10章 追放王女は祖国奪還を目指す

[10-1]王女、竜石をあずかる

 朝、リビングルームに行くとパンを焼くいい匂いがした。


「おはようございます、姫様」


 キッチンをのぞくと、クロが人型になって料理していた。起きた時にいないと思ったら、早起きして朝食を作ってたみたい。


「今日はクロが作ってくれたの?」

「はい。今日は作戦前の準備で、皆さんお忙しいでしょうから」


 コンロの上に置いてあるフライパンからはジュージューと音がしている。

 クロがフタを取ると、目玉焼きがふたつ。それをお皿の上に移動させて、別で作っていたらしいサラダを盛り付けていく。

 相変わらずテキパキと無駄のない動き。さすがだわ。


「あれからキリアと話せた?」


 昨夜、ライさんと別れてから部屋に戻ってもクロはいなかった。

 帰ってこないなら話せたんだろうけれど、怒られなかったかしら。夜中だったしキリアは眠っていただろうし。


 気になって聞いてみたら、クロは作業の手を止めてわたしの顔を見、にっこりと満面の笑みを浮かべた。


「はい、ゆっくりお話できました。姫様がアドバイスしてくださったおかげです」


 良かった、無事仲直りできたみたい。

 昨日暗かったクロの顔も明るくなってるし、もう大丈夫ね。


 キリアはクロのことが苦手だと思ってたけど、ちゃんと話を聞いてくれたのね。

 時間を取って話し合えたのなら、これから二人も仲良くなれるかな。

 後でキリアにはお礼を言っておかなくちゃ。






 けれど、この日はろくにキリアと話す機会に恵まれなかった。


 お昼になってもみんなは帰ってこない。わたしとクロ以外の全員は朝食後すぐに出かけてしまった。


 キリアはライさんと一緒に、国王派に加勢してくれそうな人達と打ち合わせに行ってるみたい。二人に話を聞いたんだけど、ライさんはケイトさんを雇って王都に潜んでいたレジスタンスを見つけ出し、ひそかに連絡を取り合ってたんだって。

 ガルくんは今夜の作戦内容の伝達と打ち合わせのためにハウラさんのお家に出かけてる。ケイトさんも情報屋のお仕事に出かけちゃったんだけど、なぜか冥王竜が一緒について行ってしまった。

 大きな骨の翼があるし尻尾もあるし、おまけに頭にも角があって、冥王竜の出立ちはものすごく目立つ。基本的に身を潜めなくちゃいけないのに、ケイトさんのお仕事の邪魔になってないといいのだけど……。


 そしてわたしは、特に何もすることもなく、こうしてソファに座ってゆっくりと過ごしている。

 みんなそれぞれノア先生と王城を取り戻すため忙しく動いているのに、わたし一人だけのんびりしてるのは申し訳ないわ。


 けれど、キリアが言うには、一度安静にして身体を休めた方がいいということみたい。

 お城にいた時のわたしはよく熱を出して寝込むことが多かった。もともと身体があまり丈夫じゃなかったわたしが今まで一日中出歩くことができたのは、キリアが冥王竜の魔石を飲ませてくれたおかげ。

