」

「大丈夫よ。お城に戻ってからずっと気分がいいの。青藍の竜石のおかげで身体が丈夫になったのは本当みたい」


 笑顔でうなずいて見せると、かたわらにいる彼はほっとしたように笑ってくれた。


 今回、わたしに付き添って護衛の任についてくれているのはクローディアスなの。

 青藍との儀式を経て人間の姿に戻ってから、彼はすぐに騎士として復帰したのよ。


 もう犬の姿にはなれないし、尻尾も耳もないけれど、クローディアスは人間として戻って来てくれた。

 わたしも騎士のみんなも大喜び。

 あの大きくてもふもふした姿が名残惜しい気持ちはあるけれど、鎧を身にまとって元気に仕えてくれている姿を見てるとやっぱり嬉しくなっちゃう。


「姫さま、執務室に着きました。陛下は頼み事があるとのことでしたが、一体何でしょうね?」

「うーん。わたしにも分からないわ」


 三回ドアをノックしたあと、「どうぞ」という声が聞こえた。カチャリと開けて中に入ってみる。

 部屋の中には父さまと、書類の束を抱えたキリアが立っていた。


「久しぶり、ティア。……ああ、犬も一緒か」


 ちょっとキリア、きれいな笑顔でなにか不穏な言葉が聞こえたんだけど!?


「キリア、ボクはもう犬じゃないですよ?」

「分かっているさ。つい、クセで」


 眉を寄せるクローディアスから、キリアはわざとらしく目を逸らす。

 最近ではその態度が嫌いとか苦手からくるものなんじゃなく、実はクローディアスに対するヤキモチからくるものだったと解ってきた。


 席についている父さまは相変わらず笑顔でわたしたちを見守っている。


 たくさんの書類を持っているし、キリアは父さまと仕事をしていたのかな。


 キリアを捕虜として引き取った貴族は帝国の軍人だったらしい。だからキリアも養子にされたあとは軍人としての教育を叩き込まれたんだって。

 養父は他種族のひとを食べた呪いで、早くに亡くなってしまったとか。

 家督を継いで貴族院に所属していたキリアは、帝国の内部にも詳しかった。さらに大陸の情勢のことも把握していて、父さまはキリアに色々と聞いているみたい。ここ数日は二人でよく話し込んでいる姿を見かけるの。


「ユミル、朗報だ——」

「春が来たよぉおおお!」


 ドアを開けるなり、後ろから体当たりしてくる白い女の子に押されるような形で、リシャさんが入ってきた。足を取られてこけそうになってるけど、大丈夫かな。


「シロ、あれほど押すなって言っただろ」

「だって、早くひめさまに教えたかったんだもん!」

「だってもなにもない。私だから良かったけど、他の人だったら怪我をしていたかもしれない。廊下は走らない。分かったか?」

「はぁーい」


 懇々こんこんとお説教するリシャさんは、もう最初に会った時のような冷たい面影は少しもない。

 久しぶりに見るシロちゃんは、初めて出会った時と同じく白い袖なしのワンピースを着ている。リシャさんといる時の彼女は嬉しそうに目をキラキラさせていて、相変わらず仲がいいみたい。二人とも元気そうで安心した。


「これはリシャール様、息災なようで何よりです。ところで春が来た、とは?」


 父さまは立ち上がって、リシャさんに話しかけた。

 本人が言うにはまだ人嫌いらしいんだけど、父さまの丁寧な言葉遣いにリシャさんは気を悪くした様子はないかな。


 いにしえの時代に存在した王子だという話を聞いて、父さまはリシャさんに対して最大の敬意を示すことにしているって言っていた。

 ご先祖さまではないから血は繋がっていないけど、ずっと昔にグラスリードを治めていた王統の血筋だもの。ずっと長い時間を生きていたわけだから、明らかに年上なのだし。

 私も敬意を払っていかなくちゃ。


「最近、ずっとあたたかい気候が続いているだろう? 昨日、シロが自分の巣穴の近くでピンク色の花を咲かせている木を見かけたらしい。私はともかく、おまえたちが春を経験するのは初めてのことだし、現地に赴いて調査してみてはどうだい?」

