[10-2]王女、城に入る

 穴を通って出た場所は、お城の広い廊下だった。

 隙間なく敷かれた厚い絨毯は暖色の灯りで照らされている。


 とても懐かしく感じた。離れてからまだ一ヶ月も経ってないのに。


『さすがに青藍も、玉座のすぐそばにはボクたちを送れなかったみたいですね』


 わたしとキリアのすぐ後に、クロが穴から出てきた。

 キョロキョロと辺りを見回している。


「まあ、青藍も城の構造までは把握していないだろうしね。城内に入れただけ上々だよ」


 声を潜めてキリアがわたしにそっと話しかけてくれた。

 穏やかな低い声も表情もいつもと変わらないのに、ランプの灯りを背負った彼は雰囲気が違っていて、どこか艶っぽい。

 胸がどきりと高鳴る。


「で、でもそんなに遠くないと思うわ。このつきあたりにある階段を登ったらすぐ玉座よ」


 やだ。わたしったら、声がひっくり返ってる。

 もう、恥ずかしい……。


『姫とクロがいるのなら道案内は必要ないだろう。ワタシは仕事に入る』


 冷静な声に振り返ると、そこにはちょこんと四つ足で立っている猫がいた。

 細い肢体に、大きなつり目。

 もしかして、ケイトさん……?


「ああ、打ち合わせ通りよろしく頼むよ。ケイト」

「任せろ」


 コクリと頷いたら、ケイトさんは音もなく闇の中へ消えてしまった。

 その動作には無駄がなく、あっという間だった。さすがだわ。


 そういえば獣人さんは、部族の動物に変身することができるんだった。人の姿の時よりも感覚が鋭くなるんだって。


 ケイトさんは山猫の部族だって言ってたわ。

 もしかしたら音を消して忍び込むような時は、猫の方が都合がいいのかも。


「ケイトは別行動なのか?」


 続けて穴から出てきたライさんがキリアに尋ねた。もちろん声量を抑えて。

 キリアは頷いた。


「彼女には別の役目を頼んである。時間がない。先を急ごう」







 足音をできるだけ立てないように、わたしたちはできるだけ急いだ。

 プロのケイトさんとは違って無音で移動するのは無理だったけど、絨毯がいくらか音を吸収してくれてる。


 お城の中はわたしが住んでいた頃とあまり変わっていなかった。

 絨毯だけじゃなく、壁に掛かってる絵画や彫刻などの調度品もそのまま。政変が起こってからまだそんなに経っていないのもあるけど、ロディ兄さまは城内にあまり手を加えていないみたい。