 本来のわたしは外に出ることができるのは、ほんの数時間だったのだし。


 主治医としてのキリアの提案には、クロも強く同意した。

 だからわたしも、今日一日はじっとしていることにしたの。落ち着かないけれど……。


「姫様、そろそろお茶にしましょう」


 銀色のトレイにポットとカップをのせて、クロが近づいてきた。


 珍しいことなんだけど、今日のクロは犬の姿に一度もなっていない。

 朝から料理したり、こうしてお茶を淹れたり。クロもわたしと同じでじっとしてるのは落ち着かないのかな。


 読みかけの本にしおりを挟んで閉じてから、わたしはダイニングテーブルに移動する。

 手を出すよりも早くクロは椅子を引いてくれて、お城にいた時みたいに席に座らせてくれた。こういう細やかな気遣いは今も変わらない。

 クロはポットを傾けてカップに紅茶を注いでくれた。

 手もとの小皿にはクッキーをいくつか置いている。おやつまでいつの間に用意したのかしら。


「ありがとう、クロ」

「こうして姫様のお世話をできるのが、ボクも嬉しいです。そういえば何を読んでいたんですか?」


 読書をしていた間クロはそばにいなかったのだけど、ちゃんとわたしのことを見ていたみたい。

 紅茶をひと口飲んでから、答える。


「ライさんが貸してくれた本なの。故郷から持ってきた歴史書なのよ」

「そうですか。ライさんの故郷というとイージス帝国ですよね」

「うん、そうなの」


 ライさんは逃亡する時に、帝国から本をいくつか持ち出していたみたい。

 読んで損をすることはないからって、昨夜お話した時に貸してくれたのよね。


「イージス帝国は今、世界を震撼させるほどの影響力のある大帝国ですからね。情報を得るのは姫様にとってプラスになると思います。それに今回のリシャール様の件でシロの力はほとんど失われたようですし」

「そうね」


 グラスリードが雪と氷の島になっていたのは、ずっと昔、シロちゃんと同化したリシャさんが魔物としての力を暴走させたせいだった。いにしえの竜の力をしのぐ大きな力は何百年もの間、ずっと島に影響を与え続けてきた。

 けれどその力はリシャさんがわたしたちと同じ人族に戻った時に、ほとんど失われてしまっている。

 もう、この島は〝世界の嘆き〟と呼ばれた魔物による力の干渉を受けてはいない。

 だとすると——、


「もうすぐ、春がやってくるのね」

「はい。グラスリードにも、大陸の国々のように四季が訪れるようになります。その変化によってまたいくつか問題が浮上するかもしれませんけど、大丈夫です。ひとまず王城を取り戻すことを考えましょう」


 クロの言葉に、わたしは強く頷いた。

 彼の言う通りだ。今はノア先生とお城、そして囚われている父さまを助け出すことが先決だわ。


 わたしの国にも春がやってくる。

 春ってどんな感じなのかしら。

 本の中で書かれている春はたくさんの花が咲いて、とてもあたたかいという表現が多いわ。春がきても精霊たちは元気に活動できるかしら。


 あたたかくなると、グラスリードもなにか変わるのかな。

 わたしはこの愛する故郷のために、なにができるのかしら。


 それに、クロのこともちゃんと考えなくちゃいけない。

 いつまでも墓守犬チャーチグリムのままでいられるはずがないわ。


 わたしはクロのために、何をしてあげられるかしら。




 * * *




 みんなは夕方頃に帰ってきた。


 動き出すのは日が沈んでから。

 栄養があって手早く食べられるように、夕食もクロが作ってくれた。


 やわらかいパンに、お肉が入ったスープ。そしてサラダ。それを無言で食べた。

 作戦前だからみんな真剣な表情をしている。わたしも気を引き締めなくちゃ。 

 ノア先生や父さまの命がかかっているんだもの。


「出発前に作戦を確認しておこうか」


 身支度を整えてもう一度リビングルームに行くと、キリアは集まったみんなの顔を見てそう切り出した。

 ガルくんはもう陽動の作戦に入っているから、この場にはいない。


「まず、冥王竜の魔法で城に潜入。城の中にいるロディを俺とライが拘束する。それから冥王竜を呼び出してロディの身体から呪いのもとを引き出す」

『そしてその呪いをボクが食べればいいんですね』

「そういうこと、だね」


 目をそらしてキリアは曖昧に笑った。

 うん、距離感は相変わらずだけど。元気に尻尾を振ってるし、いつものクロに戻ったみたい。


 クロは生前よりもすごく強くなったんだけど、それはあくまでも呪いに強くなっただけなんだって。

 ロディ兄さまは人狼の魔族だから、獣としての動きならクロに引けを取らない。経験の差もあるし、なによりクロには呪いの処理という大切な役目があるわ。だから、同じ魔族同士のキリアやライさんが相手をした方がいいという話になったの。