「なるほど……」


 リシャさんは唇を引き、微笑みを浮かべた。

 もう恨みとか憎しみのような感情を抱いている様子はない。最近の彼は人並みによく笑うようになった。


 シロちゃんがリシャさんをただの人族に戻すために力をたくさん使ってから、彼は変わった。

 不器用ながらも前よりわたしたちに歩み寄ってくれるし、今ではなんと、このお城で一緒に暮らすようになってるのよ。


「そうか。ついに、春が……」


 小さなつぶやきだったけど、たしかに聞こえた。


 予想通り、キリアが憂鬱そうに視線を落としている。

 きっと、またネガティブなことを考えているに違いないわ。

 ここは元気づけてあげなきゃ。キリアって慎重なのはいいのだけど、時たま考えすぎることがあるのよね。


 でもわたしが手を伸ばすよりも先に、リシャさんの白い手が力強くキリアの肩を叩いた。


「なんて顔をしてるんだい」

「……リシャール」

「心配するんじゃない。私を誰だと思っている? 万が一にも帝国が攻めてきたら、私が守ってやるさ」


 リシャさん、ほんと丸くなった、よね……? グラスリードがどうなっていくか高みの見物をするって言っていたのに。

 やっぱりシロちゃんが力を失ったことと関係があるのかしら。

 今まで守られていた側からシロちゃんを守る側として、リシャさんは立場を定めようとしているのかもしれないわ。


「さて、と。リシャール様の言う通り、現地調査が必要だね。ここはキリアとティアに頼もうかな」

「え、いいんですか?」

「いにしえの竜の力を使ったとはいえ、太古の呪いを解くことができたのはきみたち二人の頑張りのおかげだ。一番最初に春を見てきなさい」


 願ってもない言葉だわ。

 父さまがそう言ってくれるのなら、キリアと二人で行ってこようかな。


 春ってどんな感じなのかしら。

 物知りの父さまも経験したことのない春。

 雪を溶かし、大地を鮮やかな色で彩る祝福された時っていうのは、どの本で読んだフレーズだったっけ。


「姫さまが行くならボクもお供いたします」

「——え?」


 やだ、どうしよう。

 クローディアスが申し出た途端、明るくなり始めたキリアの顔が凍りついちゃった。


 悪気はないんだけど、クローデイアスはいつもどうしてかキリアの神経を逆撫でしちゃうのよね。ただ職務に真面目で、ちょっと天然なところがあるだけなのだけど……。


「ああ、そうだ。クローディアスは城に残りなさい。きみに頼みたい仕事があるんだ」

「そうですか。陛下がそうおっしゃられるなら」


 父さま、ナイスフォローだわ。きっと空気を読んでくれたのね。

 素直に頷いた若い騎士の憂いを拭うように、父さまはキリアを見て、こう言ってくれた。


「キリアならきみより強いし、元・軍人だ。護衛として十分すぎるくらいだから大丈夫さ」







 森の奥はまだ雪が少し残っていた。

 前に来た時は真っ白だった地面が、今は土色になっている。


 キリアの魔法でファーレの森に移動したわたしたちは、シロちゃんの情報をもとに歩くことにした。


「そういえば、最近ライさんの姿を見かけないけど、どうしてるのかしら」

「今はノアの診療所にいるらしいよ。ガルディオとハウラはまた旅に出たみたいだけどね。ケイトの仕事ぶりに陛下が惚れ込んだらしくて、城付きの諜報員として雇ったらしいよ。なぜか青藍も一緒にいるみたいだけど……」


 ライさんのことだから、ノア先生のそばにいることを決めたのね。

 いつまでもみんな一緒ってわけにはいかないと分かっていたけれど、ちょっと寂しいかも。


 それにしても……。


「わたし、青藍は海底洞窟に帰るものだと思っていたわ」

「俺もだよ。まったく、いつの間に名前をもらうほどケイトと仲良くなったんだか……。まあ、いにしえの竜は人に利用されやすい存在だし、ケイトと一緒に城にとどまるなら国として保護してもらうのもアリだと思うけどね」


