8章 追放王女は氷の洞窟へ行く

[8-1]王女、いにしえの王子に会う

 わたしたちは即席の雪洞で少し休憩を取ってから、森の最奥へと足を運んだ。


 銀世界に彩られた自然の中、その場所だけは雰囲気が全然違っていた。


 狼の遠吠えなんて聞こえなかったし、精霊達の気配も感じない。

 動物達の姿も見なかった。


 進めば進むほど白い雪がだんだん固くなってきて、途中から地面が氷に変わる。

 滑らないか不安だったけど、案外大丈夫みたい。


 ふと気になって、わたしは隣を歩くキリアを見上げる。


 気まずい雰囲気になったのはついさっきのこと。戻ってきてからもわたしの護衛についてくれているけど、今までみたいに気軽に言葉を交わす気にはなれなかった。今もお互い無言のまま。

 雪の洞穴で休憩していた時に思わず彼の故郷のことを聞いてしまったけど、それが良くなかったのかもしれない。


 この世界には大きな大陸がふたつあって、西大陸はノーザン王国、大陸はイージス帝国という大きな国があるの。

 どちらも魔族の王様が治めてるんだけど、特に父さまが注意すべきだと言っていたのはイージス帝国という国だった。

 世界一の領土を持っているというその国の王様は、わたしみたいな人間を含めた、他種族狩りを推奨しているこわい人なんだとか。戦争にも積極的で、ここ数年でも色んな国に侵攻しているらしく、さらに領土を増やしているみたい。


 きっとシャラール国も、イージス帝国に攻め滅ぼされた国のひとつだったんだと思う。

 知らなかったとはいえ、わたしはキリアに故郷について聞いてしまった。無神経な言葉で彼の傷口を広げちゃったんだ。


「キリア、ごめんなさい」


 コツコツと氷の上を歩きながら、思いきって切り出してみた。

 すると彼は目を丸くしてわたしを見る。


「どうしたの、姫様」

「さっき、雪洞でお話した時にね。わたし、キリアを傷つけることを言ってしまったから」


 立ち止まると、後に続いていた靴音が止まった。

 なんとなく顔が見れなくて俯いていたら、クスリと笑う声が聞こえる。


「そうじゃないよ。シャラールのことは過去のことだし、ずいぶん前の話だから。俺は姫様に無理をして欲しくないだけ」

「無理?」

「貴方はグラスリードにとって唯一無二の、大切な人だ。だから俺のことは気にしなくてもいいんだよ?」

「え?」


 これは予想外だったわ。

 この口ぶりだと、キリアの心にかかっていたのはもしかして、わたしが彼のことを守りたいと言ったことなのかしら。


「でも、わたしがキリアを守りたいという思いは変わらないの」


 そう。わたしはキリアのことを守りたい。

 彼の重荷になんて、なりたくない。


「それにね、キリアのことをもっと知りたいの。住んでいた国のことやシャラール国のことも。楽しかった思い出も聞きたいし、悲しくて辛い思い出があるならちゃんと聞いて、一緒に泣きたい。だからキリア、一人で抱え込まないで?」


