[10-3]王女、玉座に入る

 階段を登りきると、すぐ目の前には厚い二つ扉。

 キリアは金であしらわれた取っ手をつかんで、押し開けた。


 中は広い部屋が広がっている。玉座のすぐそばにロディ兄さまがいた。


 その右手には、ぎらりと鈍く光るロングソード。

 すぐそばには背の高い誰かがいて、その腕は兄さまの左手に捕われている。


「あれは……」


 驚きに満ちたキリアの声が耳を通り過ぎる中、そのひとがゆっくりとこちらを向いた。

 その瞬間、時が止まる。


 緩く結ばれた長い水色の髪。両目も髪と同じ水色で、大きくみはってこっちを見ている。

 だいぶよれっとしているけど、白を基調とした立ち襟の宮廷服に身を包んだその姿は、別れた頃とちっとも変わっていない。


 ふいに視界が歪んで、涙があふれてきた。


「父さま……!」

「ティア!?」


 どうして地下牢に囚われているはずの父さまがここにいるの?

 父さまが自分で牢から出てこれるはずがないわ。きっと、牢から連れ出されたんだ。

 抜き身の剣を持ったまま、ロディ兄さまは何をしようとしていたの?


 すかさずロディ兄さまを睨むと、彼はわたしを見て、凄むように微笑んだ。


「ずいぶんと早かったね」

「父さまを、どうするつもりだったの?」


 手が震えそうになるのを我慢して、わたしはまっすぐにロディ兄さまから目を逸らさずに尋ねた。

 一瞬だけ目を丸くしたけど、ロディ兄さまはすぐにニヤリと笑う。もちろん、父さまの腕を離す様子はない。


「そんなことも分からないのかい、ティア。こいつがどうしても謀反を企んだ医者に手を出すなとうるさくてね。殺すなら自分を先に殺せと言うから、望みを叶えようとしただけだよ」

「てめえ……!!」

「よせ、ライ!」


 怒っていたのはわたしだけじゃなかったみたい。

 まさかライさんが、感情を爆発させてロディ兄さまに飛びかかっていくとは思ってなくて、頭が真っ白になる。

 

 どうしよう。

 ロディ兄さまを拘束するのはキリアとライさんの役目だけど、でも。

 万が一にでも、ライさんが正気でない兄さまを傷つけでもしたら——!


 走りゆく親友をキリアが追いすがる。

 わたしはとっさのことで動くことができなかった。


 けれど、唐突にライさんの足がピタッと止まる。まるでなにかに縫いとめられたかのように。


 すぐにキリアが追いついて、ライさんを連れ戻していた。親友になだめられれば、きっとじきに彼も冷静さを取り戻すだろう。よかった、間に合って。

 でもどうして、ライさんは急に動きを止めたのかしら。


 気になるけれど、今は他のことに気を取られている場合じゃない。


 父さまの元気な姿が見れてほんとうに良かった。

 あとはぜんぶ取り戻すだけだわ。


「決着をつけましょう、ロディ兄さま」

「言うようになったじゃないか。いいよ、やろうか」


 笑みを深くして、ロディ兄さまが父さまから手を離す。

 わたしも前に進み出る。

 緊張で、お腹のあたりで組み合わせた手に力をこめた時、ふと前に人影が現れた。


「出たな、吸血鬼」


 イライラとした声で、ロディ兄さまが言った。


 ふわりと、柑橘系の香水の匂いが鼻先をくすぐる。

 キリアは振り返らずにただ前を睨みつけていた。


「今度こそ、姫様には指一本触れさせやしない」


 すぐ近くで金属音が滑った。

 腰のベルトから剣を抜き、キリアはロディ兄さまにその切っ先を突き付ける。

 怯える様子も見せず、兄さまはキリアを鼻で笑った。


「お前が最後まで立っていられたら、いいけどな」

「うるさい」


 キリアは前に踏み込むと同時に、剣を振り上げた。

 ロディ兄さまは自分の剣で受け止めたものの、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。もしかすると腕が痺れるほどの一撃だったのかもしれない。