 こうして隣に並んで歩いている今も、キリアは優しく微笑みかけてくれる。

 もう今では手を繋ぐことに、あまり恥ずかしく思うことはなくなったわ。

 最近は手を握る時に、指を絡めてくるの。あれにはやっぱりまだ慣れない。


 でも、ドキドキすることといえば、その触れ合いくらい。正直わたしは物足りない。


 だってキリアったら、告白してきたあの日以来、キスのひとつもしないんだもの。

 背中がぞくぞくするくらい刺激的な思いをしたのは、あの時だけ。積極的なのか奥手なのか分からなくなっちゃう。


 やっぱりわたしのこと、子どもだと思ってるのかな。


「ねえ、キリア。わたしのこと好き?」

「え?」


 思い悩んだって、答えは永遠に得られない。いっそのこと聞いてしまえと思って、つい口から出た言葉だった。

 石像のように、ぴたりとキリアが固まる。


「急にどうしたの、ティア。きみのことを俺は大切に想ってるよ」

「だってキリアってば、何もしてくれないんだもの。お仕事が忙しいのは仕方ないけど、父さまが気を利かせてくれなかったら、最近はこうやって二人きりになることだってなかったんだし」


 わたしだって一国の姫だもの。国のために仕事をするキリアにうるさく言いたくない。

 だけど、お城の中だと二人きりで話す機会もずっと少なかったんだもの。

 せっかく恋人になったのだから、もっとキリアに近づきたいわ。


「だって、ティアはまだ十七だろう?」


 彼の口から出たその言葉に、思わず立ち止まる。


「十七だって、十分に大人だもの!」

「きみになにかあったら、国王陛下に申し訳ない」


 もうもう、どうしてそこで真面目な性格が出ちゃうのよー!


「やっぱりわたしを子ども扱いしてたんじゃない。ひどいわ」

「そんなことないって。……あ」

 

 わたしの手を引っ張って歩いていたキリアの足が止まった。

 不満げに俯いているわたしの機嫌を取るように、彼は穏やかな声で話しかけてくれる。


「ほら、見て。ティア」


 なによ。そう簡単にわたしの機嫌はなおったりしないんだから。


 口を引き結んだまま、顔を上げる。


 目に飛び込んできたのは、一面のピンク色だった。

 まるで雪が降るように、ピンク色の花びらがひらひらと落ちていく。足元にも花びらが無数に広がっていて、まるでピンク色の絨毯みたい。


 冬に来た時は裸だった樹木が、葉を茂らせ、ドレスのような花をたくさんつけていた。


「うわあ……」


 厚手のコートを脱いでも、じんわりと汗がにじむほどあたたかな陽気。

 真っ白な世界を彩っていた雪はすっかり溶けて、森の中はすっかり新緑の色に染まっている。

 目の前でひらひらと舞うピンク色の花びらが、風にさらわれていく。


「キリア、すごい! こんな素晴らしいもの、わたし初めて見たわ。まるで本の中のおとぎ話みたい。これが春なの?」

「そうだよ、ティア」


 不意に腕を引かれた。


 力強く抱きしめられたあと、触れるようなキスを落とされる。

 今度こそ逃がさないように背伸びして、キリアの首に自分の腕を回した。ムキになってキスを返すと、なぜかくすりと笑われる。

 子どもみたいに拗ねたのが、おかしかったかしら……。


「この先は大人になってからね」


 耳もとでそう囁かれて、一気に顔が熱くなる。

 だけど、やっぱり納得いかない。


 わたしはよほど不満げな顔をしてたんだろう。


 困ったようにキリアは笑っていた。


「大丈夫。俺達にはいくらでも時間があるよ。やるべきことはたくさんあるし、これからは忙しくなるだろうけど」


 たしかに忙しくなるんだと思う。


 気候があたたかくなって、前よりも作物は育つようになるのはとってもいいことだわ。

 でも環境の変化で国民たちも戸惑うと思うし、わたしでは予想できない問題だって浮上するかも。


「グラスリードはわたしの国でもあるもの。わたしも手伝うわ。あなたと一緒なら、どんなことだって乗り越えられると思うの」


 キリアの首から腕を離して、わたしは彼の背中に腕を回した。


 もうわたしは、寝込んでばかりだった弱いお姫様なんかじゃない。

 うんと勉強して、魔法を学んで、精霊たちとの仲を深めて、もっともっとみんなの役に立てるような精霊使いになるわ。


 そうして大好きなこの国を、あなたと二人でこれから守っていくの。

 いつまでも、ずっと。





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