「冥王竜もそれでいいかい?」

「ああ、問題ないぜ。重ねて言うけど、俺はあんたたちと城内へは入れない。俺の力が必要な時、呪いを身体の外へ引き出すのだけやってあげるから、その時にび出してくれ。それで喚び出す方法なんだけど——、ティア、手を出して」

「え?」


 突然水を向けられて、びっくりしちゃった。

 ぽかんと口を開けて目を丸くしていたら、冥王竜はにっこりと笑って、「手だよ、手」と顔の横で手をひらひらさせている。


 ハッとして、すぐに両手をだすと、てのひらの上にころんと黒い石をのせられる。

 つるつるしていて黒いけど、よく見たら濃い緑や赤褐色が混じっている。

 光沢のあるきれいな石だわ。まるで宝石みたい。


「これって、冥王竜の……?」

「そ、俺の魔石。コレは姫が飲んだのよりも魔力が濃いものだから、俺をび出すのには打ってつけだよ。キリアがロディを捕まえたら、この石に触れて俺の名前を呼んでくれ。すぐに駆け付けるから」


 それって呼んだだけで、冥王竜の耳には聞こえるってこと?

 竜の魔石ってそんなこともできちゃうのね。

 でも、ちょっと待って。いにしえの竜って、名前を持たないんじゃなかったかしら。


「名前……? いつもみたいに〝冥王竜〟って呼べばいいの?」


 確認してみると、冥王竜は笑みを深くした。

 かれの後ろで紺青色の尻尾が揺れて、床をこすってる。


 冥王竜ったら、いつになく嬉しそうなんだけど、なにかあったのかな。


「あっ、言うのを忘れていたな。俺の名前は青藍せいらんだ。今日、ケイトが付けてくれたんだ。今後はその名で呼んで欲しい」


 わざとらしくてのひらに拳をぽんとのせて、冥王竜はにこやかな顔で教えてくれた。


 名前をもらったんだ。

 精霊にとって名前をもらうのは特別なことだし、きっといにしえの竜にとっても同じことなのね。だってすごく嬉しそうだもの。


 でも、どうしてケイトさんが……?


 本人を見ると、なぜかわたしたちから顔をそらして、背中を向けていた。

 ケイトさんがどんな心境でいるのか分からないけど、コートの裾から出ている長い尻尾が絶えず揺れている。


「貴方まで、いつの間に……」


 キリアが目を半眼にして、あきれた顔をしていた。


 でもわたし、びっくりしたわ。

 ケイトさんと冥王竜って、いつのまに仲良くなったのかしら。話してるところもあまり見たことなかったのに。


「ふふん、思い立ったらすぐ行動だよ。種族の違いなんて些細な問題なのさ。俺からすれば人族は違いを意識し過ぎていると思うけどな」

「うるっさい」


 どうして冥王竜が腕を組んで得意げにしてるんだろう。

 キリアも怒ってるし。わたしの知らない逆鱗に、冥王竜が触れちゃったのかしら。


「どうでもいいけど、早く出発しないか? 時間もあまりないだろう」


 痺れを切らしたリシャさんがそう言ったことで、お喋りは終わった。


 肩をすくめた冥王竜が右手を掲げると、リビングルームの片隅に大きな黒い穴が現れる。

 空間に裂け目を作る魔法って、かれは言ってたっけ。


 冥王竜だけが使う転移魔法。


 穴の中はお城の中と繋がっている。

 この中に飛び込めば、もう引き返せない。


「キリア、行きましょう。覚悟はもうできてる。ロディ兄さまと決着をつけるわ」

「俺のそばを離れないで、姫様。何が起ころうとも、貴方のそばにいるよ」


 そっと手を握ると、キリアは握り返してくれた。

 彼の手をそのまま引っ張って、わたしは一番最初に穴の中へ入ったのだった。


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