[11-2]王女、聞き届ける
わたしが父さまに呼び出されたのは、母さまが帰ってきてから三日後のことだった。
「あれ、姫様も呼ばれたの?」
見張りの兵士を伴って応接室へ行くと声をかけられた。
深い瑠璃の瞳がわたしの姿を映してるのが見える。きゅうっと胸が締め付けられる。
ひ、久しぶりのキリアだわ!!
瑠璃紺を基調とした貴族服に身を包んでいて、ソファに座っている姿は絵に描いたように優雅だった。グラスリードの貴族だと言われても違和感がないくらい。
そう思ってしまうのも当然だわ。
だって、彼は国は違えど、本物の貴族だったんだもの。
耳をくすぐるような低い声も、凪いだ夜の海のような穏やかな表情も、全然変わってない。
クーデター解決の出来事から一週間くらいしか経ってないのに、すごく久しぶりに会った気がするのはどうしてかしら。
「う、うん。そうなの。キリアは、元気だった?」
ああ、わたしってばどうして、そんな差し障りのないことしか言えないの!?
会いたかったのに、いざ顔を合わせるとどう声をかけたらいいか分からないわ。
でもキリアは呆れた顔を見せずに、にっこりと笑ってくれた。
「元気だよ。ここ数日は聴取を受けていたけど、もう終わったしね。それより王妃様が戻ってこられたって聞いたよ。よかったね、姫様」
「うん、ありがとう」
ソファから立ち上がって、キリアはわたしに近づいてきてくれた。
背の高い彼を見上げると、突然頭に軽く重みがかかる。
だんだんとてのひらを通して伝わってくるぬくもり。キリアがわたしの頭の上に手を置いてなでている。
ふええええっ、どうしよう!?
キリアがわたしに触ってくるなんて、どうしたのかしら!
ううん、触れられるのが初めてじゃないってことくらい、分かってる。
でも最近はわたしがキリアの心に踏み込んでしまったせいで、ギスギスしていたんだもの。
こうして個人的に距離を詰めてくるのは本当に久しぶりだわ。今までは騎士としてのスタンスを貫いてきたんだもの。
頭をなでなでするのって、普通騎士はしないよね!?
「ど、どうしたの? キリア」
「——え?」
胸がドキドキしているせいか、声が裏返りそうになる。おそるおそる尋ねてみると、キリアは石のように固まってしまった。
触れていた手も宙に浮いて、行き場を失ったまま。
逆に困らせてしまったかも。
でもキリアが顔をこわばらせたのは一瞬だけだった。すぐにはっとして、なぜか困ったように笑った。
「ごめんね、びっくりさせて。久しぶりに姫様に会えてうれしかったんだ」
大きなてのひらで口もとを隠して、気まずそうにキリアは目を泳がせている。
うわあ、うわあ。どうしよう、すごくうれしい!
キリアもわたしと同じ気持ちだったんだわ。
会えなくってさびしかったけれど、少しは期待してもいいってことなのかな。
あ、でも。
待っているだけじゃだめかもしれないってことは、ライさんに言われていたんだっけ。
わたしも行動しなきゃ。
ライさんだって、獣人さんに嫌われやすかったり帝国から逃亡してきた身だったのに、自分からノア先生にアタックしたんだもの。
まず動かなくちゃ、なにもできないわ。
よしっ。
「ねえ、キリア。わたし、あなたに——」
「もう二人とも来ていたんだね」
意を決した放たれようとしたわたしの言葉は、あっさりと父さまによって阻まれてしまった。
うう。ひどいわ、父さま。なんてタイミングなのかしら。
呼び出された身で、キリアと話をしようとしたわたしも、そりゃ悪いのだけど……。
「ティア、どうしたんだい?」
「……ううん、なんでもないの」
「そう? ならいいんだけどね」
むすっとしたわたしの顔を覗き込んで、父さまは不思議そうに首を傾げてる。
牢にいた時と違って、すっかり身なりを整えた父さまは、はたから見ると清潔感のある若い男の人って感じだ。
姿勢がよくて、優しげな面立ちをしていて、父さまは基本的に人当たりがいい。国民に愛されているのは、いつも好感的な笑顔を向けるからなのかもしれない。もちろん支持を得ているのは、それだけじゃないのだけど。
父さま本人は、昔から童顔のせいで若く見られるんだって言ってたっけ。
「さあ、ロディとクロも入りなさい」
手招きされて入ってきたクロは、人の姿だった。
お城がいくら広いと言っても、応接間で大きな犬の姿だと狭くなるからかな。もしかすると、父さまが人型でいるように命じているのかもしれない。
ロディ兄さまは勾留中なのもあって、両手に枷を嵌められていた。見張りの兵士に挟まれて部屋に入ってくる。
うつむいていて、表情はよく見えなかった。
今はシャツにスラックスというシンプルな服装だわ。前に対峙した時は貴族服だったし、顔を合わせている場所も違うせいもあるかもしれないけど、少し痩せたような気がする。
