[10-4]王女、祈る

 ロディ兄さまからキリアを守るには、どうしたらいいの?


 父さまみたいに影縫いの魔法をかけてみるのはどうかしら。


 でもさっき父さまは、突っ込んでいこうとしたライさんやクロを止めたわ。

 もしかすると、勝負に水を差すのはよくないのかも。わたしも止められちゃう。

 それにわたしの未熟な魔法が、ロディ兄さまに効くかは分からない。魔族って、もともと魔法の扱いが上手な種族だし……。


 どういう手を打つのが、正解なのかしら。


 わたしの取り柄は魔法だけだわ。

 精霊と心を通わせられるのは、母さまが元精霊だったおかげ。

 グラスリードの精霊達と縁があるからこそ、わたしは魔法を使うことができる。


 そう考えた時、ふと頭の中に声がよみがえってきた。


 ——海の精霊達はね、どんなことがあってもティアの味方なのよ。


 凍るようなひどく冷たい海の中へ、無防備に叩きつけられた時。

 ナイフで刺されたような痛みに襲われながら、意識が遠のきそうになっていた時に、夢に出てきた母さまの言葉。


 グラスリードの海に棲む人魚マーメイドだった母さま。


 母さまの言葉は嘘ではなかったわ。

 海の精霊はわたしの命が尽きないように助けてくれたし、陸にすむ精霊達だってずっとそばにいてくれた。


 大きな狼達と戦った時も、光竜の巣穴の近くでガルくんが傷を負った時も、いつだって呼びかければ助けてくれた。


 玉座の間まで活路を開いてくれたリシャさんも言っていたわ。


 ——幸いこの城にも水の精霊は多い。負けることはないよ。


 いつも精霊達かれらはわたしの、ううんわたしたち人間に寄り添ってくれる。助けになってくれようとするわ。

 それなら、わたしのすべきことは、たったひとつ。


 胸の前で手を組み合わせて、そっと目を閉じる。

 聞こえてくる金属音さえも遮断して、わたしは集中する。


「グラスリードの精霊達よ、どうかおねがい。ありったけの幸運をキリアに与えてください」


 精霊達なら、わたしのこの想いを届けてくれるはず。


 目を開けると眩く光る粒子がキリアのからだを包み込んでいった。

 手を握って思わず見守っていると、不意に彼は足を踏み外してしまう。


 危ない!


 身体のバランスが崩れたところに、ロディ兄さまの刃がキリアに迫る。

 けれど、ぐらりとよろめいたおかげなのか、兄さまの剣はキリアには届かず、彼の髪をかすっただけだった。


 キリアは好機を逃さなかった。


 自分のロングソードでロディ兄さまの剣を流して懐に入る。

 そしてためらうことなく、兄さまの鳩尾に剣の柄を叩き込んだ。


「うっ……」


 呻き声をもらしたまま、ロディ兄さまは膝をついた。

 その彼をキリアは抱き抱える。


 そっと床の上に寝かせてもロディ兄さまは起きるそぶりを見せない。


 気絶、したのかな。


「終わったよ、姫様」


 キリアは穏やかにそう言って、わたしに微笑みかけてくれた。

 だからわたしも泣きそうなのを我慢してキリアに笑顔を向ける。


 やっと、終わったんだ。


 誰の血も流さず、ロディ兄さまを捕らえることができた。

 きっと、お城も囚われている人たちも、ぜんぶ取り戻せるわ。


 わたしたちの戦いは今、終わったんだ。






「ティア、よく頑張ったね」


 こみ上げてくる涙をハンカチで拭き取っていると、父さまが声をかけてくれた。


 いつもシワひとつない宮廷服がよれっとしているのは、ずっと地下牢に閉じ込められていたせいかしら。

 よく見れば少しヒゲも伸びている。


「ううん、そんなことないわ。みんなが助けてくれたの。わたし一人の力でできたことってあまり多くないのよ」

「助けたい、力になりたいって思わせるその素質も、ティアの才能の一つだよ。伏せってばかりだったおまえが民を率いて助けに来るなんて思ってなかったな。でも一番驚いたのは、おまえが精霊に祝福を求めて祈ったことだ」


 父さまは楽しそうな目をして、にやりと笑った。


「私としては、ティアはロディに影縫いの魔法をかけると思っていたんだけどな。誰かのために真心を込めて精霊に祈るなんて、私もルルも教えた覚えはないのによく思いついたね。どうやらあの騎士の彼は、おまえの大切な人らしい」