 いつもなら配置についている兵士も見当たらなかった。

 外ではガルくんとハウラさんがレジスタンスの人達を率いて陽動しているらしい。この様子だとうまくいってるのかな。


「階段が見えてきたね」

「うん。あの大きな階段を登ってすぐの部屋が玉座よ」

「そうか。ガルディオ達の陽動もいつまで保つか分からない。走るよ」


 くいっと手を引かれて、わたしはかけ足でキリアについて行く。

 当然バタバタと足音がしちゃうけど、もう仕方ない。

 いくらガルくん達が兵士達を引きつけてくれているといっても、お城の中が無人なはずはない。

 わずかに残ってる兵士や騎士の誰かに気付かれたりしないかしら。


 それに、ノア先生を捕らえたロディ兄さまが、何の備えもしていないなんてありえないわ。


「嫌な予感がする……」


 わたしの勘は的中した。

 玉座へのびる広い階段の手前で、いくつもの人影が立ち塞がっていた。


「……!」


 城内だから鎧は身につけていない。人数は五人ほど。

 彼らの顔には見覚えがあった。

 いつも父さまのそばにいて警護についている騎士達だった。


「この様子だと、そう簡単には通してもらえそうにないな」


 引きつった笑みを浮かべながら、キリアはそう言った。

 なぜなら、どの騎士達も真剣な眼差しでわたしたちを睨んでいたから。

 まるで飢えた狼達みたいな目だわ。


 彼らがわたしに向ける眼差しはいつも優しかった。

 こうして直接、敵意を向けられるのは初めてだった。


「そこを退いてくれないかしら」


 キリアの手を握ったまま、わたしは顔を上げて騎士達を見た。


 お城が乗っ取られてから彼らと対峙することになるのは覚悟していたわ。

 今は時間がない。早くロディ兄さまのところに行かなくちゃ。


「姫様、ご無事でなによりです。このまま下がって抵抗しないでください。我々も貴方を傷付けたくはありません」


 耳につく金属音が滑る。

 抜き放った抜き身の剣。よく磨かれた刃はランプの灯りを反射して、強い輝きを放っていた。


 ふと、リシャさんの顔が浮かぶ。


 ずっとずっと昔。

 まだ彼が王子で、城の兵士に刃を向けられた時。

 胸をふさぐようなこんな悲しみを、リシャさんも抱えたのかしら。


「それでもきみたちはこの国の騎士か! 主君に刃を向けるなど、重罪だぞ!?」


 強く、手を握られた。

 まるでわたしを力づけるように。


 目をつり上げたキリアは怒りをあらわにしていた。ううん、もしかしたら彼は騎士達を叱っていたのかもしれない。


 キリアだって、かつては一人の主君に仕える騎士だったもの。

 わたしの前に立ち塞がり、剣を向ける騎士達に、なにか思うところがあったんだと思う。


 別に、わたしのために怒ってくれたわけじゃない。


 でも嬉しかった。

 心強かった。


「お前になにが分かる。もうロディ様が王となられた以上仕方がないのだ。国王の命令は絶対だ。お前たちは拘束させてもらう」


 やっぱり騎士達はわたしたちを捕まえるつもりみたい。

 もちろん捕まるつもりはないけれど、相手は五人。どうしよう。


「お前達はそれを望んでいるのか?」

「そんなわけがないだろう! だけどな、無闇に抵抗して、クローディアスみたいな若い者の命を散らすのは耐えられないんだ」


 騎士の一人が前に進み出て、眉を寄せながらキリアに言い返した。けれど怒っているはずなのに彼の顔は、とても苦しそう。

 その騎士には見覚えがあった。

 たしかクロの先輩で、よく親しげに声をかけていたのを何度も見たことがあるわ。


「俺は見たんだ。何の抵抗もできず、あいつが殺されるのを。あんなのはもう嫌なんだよ!」


 彼の叫びはまるで悲鳴のようで、胸にナイフで突き刺さる。


 ケイトさんの報告ではクロは秘密裏に殺されたという話だったけど、お城の中で見ている人はいたのね。

 命令にただ従っているように見えても、心に傷を負っていないわけじゃないんだわ。


『だから、姫様に剣を向けるんですか?』

「ああ、そうだ。恨み言なら、後で好きなだけ聞こう。だが、何と言われようとも俺は——って、え?」


 騎士は目を丸くして、毅然きぜんとした言葉も顔も一瞬のうちに溶かしてしまった。

 それもそのはず。自分の前に仔牛ほどの大きな体躯の黒い犬が現れて、会話に割り込んできたんだもの。


 ぽかんと口を開けてぼう然とする五人の騎士の前で、クロは顔を上げる。


『そんなのは間違ってます』


 一瞬にして、騎士達が動揺した。

 無理もないわ。わたしもクロが初めて言葉を話した時、本当にびっくりしたもの。


「犬が喋った!?」

『ボクはクローディアスです』

「ええ!? ホントにおまえ、クロなのか!?」


 先輩騎士がおそるおそるクロに近づく。

 まるでクロに再会したばかりのわたしを見ているよう。あの時、わたしは信じられない気持ちと嬉しい気持ちが混ぜこぜになってて、いっぱいいっぱいだった。


 けれど、状況が状況だけに、今回ばかりはクロの対応は冷たかった。


 つぶらな黒い目をキリッとつり上げている。


『あなたたちは間違ってます。あきらめてしまったら、もう何も守れません』


 騎士達は何も返さなかった。

 ううん、返す言葉もなかったんだと思う。


 きっと、彼らは心が折れてしまったんだわ。

 その原因になってしまった本人を目の前にしたら、きっと弁解の言葉も浮かばない。

 もしかするとクロもクロで、自分の死が騎士達が主人に刃を向ける理由にされたことを、怒っているのかも。


『ボクは一度死にましたが、こうして姫様のもとに舞い戻ってきました。悪い狼にはもう二度と負けません。そのための力も手に入れました。何もかも元通り生き返ったわけじゃないですけど、大した問題じゃないです。姫様をお守りすることがボクの使命ですから。あなたたちは違うんですか?』