「とりあえず座って話そうか。処分を決定する前に、みんなに聞きたいことがあるんだ。そのためにきみたちに集まってもらったわけだけど……、まずはロディ」
兵士に監視される中、ロディ兄さまが顔を上げた。
琥珀色の瞳を見開いて、まっすぐ父さまを見ている。
「ロディも、彼らに伝えたいことがあるのだろう?」
「僕は……」
眉を寄せて視線を落とす兄さまは、
口を開きかけて、ためらったように閉じる。何度かその動作を繰り返したあと、ロディ兄さまはわたしをまっすぐに見つめた。
「僕は、まず君に謝らなくちゃいけない。ティア、すまなかった。正気を失っていたとはいえ、僕に信頼を寄せてくれた君を、ひどく傷付けてしまった。謝って済むとは勿論思っていない。許してくれだなんて言わないよ」
「兄さま……」
肩を落としたロディ兄さまは深く頭を下げてくれた。膝の上に置いた手が白くなるくらい握りしめている。
その姿を見て、わたしはホッとして力が抜けそうになった。
ロディ兄さまだ。わたしの知ってる、ロディ兄さまに戻ってる。
ナイフのような、あの鋭くて冷たい目をした兄さまは、もうどこにもいない。
「そしてクローディアスにも謝りたい」
ロディ兄さまの言葉に、クロの三角耳がピクリと反応した。
何も言わず真剣な表情を向けている。
「君の信頼を裏切り、少しの慈悲も与えず、僕は理不尽に君の命を奪ってしまった。クローディアス、すまなかったの一言では言い足りないくらい、ひどいことをした。恨まれても仕方ない。だから、」
勢いよく顔を上げて、ロディ兄さまは父さまを見上げた。
沈んでいた様子から一変し、目を細めて重い表情を向ける。
「国王陛下、僕はもう処刑してくれと言って逃げたりはしません。どんな重い処分でも謹んでお受け致します。自分の犯した罪を一生かけて償うつもりです」
兄さまが拘束されてからのことは知らないし、父さまとの間にどんなやり取りがあったのか、わたしには分からない。
彼の口ぶりからすると、ロディ兄さまは処刑を望んでいたのかもしれない。
もちろん、裁判もせずに父さまが独断で望みを叶えるはずもないわ。けれど、そう口に出すほどに、ロディ兄さまは自分を追い詰めていたのね。
兄さまはもともと優しくて真面目なひとだったもの。
今こうしている間も、国の外にいる魔族が他種族を虐げている現状に、誰よりも心を痛めていたのは、兄さまだったわ。
呪いのせいとはいえ、その自分がわたしたち人間に牙を向けたことが、ロディ兄さまの中で大きなショックだったのかも。
「きみの気持ちは解ったよ、ロディ。じゃあ、次はティアだね」
「わたし?」
「そうだよ。ティアはロディを許せるかい? おまえの本当の気持ちを聞かせてくれないかな」
わたしのほんとうの気持ちを、ロディ兄さまの目の前で話すってこと?
このやり取りにどういう意味があるのかしら。
父さまはわたしに何をさせたいのだろう。
でも、そうね。罪悪感を抱いている兄さまに、わたしの気持ちを伝えるいい機会なのかもしれないわ。
「わたしは、ロディ兄さまを許します」
勢いよく兄さまがわたしを見た。
不安げに揺れる琥珀色の瞳が、彼の心境を物語っているような気がする。
だからわたしはロディ兄さまの瞳を見返して、続きを話す。
「裏切られた時は悲しかったし、とても辛かったわ。海に落ちてわたしは死にかけたけれど、そのおかげでキリアや他のみんなと出会うことができたの。お城では見たことのない料理を食べることができたし、王都で国民たちの暮らしを体験できたわ。身体だって前よりも丈夫になって、自由に動き回れるようになった。ここ半月でたくさんの素晴らしい経験ができたの。だから、わたしはロディ兄さまを許すわ」
そもそもわたしが死にかけなければ、キリアに出会うことはなかったもの。
ライさんやケイトさん、ノア先生、ガルくんにハウラさん。あとララちゃんも。
いにしえの時代に辛い経験をしたリシャさんや、統括者さまに〝世界の嘆き〟と呼ばれたシロちゃん。
今ではかけがえのない、わたしの大切なお友達だわ。
「……ティア、ごめん。ありがとう」
「きみの気持ちは解ったよ、ティア。クローディアスはどうだい? きみはロディを許せるか?」
ソファに座っていたクロは真顔で父さまを見ていた。
彼がどう思っているのか、何て言うつもりなのか、全然わからない。
玉座の間でロディ兄さまと対峙した時、クロは犬の姿で、怒りをあらわにしていた。
父さまを手にかけようとしていたのもあるんだろうけど、兄さまを見たら自分の気持ちを抑えられなくなったのかもしれない。
やっぱり、心のどこかではロディ兄さまのことを恨んでいるのかな。
