[11-4]王女、あいさつする
コチコチと時計の秒針が進む。
応接間にあるローテーブルを間に挟んで、わたしとキリア、そして父さまは向かい合って座っていた。
皮張りのソファに身体を沈めながら、キリアは口を引き結んで黙ったままだ。
父さまはと言えば、いつもと変わらず穏やかな微笑みを浮かべている。けど、なにかを話す素振りは見せない。
そのせいか、今この部屋は微妙な気まずい雰囲気で満ちていた。
どうしてこんなことになったのかしら。
そもそもは、キリアのある提案から始まったのよね。
わたしの告白を受け入れてくれて、晴れて恋人という間柄になったのは、よかったのだけど。
キリアは一国の王女であるわたしと交際を始める以上、生半可な態度は良くないって言い始めたの。
つまり、結婚を前提としたお付き合いをしていきたいってことね。
それについてはわたしも同じ意見だったわ。
結婚……、はまだ正直わたしの頭では想像もつかないけど、キリアと別れるつもりはないもの。
だから、わたしの父であるグラスリード国王陛下にきちんと挨拶をしておきたいということになったの。
父さまのキリアに対する評価は、そんなに悪くなかったような気がするわ。
そりゃずっと地下牢に囚われてた父さまにとって、キリアは島の外から来た
しかもわたしがキリアに想いを寄せていることまで、なぜかバレていたし……。
もしかしたら精霊に聞いたのかも。父さまって情報収集が得意なんだけど、その情報元って大抵は精霊なのよね。
それにしても、キリアはどう話を切り出すつもりなのだろう。
俺に任せて、とは言っていたのだけど……。
「国王陛下、改めて大事な話があるのです」
「うん、そう聞いているよ? なんだい、話って。ちゃんと聞いてあげるから話してごらん」
キリアは眉間にシワを寄せて重々しく話してるっていうのに、父さまはどうしてそんなに満面の笑顔なのかしら。
もしかして、わたしたちのことを父さまはもう知っているのかな。
「
顔を上げて、キリアはまっすぐな目を父さまに向ける。
話の意図は伝わっただろうけど、娘のわたしにも父さまがどう反応するかいまいち分からない。
いつも優しくて弱いところなんか滅多に見せないけれど、父さまってなにを考えているのかよく分からない時があるのよね。
「たしかに、王家の血を絶やすわけにはいかないね」
口もとは笑みを刷いたまま、けれど父さまは
どうしよう。
分かってはいたけど、やっぱり子供を作れないことって大きな問題なんだわ。
「父さま、おねがい。後継者のことはわたしもちゃんと考えるわ。だけど、わたしもキリアが好きなの。ううん、キリアじゃなきゃだめなの。だから——」
「ちょっと待ちなさい。どうしてきみたちはそんな必死になってるんだい」
父さまったら、いきなり吹き出したかと思えばお腹を抱えて笑い始めてしまった。
どうして笑うのよ。笑いごとじゃないのよ?
こっちはこんなに真剣だっていうのに。もう!
「ひどいわ、父さま。わたしはともかくキリアはすごく悩んで、真剣な態度でわたしと向き合ってくれたのに!」
さすがのわたしも、父さまに腹が立つわ。
だってキリア、散々苦悩して緊張して今日という日にのぞんだんだもの。あんまりな父さまの反応にびっくりして、ぽかんと口を開けたまま彫像のように動かなくなっちゃったし。
「ごめんごめん。あんまりきみたちが将来を見据えた前提で話してくるから、つい。というか心配しすぎだよ。わたしはそんなに厳しい父親に見えるのかな。そんなつもりはなかったんだけど」
笑いすぎて泣けてきたんだろう。
目尻を指で拭いながら父さまは足を組んで、仕切り直すように咳払いした。
どうやら、ちゃんと話してくれる体勢に入ったみたい。
「そんなに子孫を残せないことが気がかりなら、キリア。きみが種族を変えればいいんじゃないのか?」
「——え?」
種族を変えるって……、それってキリアが魔族をやめるってことかしら。
ちょっとそこまでなノリで父さまは言ってるけど、そもそも可能な話なの?
キリアを見たら、彼は瞳を泳がせながら固まってた。完全にフリーズしてる。
もう、父さまが突拍子もないこと言うから、驚いちゃったんだわ。
「父さま、種族を変えるだなんて。そんなことできるわけないじゃない」
「あれ? ティアもキリアも知らないのか? 違う種族同士で結婚したら、その二人には相手と同じ種族になれる機会が種族王からもらえるんだよ?」
「ええっ、そうなの!?」
「俺達人間族よりも、寿命がはるかに長い種族も存在するからね。生涯の伴侶とできるだけ長く添い遂げられるよう、種族王たちも取り計らってくださったんだろう」
知らなかった。完全に勉強不足だわ。
キリアと青藍のおかげで元気な身体になったわけだし、これからちゃんと世界のことを知っていかなくちゃ。
「……知っています」
ぽつりと、そうキリアが言った。
揺れる瑠璃紺の瞳は、まだどこか不安が残っているみたい。彼は困惑した顔で父さまに話しかける。
「結婚による種族変化のことは知っていましたが、俺はすでに人間から魔族になった身です」
「なんと。まさかきみは、吸血鬼に変えられる前の記憶を持っているのか?」
「ええ、すべて憶えています。陛下、種族を変えられるのは一生に一度だけです。だから結婚しても種族を変えられるだなんて、そんなこと考えたこともありませんでした」
吸血鬼に変えられた当時のことも、結婚による種族変化のことも、わたしはなにも知らない。
過去に受けた傷がどれだけ深いのか、知っているのはキリアだけ。そのすべてを分かってあげられるだなんて、無責任なことは言えない。
だけど、痛みは分け合うことができるわ。
そっとキリアの手のひらに触れると、彼はハッとしてわたしを見る。
こくりと頷いて、父さまの顔を見、わたしは尋ねる。
「父さま、結婚すればほんとうにキリアは種族を変えることができるの?」
「大丈夫。変われるよ」
「もう一度、人間に戻れる……?」
「ああ。本人が望めばね」
父さまは力強く頷いてくれた。
やだ、わたしまで泣きそう。
それって、奪われた人間としての人生を再びやり直せるチャンスをもらえるってことじゃない。
「——ただ、言っておくけど」
そう言葉を切って、父さまはわたしたちを真剣な表情で見つめた。
思わず姿勢を正して、聞く姿勢に入る。
「長い寿命を持つ魔族に比べて、私達人間族の寿命ははるかに短い。だから種族を変えると、当然生きられる年数が短くなる。これは誰でもない、キリア自身がよく考えて決めた方がいいだろうね」
「そうですね。ですが陛下、俺はもう決めました」
キリアに触れた手をそのままきゅっと握られる。
手のひらから伝わる、あたたかなぬくもり。どきりと胸が高鳴った。
瑠璃紺の瞳はもう揺らいでいなかった。
「再び人間に戻れるのなら、俺は残りの人生をすべて王女殿下に捧げます」
顔を上げて迷いなく言い切ったキリアの横顔が、ふいに歪んだ。
涙が出てくる。ほんとうに嬉しいのはキリアのはずなのに。
父さまがくすりと笑ったような気がした。
「きみがそう言うのなら、反対はしないよ。娘の伴侶としてきみが城に滞在してくれると私も助かる。まあだけど、今すぐ婚儀を挙げるわけにはいかないけどね?」
「え、あ……そ、それはもちろん。王女殿下が成人するまでお待ちするつもりです!」
「もう、父さま!」
しどろもどろになってキリアが慌てている。
もう、どうして真面目な話をしてるのに、父さまったらからかうのかしら!?
わたしが怒っても、父さまは反省はしてないみたい。おかしそうにくすくす笑う声が聞こえる。
泣いてるのもバカらしくなってきたわ。
ハンカチで涙を拭うと、視界が鮮明になった。
紅茶が入ったカップを片手にいつまでも笑っている父さま。
そして隣には困ったように綺麗な微笑みを浮かべるキリア。その表情はどこか吹っ切れたように、清々しかった。
もう大丈夫かも。心の傷は消えないけれど、たぶん、もう二度とキリアは絶望したりはしないんだと思う。
これから何が起こるのかは分からない。
でもハッピーエンドはすぐそこまできているわ。
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