 いたずらっぽく笑う父さまの意図を、今になって察した。

 一気に顔が熱くなる。


「ちょっ、父さま!? いきなりなにを言うの!?」

「ははは。ティアはすぐ顔に出るから、分かりやすいなあ」

「もう、今はそれどころじゃないでしょう? 早く青藍を呼んで、兄さまを正常に戻さなきゃっ」


 ずっと牢屋の中に囚われていたというのに、父さまったら元気だ。

 さっきだって来るのが少しでも遅かったら、ロディ兄さまに殺されていたかもしれなかったのに。


 ポケットに入れた青藍の竜石を握って、わたしは心の中でかれの名前を念じた。


 てのひらの中の石が青く光った、その瞬間。

 目の前に長身の青年が顕現けんげんする。


 大きな骨の両翼に、紺青の短い髪と太い尻尾。

 髪の間から見えるのは黒く光るねじれた角。

 いにしえの冥王竜と呼ばれたかれは、いつものように柔らかい笑みをたたえていた。


「お疲れ様、ティア。無事に終わったみたいだな」

「ええ。お願い、青藍。ロディ兄さまの中にある呪いの源を取り出してあげて」

「もちろん、そのつもりだ」


 青藍は尻尾を揺らしながら、ロディ兄さまとキリアに近づいていく。

 キリアと少し言葉を交わしたあと、兄さまのそばにしゃがみこんで、手をかざした。


 仰向けに寝かせられた兄さまのからだから、真っ黒な煙のようなものがあふれ出る。


 煙みたいだけど触れるみたい。青藍が大きな手でソレをつかんでぐいっと引っ張る。

 どんどん大きくなっていってるんだけど、大丈夫なのかしら。

 あんなものが、ロディ兄さまの中に入っていたなんて。


 青藍のそばにいたキリアは絶句して、事の成り行きを見守っている。

 無理もないわ。黒い煙みたいなものは時々小さく動いていて、見ているわたしも気持ち悪くなってくるもの。青藍本人は涼しい顔をしているけれど。


「さあ、クロ。あんたの仕事だ。早くこれを処理してくれ」

『はい! 分かりました!』


 黒いもやに、クロが大きく口を開けてかぶりつく。

 口を動かしてもぐもぐと咀嚼そしゃくしていると、わたしたちのからだよりも大きかったもやがだんだん小さくなっていった。

 そしてゴックンと飲み下す頃には、カゲも形もなくなっていた。


「ほんとに食べちゃった……」


 何度見てもびっくりするし、不安になる。


 ロディ兄さまを蝕んでいたあの呪いの源は、チャーチグリムにとっては食糧でしかない。

 何度も説明してもらったし、今のクロは魔物の身体だって分かっているんだけど、呪いなんて食べて彼になにも異常が起きないのか心配でたまらない。


「大丈夫だよ、ティア。私たちにとっては害にしかならない呪いでも、チャーチグリムはそれを体内で魔力に変えることができるんだ。より力を付けたんじゃないかな」

「父さま……」


 なにも話していないのに、なぜか父さまはすべて分かっているかのような口ぶりだ。


 どうしてクロのことをなにも聞かないのだろう。

 病弱だったわたしを、今も心配する素振りを見せないのはなぜ?


 父さまには聞きたいことが色々あるけれど、とりあえず今は後回し。ロディ兄さまに囚われていた人を解放しなきゃ。


「ライさん、ノア先生を助けに行きましょう?」

「ああ、そうだな。姫様、地下牢の場所は分かるか?」

「うん、大丈夫。わたしが案内するわ」

「誰を助けるって?」


 ふいに聞こえた明るい声に、振り返る。

 きっとライさんも同じように振り返ったはずだわ。


「ノア!」


 開け放した大きな両扉の前に、人影がふたつたたずんでいた。


 薄いグレーの細長い尻尾を揺らしながら、真っ白な白衣姿で艶やかに笑うその姿は出会った時のまま。

 ほっと胸を撫で下ろすと同時に、また視界が歪む。


 ライさんが駆け出すと同時に、ノア先生も走り出す。

 触れる位置まで近づいたと思ったら、ライさんは先生の小さな身体を抱きしめた。

 力強い両腕におさまったノア先生が顔を上げる。細い両腕をライさんの身体に回して抱きしめ合うその姿を見た途端、胸の中に温かいものが灯る。


 ライさんとノア先生が無事に再会できて、ほんとうによかった。


 わたしは心の底からうれしくなって、そっと二人を祝福したのだった。

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