「ボクとしては特になにもありません。本当に反省していて、今後国王陛下や王妃さま、なにより姫さまに危害を加えないのなら、それでいいです。結果的に姫さまも国王陛下もご無事でしたし」
予想よりもあっさりしたコメントだったわ。
隣でキリアが深いため息を吐いている。
一番の被害者なのに、クロが淡白なことを言うから呆れちゃったのかしら。
「きみは本当にブレないね、クローディアス。まあ、いい。きみがそう言ってロディを許すと言うなら、私から提案があるんだ。……青藍」
握り込んだ父さまの手から青い光がほとばしる。
瞬きひとつの間に、青藍が父さまの隣に立っていた。
紺青色の尻尾が揺れ、絨毯をこする音がする。
「ロディが事情を把握していないから、一応説明するよ。クローディアスは命を失ったが、主君を守りたいという想いに引き寄せられた
「はい、その通りですけど……」
「で、あるなら、クローディアスを人間として蘇生させ、魂を元の状態に戻すことも可能だ。青藍がもついにしえの竜としての力を使えばね」
「——えっ」
呆気に取られてぽかんと口を開けたままのクロと、子どものように目を輝かせる父さま。
逃げるようにクロは目をそらした。
「……陛下、そんなの無理ですよ」
しばらくしてから、彼はポツリと言った。けれど父さまは首を横に振る。
「無理じゃあないさ。その証拠に、〝世界の嘆き〟とその魔物に取り込まれたリシャール様は冥王竜の力で元の状態に戻った。きみと
「そ、それはシロの力でリシャールの身体を創ったからです! ボクの身体はもう土の中ですし、埋められてからだいぶ日が経っています。蘇生させるには身体がどうしても必要です。そのことは魔法に熟達されている陛下がよくご存知のはずです」
「きみの身体のことなら心配は要らない。これでも私は運がいい方でね、都合がいいことに監禁されてすぐある情報屋が近づいてくれたから、すぐにきみの身体を掘り出すことができた。今は特殊な魔法で冷凍保存されているよ」
クロが反論すれば、父さまが有無を言わさない勢いで次々と言葉で畳み掛けていく。
いつも落ち着いているクロが目を泳がせている。はたから見ていて、大きく動揺しているのは明らかだった。
父さまに、言葉で勝てるはずないわ。とても賢くて、どの貴族だって言い負かせることはできないもの。
「クローディアス、きみがロディをいくら許すと言ってもね、ロディがきみの命を奪ったのは事実だ。過去は変えられないし、互いに負った傷も癒えることはないだろう。だけど、きみが人間として戻ってきてくれるのなら、ロディもいくらか楽になるんじゃないかな。もちろんロディのしたことがなかったことになるわけじゃない。だけど、きみが人間の騎士として戻ってきてくれるのなら、私は嬉しいな」
父さまの声は穏やかだった。聞き分けのない子どもをなだめるような、優しい声音。
ついになにも言えなくなったのか、黒い両目は青藍をとらえる。
「青藍は、ボクに力を使って、統括者に咎められたりしないんですか?」
「勿論統括者の許可は降りてるさ。今回の事件は、もとはといえばいにしえの呪いが元凶だからな。それに、人間としてあんたを生き返らせて欲しいと俺に頼み込んできたのは、ティアなんだぜ?」
「姫さまが……?」
不安を打ち払うように、青藍はにっこりと笑った。
そしてついに、クロはわたしを見る。
不安に揺れる黒い瞳。狼達が来ても、ロディ兄さまを目の前にしても、その瞳は一度だって揺らがなかった。
今こうして動揺してるのはきっと、クロが人間として生きることを諦めていたからだと思うの。
「狼達に襲われていた時、真っ先に助けに来てくれてすごく嬉しかった。その姿は嫌いじゃないけれど、やっぱりクロには騎士として仕えて欲しいの。ねえ、クロ。根付いていた呪いがなくなって、これからグラスリードはきっと変わるわ。前みたいにあなたに人間の姿で、わたしのそばで支えてくれないかしら」
立ち上がって、頼りない足取りでクロが近づいてくる。
みんな何も言わなかった。静観して、一人の騎士を見守っている。
わたしのすぐ目の前まで近づくと、クロは片膝をついた。
濡れた漆黒の瞳をきゅっと細め、頭を下げる。
「もったいないお言葉です、姫さま。このご恩は一生忘れません」
その震えた声を聴いたら、涙がこみ上げてきて視界が揺れた。
お礼を言うのはわたしの方なのに。
いつも守ってくれてありがとう、クローディアス。
あなたのようにわたしも、この先どんなことが待ち受けていたとしても、この国の未来を決して諦めたりしないわ。
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