[7-6]吸血鬼騎士はケンカする(下)
外は朝から変わらず曇天の空。
雪は降っておらず、風ひとつない。極寒な地方にしては、比較的穏やかな天気だ。
『キリア、どこに行くんですか?』
知らないフリをして数歩進んだところで、犬に呼び止められた。
入り口で見張りをしていることは分かっていたから、素通りしようと思ったのに。
「冥王竜とガルディオの様子を見てくるよ」
『シロが一緒について行ったので、二人なら大丈夫だと思いますよ。この森は庭みたいなものだと言ってましたから』
「……そうなんだ」
適当な理由つけて離れようと思ったのに、なんてタイミングだ。
たしかに森の最奥で気が遠くなるほど
だからと言って、中に戻ってもう一度姫様と顔を合わせるのも、なんだか気まずい。
『姫様は中におられますか?』
「温かいものを飲んでゆっくりしているよ。俺はみんなの様子を見にきたんだけど」
『そうですか。では、冥王竜たちが戻るまでの間、ボクとお話しませんか?』
「——は?」
何を言い出すんだ。
思わず口をぽかんと開けても、この犬ときたら屈託のない笑顔を向けて尻尾を振っている。
『一度、あなたにはお礼を言いたくて。姫さまを助けてくださり、本当にありがとうございました』
雪の上に腰を下ろし、犬は恭しく頭を下げる。
きっと人の姿なら、騎士らしく片膝をつき頭を垂れていたことだろう。
「別に。謝辞ならもう何度も聞いたよ」
『そうなんですけど、たくさん言っても言い切れないくらい感謝してるんです。あの時、ボクは何もできず見ていることしかできませんでした。抵抗できないまま命を散らしてしまい、結果、姫さまを悲しませることに』
顔を上げた犬の黒い両目は濡れていた。
ハウラによれば、チャーチグリムは彼の強い後悔の気持ちに引き寄せられて魂を取り込み、融合したんだったか。
姫様の容態が安定してから、すぐに王家が所有している別荘見に行ったけど、すでに立ち去った後で無人だった。姫様を突き落とした後、ロディは拘束した彼を連れて城に引き返したのだろう。
本人自ら語っているように、先に捕らわれていた彼は、姫様が崖下へ突き落とされるのを見ていた。
目の前で大切な人を失うのは、かなりの苦痛が伴う。どんなに仕方のない状況だったとしても、無力な自分自身を責めてしまうものだ。
過去に、俺自身がそうだったように。
『キリア』
名前を呼ばれてハッとする。
顔を上げると、犬は黒い両目をまっすぐ俺に向けていた。
『ボクは一度命を落とした身ですから、チャーチグリムと融合しているこの状態がいつまで保つか分かりません。おそらくずっと姫さまのおそばにいることは難しいでしょう。もしもこの先ボクがいなくなってしまったら、キリアは姫さまのおそばにいて守ってください』
何を、言っているんだ。こいつは。
「……それは、どういう意味なんだ?」
『そのままの意味です。ボクはあなたのことを信頼してます。キリアなら安心して姫さまを託すことができると思ったんです。姫さまが本当のところどう思っているのは分かりませんけど、たぶん少なからずあなたに好意を持っているでしょう。あなたさえ良ければ、伴侶としてボクの主君のそばにいて欲しいんです』
時が、一瞬止まった。
すぐに動き出した時は、俺を変化させる。
せき止めていた感情が炎となって、竜のように身体中を暴れ回った。
「そんなことできるわけないだろ!!」
一度あふれ出したら、もう止められない。
きょとんとする黒犬を俺はきつく睨み付けた。
人外であるこいつに、吸血鬼の視線による金縛りは効かない。だったら遠慮する理由はない。
「知っての通り俺は他国の、イージス帝国を出奔してきた元貴族だ。国から追われる大罪人、国民証すら剥奪された得体の知れない男だぞ!? そんな俺が姫様と釣り合うはずがないだろ!」
『みんな、あなたのことは信頼しています。そんなことグラスリードでは気にしなくてもいいんです。それに、キリアはこの先ずっと姫さまと一緒にいられるんですから。大体、キリアは帝国の魔族と言っても、食べてはいないでしょう?』
