最終章 雪国の王女は吸血鬼騎士と共に春を迎える

[11-1]王女、迎える

 大きな窓から太陽の光が降り注いでくる。

 昼間からベッドに寝転がっていたわたしは、盛大なため息をついていた。


「ひまだなあ……」


 ロディ兄さまによるクーデターは失敗に終わり、事件は無事に解決した。

 今はこうしてお城の私室で過ごせるようになったの。


 キリアやライさん、ノア先生やケイトさんたちはわたしの恩人として、父さまはお城の滞在することを許可してくれた。

 解決したとは言っても、後処理のお仕事が山のようにあるみたい。

 今回の件で渦中にいたわたしやキリアたちを含め、城内関係者すべての聴取を取らなくちゃいけないみたいで、王城滞在の許可が下りたのはそういう事情もあるんだって。


 わたしは最初に聴取を受けたからもう自由に動けるんだけど、あまり部屋から出してもらえなかった。

 仕方ないのは分かってる。お城の女官達はベッドで伏せってばかりだった病弱なわたししか知らないもの。


 でも部屋を一歩出ただけで、一斉に取り囲むことないわ。

 図書室の本を借りに行きたかったのに……。


 そういうわけで、今のところわたしは部屋の中で時間を過ごすことにしているの。


 お城を取り戻してから、キリアとは会えないまま。

 見張りをしている兵士に聞いてみたら、彼は聴取を受けてるみたい。

 いつもそばにいるクロも、半泣きの先輩騎士達に捕まって連れて行かれちゃったし。あの騎士達も聴取を受けるだろうし、一緒に取り調べを受けてるのかな。


 部屋にある本を開いてもなんとなく読む気にはなれなくて、寝ているのも飽きてきた。

 ぼんやりと天井に吊り下げられているシャンデリアを眺めていたら、ふいにドアをノックする音が聞こえてきた。


 あわててベッドから下りて、手櫛で髪を整える。


「どうぞ」


 ガチャリと両扉が開いたとたん、懐かしい声が聞こえてきた。


「ティア、ただいまぁ!」

「母さま!?」


 細い両腕を広げて、女の人が満面の笑顔で部屋に飛び込んできた。


 緩く波打ったコバルトブルーの髪に、ぱっちりとした大きな両目は海みたいな紺碧色。

 鮮やかなブルーのドレスに身を包んだその姿は、半月ぶりに見る母さまだった。


 胸が熱くなって、思わず手を握りしめる。


 どうしよう。うれしくて泣きそう。


 そう思ったのも束の間、ぎゅっと抱きしめられた。


「無事でよかったわ。あたしの可愛いティア」

「母さま……」


 周囲にいる人たちを元気にさせるくらい、いつも明るい母さまだけど、声が震えていた。いつもキラキラ輝いている瞳は潤んでいて、今にも泣き出しそう。

 きっとたくさん心配をかけてしまったんだわ。

 そもそも青藍――冥王竜に救援を依頼したのは母さまだって話だったのだし。


「わたしは元気よ、母さま。冥王竜の竜石を飲んだせいか、前よりもずっと身体の調子がいいの」


 顔を上げて、わたしは母さまに笑いかける。少しでも安心してもらえるように。

 なのに、なぜかぎゅうううとますます腕の力を込められる。


 逆に不安をあおってしまったのかしら。

 抱擁は嬉しいけど、そろそろ苦しくなってきたわ。母さまって、意外と腕の力強いのだけどっ。


「ルル、そのあたりでティアを解放してあげたらどうだ?」


 天の声が聞こえてきた。

 背伸びをしてみると、母さまの肩越しに見えるのは、紺青の髪と髪の間から突き出ている黒い角。青藍だった。


「ええー、せっかく久しぶりに会えたのにぃ」

「今からいくらでも一緒にいる時間は取れるだろ? いつまでもティアを独り占めしないで俺達に貸して欲しいな」

「もう、しょうがないわね」


 不満そうに口を尖らせながらも、母さまは腕を離してくれた。

 子どもみたいに抱きついて甘える癖は相変わらずみたい。ほんとうに元気そうでよかった。

 