 そっか、そうだったんだわ。


 言葉にして、改めて自覚する。

 故郷のことを聞いた時、ちっとも泣いていないのに彼が泣いているように見えたのは。

 ぜんぶ丸ごと抱えたまま、キリアがじっと我慢していると確信していたからなのかもしれない。


「ありがとう、姫様」


 力なく笑って、キリアは瑠璃紺の瞳を細めた。

 いつもの柔らかくて甘い笑顔じゃなかったけど、いつもよりも自然であたたかくて、きれいな微笑みだった。


「今回のいにしえの魔物と王子の一件が終わったら、ちゃんと俺のことを姫様に話すと誓うよ。それまで待っててくれる?」

「もちろんよ。だからキリア、わたしの話も聞いてね」


 にっこり笑って言うと、キリアは笑顔で頷いてくれた。

 わたしは彼の手を握り返してから、コツコツと靴音を鳴らせて再び歩き始めたのだった。




 * * *




 氷上を歩いていくこと数分、氷山のふもとにぽっかりと開いた洞窟の入り口が見えてきた。

 きっと前は岩山だったんだろうけど、今は氷に覆われて青白くなっている。

 中まで凍っているみたいだし、氷の床もずっと続いている。まるで氷の洞窟みたい。


『到着だよー! ここがシロとリシャのお家なのっ』


 入り口の手前でシロちゃんがはしゃいでぽよんぽよんと跳ねている。

 とっても嬉しそう。


『いつの間にこんなものが……』


 はしゃいでいるシロちゃんとは裏腹に、クロはぽかんと口を開けて氷山を見上げていた。

 無理もないよね。わたしもずっとグラスリードにいるけど、こんな氷細工みたいな山は見たことないもの。


「父さまは知っているのかしら?」

『ご存じないと思います。そもそも報告に上がってないですし』

「そ、そうだよね」


 氷でできているのにツルツル滑らない床。自然にできたものじゃないってことは、わたしでも分かる。

 この先に、いにしえの時代に存在したと言われる王子がいるのかしら。


『何してるのー!? 早くはやくー!』


 コートを着ていてもゾクゾクするくらい凍えそうなのに、シロちゃんは元気いっぱいだ。

 氷の魔物だから、きっと寒さなんて感じないのね。

 気兼ねなく進みたいところだけど、このまま入っても大丈夫なのかしら。


「魔力干渉で発生した氷の洞窟、か。見てる分には面白いけど、この中に生身で入れば人族の身体にはこたえるだろうよ」

『ええー!? じゃあ、竜のヒトなんとかしてよー!』

「もとよりそのつもりだ。なに、俺に任せておけ」


 骨の両翼を大きく広げ、紺青の尻尾を高く上げる。

 両腕を広げた冥王竜が紡ぎ始めたのは、聞いたことのない言語だった。


 わたしたちが使うような魔法語ルーンとは違う。

 初めて聞く言葉の羅列。呪文というよりも、それは歌のようだった。

 大きく口を開けた洞窟内で、冥王竜の重低音が反響する。


 歌が終わったあと。目の前に、突然闇が降りてきた。


 思わず振り返ると、わたしやキリアだけじゃなく、ガルくんやクロを夜空のような闇が囲んでいる。

 びっくりしすぎて声が出ない。これはどういう魔法なの!?


聖域サンクチュアリか……。なるほどね」


 ぽつりと、キリアのつぶやく声が聞こえた。


「人族の使う魔法で言うとソレに近いかもな」

「サンクチュアリって、無属でも熟練したひとじゃないくらい難しい魔法だよね? すごいなあ。冥王竜って、ほんとに無属の竜なんだね」


 冥王竜を見上げるガルくんの濃い藍色の両目はキラキラしてる。冥王竜自身も褒められて、にこにこ笑っていてほんとに嬉しそう。


「あはは、このくらい大したことじゃないさ。それにしてもガルディオはともかく、キリアは魔術師でも精霊使いでもないのによく魔法の名前を言い当てたな」


 言われてみれば、そうね。

 わたしに歴史を教えてくれた先生もなんでも知っていたけど、キリアも色んなことを知っている。


「もともと俺たち魔族は〝魔術の民〟と呼ばれるくらいだから、魔法の知識はあるよ。たしかにサンクチュアリは無属の魔法だけど、無属でなくても魔族にも使える人はいる。よほど力の強い熟練した魔族でないと無理だけどね」

「そうなのね。初めて知ったわ」

「魔族が使える種族魔法には特殊なものが多いからね。まあ、それはともかくとしてサンクチュアリは空間の狭間に一種の部屋を作り出す魔法だから、冷気も遮断できると思う。さっきよりも寒さはマシになっているはずだよ」