 そのままキリアの剣を流して、横殴りに刃を振るう。


 少し後ろに飛び退いて避けると、キリアは兄さまの懐にまっすぐ剣を突く。

 兄さまはギリギリで剣の刀身で防いでしまった。


 見ているだけでハラハラしてくる。


 どうしよう。わたしも応戦した方がいいよね。


『グルルルルル……』


 間近で聞こえてきた唸り声にびっくりして横を見ると、そばにいたクロが鼻筋を立ててロディ兄さまを睨んでいた。

 いつもくりっとした黒い両目が鋭くつり上がっている。


 ——ボクは、ロディに対して恨むとか、そういう気持ちはあまりないです。


 昨日の夜はそう言っていたのに、クロの中ではやっぱり少しでも煮えきれない気持ちがあったのかもしれない。

 ライさんはともかく、今のクロは大きなからだをもつ魔物だし、彼が暴れてしまったらとてもわたしでは止められそうにない。

 それにクロが入れば混戦状態になっちゃって、キリアに迷惑がかかってしまうかも。

 どうしよう。


 ぐるぐると悩んでいるうちに、クロが尻尾をピンと張ったまま頭を低くした。前足の爪が大理石の床に食い込む。

 白い歯をむき出しにして、獲物を見据えるような目を細めた。その時。


「待ちなさい、クローディアス。そして金髪のきみも。二人とも、そのまま大人しく見ていなさい」


 いつの間にかすぐそばまで父さまが来ていた。

 柔らかい微笑みを浮かべつつ、でも毅然とした低い声音で、クロとライさんにそう言った。


『……かしこまりました』


 すっと姿勢を正して、クロが腰を落とす。敵意に満ちていた黒い目は、穏やかな光をたたえている。

 よかった、落ち着いたみたい。

 ホッと胸を撫で下ろしていると、不機嫌そうなライさんの声が聞こえてきた。


「あんただろ。さっき、俺に影縫いの魔法をかけたのは。詠唱なんか聞こえなかったから、一瞬びっくりしたぜ」


 さっき、って……。もしかしてロディ兄さまに飛びかかろうとした時のことかしら。

 急に立ち止まったと思ったら、魔法をかけられてたなんて!


 たしかに父さまは精霊との相性がいいし、わたしと同じで魔法語ルーンを唱えるところなんてあまり見たことないけれど……。


 口を引き結んで不満げな顔をするライさんを見て、父さまは柔らかく微笑んだ。細められた水色の瞳は楽しそうな輝きに満ちている。

 ああ、確信犯だわ。大抵こういう顔をする時は、父さまったら分かっててやってるもの。


「父さま、どうして?」

「今はゆっくり説明している時間はない。ティア、おまえはおまえの騎士の戦いを見届けて、必要なら援護してやりなさい。そうすれば、じきにすべて終わるだろう」


 少しだけ目をつり上げて、父さまはロディ兄さまに視線を向けた。


 父さまがなぜ黙って見ているだけでなにもしないのか、わたしには分からない。

 作戦のこともたぶん知らないはずだけど……。

 もしかしたら、父さまは父さまでなにか考えがあるのかもしれない。


 ライさんを足止めして、クロが加勢するのもとどめたってことは、横槍を入れてはいけないってことなのかしら。


 キリアとロディ兄さまの剣戟はまだ続いている。


 魔族同士とはいっても、普通に考えて吸血鬼のキリアの方が勝負は有利だと思う。

 だけどロディ兄さまもちゃんと対策はしていて、一度もキリアと目を合わせようとしていない。


 キリアの実力はどのくらいなのか分からない。

 剣の腕前はロディ兄さまとあまり変わらないのかしら。


 最初は自ら切り込んでいってたのに、今のキリアは剣を突き入れてくるのを刀身で防いでいた。

 防戦一方という感じで、立場が逆転してしまっている。


「毒がこわくなったのかい?」


 ぽつりとロディ兄さまが言った。

 言い返さない変わりに、キリアがロディ兄さまをきつく睨みつける。


 そうよ、毒だわ!

  

 ラヴィーネ墓地で会った時、ロディ兄さまは剣に毒を塗っていた。今回も刀身に毒を塗っていてもおかしくない。


 ほんの少しのかすり傷でも、傷口から毒が入ってしまえば、勝負は決まってしまう。ううん、今度こそ死んでしまうかもしれない。


「……お前のことだ。剣に毒を塗ってあるのだろう?」

「当然!」


 やっぱり!

 ロディ兄さまは剣に毒を塗っていたんだわ。


 キリアが傷を負うなら、わたしは治癒魔法をかけようと思っていた。

 でもそれじゃ彼の助けにはならない。

 かすり傷ひとつが、キリアの致命傷になってしまうかもしれないもの。


 この王城とノア先生はロディ兄さまの手中にある。

 さっきの騎士達のように、きっと城の人たちはわたしが呼びかけても動いてくれない。


 たとえ毒を体内に入れられても、わたしならどんな毒も中和させて処置を施すことができるわ。

 でも、またキリアが毒塗りの刃を受けたら、今度こそ助からないかもしれない。だって、後遺症を治せるノア先生は今、囚われてるんだもの。


 それに、もうキリアを毒で苦しませたくない。


 どうしたらいいのかしら。

 援護の方法が浮かばない。今の彼に必要なのは治癒魔法じゃない。


 どうすればわたしは、キリアを助けてあげられるの?

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