「青藍は何しに来たの?」

「久しぶりの王城生活に、ティアがそろそろ退屈になっているんじゃないかな、と思って遊びに来たんだ。彼女と一緒にな」


 青藍はくすりと笑って、ちらっと後ろを見る。

 かれの背中から見えるのは細長い尻尾。二藍色で先っぽが黒い毛並みのそれは、忙しなく揺れていて……。


「ケイトさん?」

「こうして顔を合わすのは、久しぶりだな。姫」


 声をかけるとひょっこり顔を出してくれた。

 少し顔が赤くなっているけど、どうして恥ずかしがっているんだろう。


 耳当て付きの帽子はお城の中でも被っていなかった。

 チャコールグレーのコート姿なのは初めて会った時と変わっていない。青藍の後ろで、落ち着かない様子で尻尾を動かしてる。


「姫もロディがどうしているか気になっているかと思ってな」


 暇を持て余しているわたしの様子を見に来たのかなと思っていたけど、ちょっと違ったみたい。


 兄さまのからだに巣食っていた呪いは取り除いたものの、彼が正気を取り戻してから一度も会っていない。

 ひどい言葉もかけられたし、何度も殺されかけた。

 もう彼に対しては憧れの気持ちはないけれど、ロディ兄さまがどうなってしまうのか気になっていた。


「ケイトさんはロディ兄さまがどうしているか知っているの?」

「ああ。正気が戻ってから、陛下はすべてロディが行ったことを本人に説明したそうだ。ショックを受けていたが、大人しく地下牢に入って反省しているよ。食事も取っているし、悲観しすぎている様子もない」

「体調を崩したりはしていないの?」

「ああ、健康面は問題ない」


 想像していたより悪くはなさそう。

 やってしまったことはもう元には戻せない。ロディ兄さまが自分を責めて、思い詰めていなければいいと思っていたの。

 でもやっぱり、心の隅で気にかかっていることがある。


「ロディ兄さまはこれからどうなってしまうのかしら」


 政変を起こして、王族を手にかけようとした。

 いくらいにしえの呪いで正気を失っていたとはいっても、ロディ兄さまが犯した罪は決して小さくない。

 普通だったら、処刑になってもおかしくがないわ。


 家族を奪われかけて、しかも命を失いかけたのに。キリアだって、ロディ兄さまのせいで高熱に苦しんだのに、どうしてこんなにも兄さまのことが心配になるのだろう。


「ティアは優しいな。この国の王は優しいように見えて、厳しい一面もあるからな。不安に思うのも無理はないだろう」


 青藍がくすりと笑った。

 隣で、こくりとケイトさんが頷く。


「今回は比較的犠牲者が少なかったのが幸いだったが、ゼロではない。王族に手をかけたのも事実だ。いずれ正式に処分が下されるだろうが、陛下は姫に黙って事を運ぶようなことはしないと思う。きっとその時になれば、国王に呼ばれるだろうよ」

「そう、だよね……」


 父さまは身内だからって処分を甘くしたりしない。

 国王としての立場と責任を、誰よりも真剣に受け止めているもの。きっと公平な裁きを下すはずだわ。


「大丈夫だ、ティア。悪いことにはならないと思うぜ? なんとなく、そんな予感がするんだ」


 何の保証もない言葉だったけど、青藍にそう言われたら、少し心が軽くなった。

 そうよね。いにしえの冥王竜であるかれがそう言うのなら、きっと最悪なことにはならないわ。


「そういえば、クローディアスはいないのねぇ。あたし、久しぶりにあの子に会いたかったのに!」


 重い空気を振り払うように、明るい声で母さまが言った。

 きょろきょろと見回して、不思議そうに首を傾げている。


 クロが墓守犬チャーチグリムになってから、母さまは一度も会ってないんだっけ。


「クロは他の騎士達と一緒に聴取を受けてるの。ねえ、青藍。クロのことで、わたし、いにしえの冥王竜としてあなたに頼みことがあるのだけど」

「なんだい?」


 少し前から考えていたことがあった。

 ファーレの森にある氷の洞窟に向かっていた時から、ずっと。


 幼い時から仕えてくれたわたしの騎士ナイトのため、わたしがしてあげられること。


 人間に過ぎないわたしができることは、そう多くない。

 彼を救うためには、青藍に頼るしかないわ。


 思いきって頼みごとを伝えると、青藍は嫌な顔をしなかった。

 にっこりと笑って、二つ返事で頷いてくれたの。


「うん、分かった。とてもいい案だと思うよ」

「……青藍、大丈夫なのか?」


 二藍色の三角耳を不安げに下げて、ケイトさんが心配そうに青藍を覗き込んでいる。

 その彼女の頭を、青藍は大きなてのひらでぽんぽんと軽くたたく。


「統括者にも一応聞いてみるけど、きっと彼は頷いてくれるだろう。元はと言えば、いにしえの呪いが引き起こしたことだしな」


 よかった、引き受けてくれるみたい。

 ほっと胸を撫で下ろして、わたしは青藍に笑顔を向けた。


「ありがとう、青藍」

「どういたしまして。あんたたち人族にはしあわせな道を歩んで欲しいと思ってる。大丈夫さ、ティア。時がくれば、俺がなんとかしてあげよう」


 青藍って、やっぱり優しい竜だわ。

 わたしの命の恩人で、母さまをかくまってくれたひと。

 きっとかれも、クロのことを心配している。


 大丈夫、悪いことは起きない。

 もう誰も失うことにはならないはず。


 ハッピーエンドはすぐそこまできているわ。

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