「そういえば、全然寒くないわ!」


 あれほど感じていた悪寒が、今はちっとも感じない。

 わたしたちを覆っていた闇もしだいに薄くなって、透明になっていく。

 触れてみたら固かったから、拳を作って軽く叩いてみたらコツンと音が鳴った。まるで目の前に透明な壁があるみたい。


「人族が扱う魔法とは違い、俺の扱うこの魔法は移動しても効果は続く。責任を持ってあんたたちのことは俺が守ってあげるから心配しなくていい」


 靴音を立てながら、冥王竜はわたしたちの先頭に立つ。

 ゆらりと紺青の尻尾を揺らして振り返ると、切れ長の目を細めて笑った。


「俺とシロが先導しよう。なにが起こるか分からないから気を付けるんだよ」


 注意を促すその言葉に、わたしとキリアは黙ってうなずいたのだった。




 * * *




 意外と中は明るかった。

 ロウソクも照明も何もないのに、どういうことなのかしら。


『そんなに広くないから迷子にならないと思うよ。廊下を抜けると大きな部屋に出るからね!』


 冥王竜の肩にとまって、シロちゃんは翼を広げながら説明してくれる。


 絨毯も何もない、強いていえば氷が剥き出しの床なのかな。

 そっか、シロちゃんにとってはここは家なんだもんね。

 ということは、この先に王子がいるのかな。


「おや、あそこが出口かな?」

『そうだよ、竜のヒト! あの部屋にね、いつもリシャがいるのっ』


 指を差した向こうに、また出口が大きく開いている。

 頷きながら羽ばたくシロちゃんの頭を撫でながら、冥王竜はわたしたちの前を進んでくれた。


「うわあ……」


 広がった景色を見て、わたしは思わず感動してしまった。

 廊下よりもずっと広い空間だった。まるで大きなお部屋みたい。


「すごいな、これは。まるで俺達いにしえの竜が作る巣穴のようじゃないか」


 腰に手を当てて、冥王竜がほうとため息をつく。

 言われてみればたしかにそうかも。前に行った光竜の巣穴も同じ作りだったわ。


 室内は何もかも氷でできていた。

 床も、壁も、天井も。部屋の各所に置かれている調度品まで、ぜんぶ氷細工だった。


 氷の柱が部屋の隅にあって、その中央には氷の寝台がひとつ。


 その上に人がひとり、座っていた。

 ううん。正確に言えば人に似たなにか、かも。


 初めて見た時、儚げな雪のような人だと思った。


 背中から生えている純白の両翼は、大きさが全然違うのにシロちゃんを思わせる。

 竜に似た白い尻尾は背後で時たま動いていて、間違いなくホンモノだ。

 クセひとつない白銀の長い髪を背中に流し、その人は薄いグレーと青銀のオッドアイでわたしたちをじっと見つめていた。

 髪の隙間から見えている耳は尖っているから魔族なんだろうけど、まとっている雰囲気が異質でわたしたち人族と同じだなんてどうしても思えなかった。


「何者だ?」


 思っていたよりも声が低い。

 透き通るような白い肌に、つった両目。

 細身だし、足元まで隠れる白いローブを着ているから、女の人なのか男の人なのかひと目見ただけじゃ分からないかも。


『リシャ、ただいまー!』


 やっぱりこの人がリシャさん。わたしたちが会いに来た王子なんだ。


 シロちゃんは冥王竜の肩にとまったまま翼を広げて、元気にアピールしている。

 リシャさんはしばらく黙って見ていたけど、するりと身軽く寝台から降りた。

 長いローブを引きずる衣摺きぬずれの音と、歩くたびに聞こえるひたひたという音はもしかして、裸足で歩く音……? こんな寒いのに靴も履いていないのかしら。


「おかえり、シロ。これは一体、どういう状況なのか説明してもらおうか」

『えっとシロねー、怪しいヒトが侵入したから追い払おうと思ったの! でもね、このヒトたち、リシャのこと助けてくれるんだって』


 色々端折りすぎだよ、シロちゃん!

 説明は冥王竜に任せてもいいのかな。シロちゃんからリシャさんに話すには難しいような気がする。


「ふぅん。よく分からないけど、まあいいや。我が家へようこそ、ヒトの子たち。一部、人外も混ざってるみたいだけど」


 腕を広げて、リシャさんは微笑んだ。

 笑っているのに、どこか冷えきって見えるのはどうしてかしら。


 ガラス玉のような両目がわたしたちを見据え、彼は薄い唇を開いた。


「私の名はリシャール・ロ・ユーセフソン。以前は精霊魔法の使い手だったが、今はこの通り人ならざる者だよ」

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