「そ、それは……」


 先輩騎士の足もとがよろめいた。倒れはしなかったけど、顔色がとても悪いわ。

 まるで夢を見ているような気持ちになっているのかもしれない。


 改めて考えると、クロはとても優秀な騎士だと思うの。

 墓守犬チャーチグリムのからだを手に入れたのは運がよかっただけだし、自分の力で得たものじゃない。

 だけどいつだって、クロは全力で、自分の使命を全うしようとする。

 彼の心はいつだって揺らぐことはない。


 でも騎士達はそうじゃないわ。

 今、きっと彼らの心は揺らいでいる。


 こうしてる今も階段の前から退こうとはしないけれど、もう一押しってところなのかしら。


 そんなことを考えていたら、不意にキリアがわたしの手を離した。


「キリア……?」

「ライ、姫様を頼めるかな」


 わたしの顔から、瑠璃紺の目がそれる。

 途端に、胸がざわついた。


「どういうことだよ?」

「クロが一緒に行かないとロディは救えないし、城も取り戻せない。ここで足止めさせるわけにはいかないんだ。騎士達は俺が引き受けるから、先に行って」

「おまえが姫様のそばにいなくてどうすんだよ!? こいつらなら俺が引き受けるって」

「きみ一人には無理だ。俺は吸血鬼だし、人間相手なら金縛りで動きを止めることはできるから」


 知らないうちに、話が進もうとしている。

 前までのわたしなら、ただ会話を聞き流していただけだった。

 でも。


「キリアが残るなら、わたしも残る」


 今のわたしは、病弱だった大人しいお姫さまじゃない。


 キリアはそばにいるって言ってくれたもの。

 何が起ころうとも、わたしのそばにいるって。


「そのままで。そこを動くなよ、おまえたち」


 突然腕をつかまれて身体がびくっと震えたけど、不安はすぐに消えた。

 触れてきたのはリシャさんだった。

 なぜか息を切らしていたけれど。走ったのはそんなに長い距離だったっけ?


 ふわっと浮遊感を覚えたのはその直後。すぐに魔族のテレポートだと分かった。

 一瞬だけの魔法なのに、移動した後も目の前がぐるぐる回る。やっぱりまだ慣れない。 

 立っていられなくなって足がもつれちゃう。


「きゃっ」


 バランスを崩しそうになってたら、力強い腕が身体を支えてくれた。

 香水と汗の混じった匂いが、ふわりと鼻の奥をくすぐる。

 た、助かったけど、なんかドキドキする……。


「姫様、大丈夫? リシャール、いきなり何——」

「おまえたちは先に行くといいよ。この子らは私が引き受けてあげよう」

「——え?」


 今度はわたしたちがぼう然とする番だった。

 返す言葉がすぐに思い浮かばなくてリシャさんを見てると、彼の後ろからひょっこりとシロちゃんが顔を出す。


「ひめさまが悪いやつのところに行けるよう、シロとリシャが助けるよ! だから、早く行って!」

「シロは下がってて。氷のつぶてはぶつけちゃだめだよ。私一人でどうにでもなるから」

「ええ——!?」


 突然すぎる展開に、だんだんと頭が追いついてくる。

 リシャさんとシロちゃんは、自分達が騎士達の足止めを請け負ってくれると言ってくれてるんだわ。


「リシャさん、あの……」

「すべての元凶はおまえだろう、と。冥王竜——今は青藍だっけ、かれにも言われてしまったしね。幸いこの城にも水の精霊は多い。負けることはないよ」


 そういえば、リシャさんは精霊と相性のいい魔法使いっという話だったっけ。

 さっきもテレポートの時、魔法語ルーンの詠唱もなかったし、もしかしてわたしと同じ精霊に愛される魂の持ち主なのかしら。


 今になってようやく、わたしたちは玉座に通じる階段に立っていることに気がついた。

 リシャさんはテレポートで騎士達の後ろに移動させたみたい。


 杖もなにも持ってないはずなのに、リシャさんが腕をかざしただけで異変が起こった。


「うわあ! なんだこれ!?」


 不意に粘りのある水のようなものが現れて、五人の騎士達を襲っている。

 手足にまといついているせいで身動きは取れないみたいだけど、ただそれだけだった。


 行動を制限する魔法、なのかな。そういえば前に読んだ魔法関係の本に、こういう効果のある高位魔法が書いてあったような気がするわ。


「大丈夫、彼らを絶対に傷つけたりはしないと約束する。罪滅ぼしというわけではないけど、姫、早く終わらせてきなさい」


 白銀の長い髪が、さらりと肩に滑り落ちる。

 力強くリシャさんが微笑む。


 わたしは姿勢を正した。


「はい!」

「ありがとう、リシャール」


 あんなに力を貸さないと言っていたのに。

 身体だって、魔物から普通の人のものに戻って、まだ感覚だって慣れていないのに。

 それなのに、リシャさんは難しい魔法を使って、全力で助けてくれている。


 彼には本当に感謝しかない。

 シロちゃんに頼まれたからというのもあるんだろうけれど、助けてくれた理由は、きっとそれだけじゃないと信じてる。


 わたしは振り返らなかった。キリアの手を握って、階段を登る。


 さあ、ついに玉座の間よ。ティア。

 ロディ兄さまと決着をつけましょう。

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