こいつ、帝国の魔族のほとんどが人喰いの経験者だって知っているのか。
たしかに俺もライも他種族のひとを手にかけてはいない。
騎士とはいえ、島国に住んでいながら大陸の情勢に詳しいなんて、犬のくせに大した勉強家じゃないか。
「ああ、おまえの言う通り俺は食べていないさ。だが、俺は吸血鬼の魔族だ。この変えようもない事実が何を意味しているか、おまえは考えたことがあるのか!?」
『あっ……』
目に見えて、犬が絶句するのが分かった。
俺が言わんとしていることを、どうやら今思い出したらしい。
「そうだ。吸血鬼の魔族は普通の方法で子孫を残すことができない。子どもを望むなら、他種族の子どもを喰らって吸血鬼に変えるしかない。分かるか? 吸血鬼の魔族である以上、俺は王族の伴侶にはなれないんだ」
『すみません、キリア。ボクはそんな辛いことを思い出させるつもりは……』
「別に気にしていない。家族なんてとっくの昔に、もうこの身体が吸血鬼になった瞬間から、諦めてる」
きびすを返して犬に背を向け、俺は
余計なことを口走った俺自身に腹が立つ。
本当に大切なことを一番に打ち明けたい相手は、他の誰でもない、姫様だったというのに。
* * *
どうしようもなく、胃がむかむかする。
気分を変えようと冷たい空気を吸いながら、雪の上を進む。
樹木の間を少し通り過ぎたところで、クスリと笑う声が聞こえた。
「まったくあんたは器用なくせに、不器用な性格をしているな。キリア」
「うるさい」
幹の影から紺青の尻尾がゆらりと現れる。
冥王竜は一人のようだった。腕を組んで余裕の笑みを浮かべている。
口もとがにやけてるあたり、犬との会話が聞こえていたのだろうか。もしくは俺の苛立つ表層心理でも読み取ったか。
「人の立場とか国と国同士の事情など、俺にはちっとも分からないな。もう少し気を楽にして生きたらどうなんだ?」
「それができれば苦労はしない」
「やれやれ。人族は難儀なものだな」
腕を解き、わざとらしく冥王竜は肩をすくめる。その仕草に心底腹が立ったが、これ以上姫様との関係を話題に上らせたままなのも、嫌だった。
ここはあえて話を逸らそうと決める。
「冥王竜、一度貴方の意見を聞きたいと思っていたんだ。今から森の最奥に向かうわけだけど、本当に貴方は王子のところに行って魂を元通りにするだけで、呪いの件が全部解決できると思っているのか?」
「さあ、どうだろうな? 何にせよ、本人と話してみないことには分からないよ。シロは王子が疲れているとしか言わないし」
疲れている、ね……。
それはあの白い鳥の主観であって、事実であるとは限らない。
「昨日、貴方が説明したんだろう。魔物の持つ力が暴走して島全体を凍りつかせたのだ、と。その暴走の原因はやっぱり、王子の持つ恨みや憎しみが強かったせいじゃないのか」
たとえどんな仕打ちを受けたとしても、いにしえの竜は基本的に人族に逆らうことを許されない種族だ。誰かを恨むという感情が乏しい傾向にあるのかもしれない。
それなら、冥王竜には直接言って、分かってもらうしかない。
「いいか、冥王竜。住む場所も、家族や大切な人も、ましてや命さえも、なにもかも奪われて恨みを持たない人なんているわけがない。ただ行って話すだけで済むわけがないんだ。不用意に近づけば、確実に向こうは牙を向けてくるに決まっている」
俺だって、今でも時々思い出して故郷を失う悪夢を見る。
叶うなら消し去ってしまいたい。だけど、過去は変えられない。
それなら俺自身の経験もぜんぶ糧にして、前に進むだけだ。
と、そんなことを考えていたら、不意に頭をぽんと軽く叩かれた。
「分かってる。だから、そんな顔をするにはやめなさい」
まるで子どもをあやすように、大きな手のひらが俺の頭を撫でる。
知ったふうの口をきいて、何様なんだ。
心話で俺の気持ちを読み取ったから、気を遣ってるんだろうか。
「腹が立つ」
吐き捨てるように言って、俺は無言で冥王竜の手を払いのけた。
かれは目を丸くしただけで、何も言わなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます