[7-5]吸血鬼騎士はケンカする(上)

 当初の目的は魔物の討伐だったというのに、とんでもない展開を見せている。


 古代の魔物〝世界の嘆き〟——本人はシロと名乗っているけど——と融合してしまった王子を人に戻す、だなんて。

 本当に、そんなこと可能なのか?


 たしか冥王竜は、魂のり方が正常であるように見守る役目も担っているんだったか。


 かれとは会って間もないし、竜のことは専門家でない俺にはよく分からないけど。

 できると言い切ったところを見ると、いにしえの竜が持つ能力なら不可能ではないんだろう。


「冥王竜、ひとまず今後の方針を確認させてくれないか?」


 行動目的を把握しておくことは大事だ。

 特に今、俺達は森の最奥へ進もうとしている。この極寒という環境の中で、目的もなくずっとさまようのは危険すぎる。


「いいぜ、キリア。俺達の目的も変わったしね」


 冥王竜は辺りをぐるりと見回して、紺青の長い尻尾をぱたりと振った。

 腰に手を当て、かれは笑みを崩さないままに言葉を紡ぐ。


「ティアとシロの意向を汲んで、融合してしまった王子とシロを元の状態に戻そう。そのために——、シロ、俺達をリシャがいるところへ連れて行ってもらえないかな?」

『リシャになにもしない?』

「決して危害を加えないと約束するよ。あんたとリシャを元の二つの魂に分けて元通りにするだけだ。一度死んでしまっているが、俺の魔力とシロの魔力をうまく練り上げれば、リシャは人族の一人として普通の生活を送れるようにできると思うぜ」

『ほんと!? うれしい。ありがとう、竜のヒト!! シロ、協力するっ』


 雪の上でぽよんぽよんと純白の丸い鳥が跳ねている。

 とても魔物とは思えない可愛らしい姿や仕草にみんなは微笑ましく見ているし、姫様もホッとしたような表情で笑っていた。


 だけど、どうしてかな。


 俺は素直に喜ぶ気にはなれなかった。




 * * *




 気がつけば太陽は真上に昇っていた。いつの間にか時刻は昼時になっていたらしい。

 こういう野外での活動に強い俺はともかく、ガルディオや姫様はそんなに体力がある方ではない。

 空腹も覚えてきたところで、昼食にしようという流れになった。


 だからと言って森の中で、しかも雪が厚く降り積もる地面に直接座るわけにもいかない。


 生まれ育った故郷ではこういう時、いつも雪の洞穴どうけつを作って暖を取る。

 風を完全に遮断できるから寒さを感じることはないし、食事もできるから休憩には便利なんだよね。


 普通の人なら穴を掘るには時間がかかるけど、冥王竜もいるし大丈夫だろう。いにしえの竜はたいてい地面を掘って巣穴を作るから、穴掘り名人だと聞いたことがある。


 そう思っていたんだけど、いつの間にか犬が雪を深く掘り返して雪洞せつどうを完成させてしまっていた。


 失念していた。犬も穴掘り得意だよね。

 それにしたって彼は元人間だろうに。適応能力高すぎだろ。





 中に入ると、天井にランタンがぶら下がっていた。

 ガルディオが荷物からマットをいくつか出してくれたので、魔法で空気を入れて、姫様にはその上に座ってもらう。


「すごい! 雪の上なのに座っても寒くないのね」

「精霊たちの協力で、あたたかい空気が入っているからね」

「だから冷たくないのね。でもこんなに寒いと炎の精霊は近づいてこないと思うのだけど……」

「そのためにガルディオが火を付けてくれたんだよ」


 大きな荷物はどうやらハウラが持たせた野外キャンプ用の道具だったらしい。

 テキパキと組み立てて、小さい鍋に水筒から水を入れて温めている。


 ずっと極寒の地で暮らしているとはいえ、姫様は森に入ってキャンプみたいなことをするのは初めてだろう。


 見るものすべてが珍しいのか、目を輝かせて、楽しそうだった。


 昼食はサンドイッチ。種類は色々で、卵、レタスやチーズ、そしてポテトサラダを挟んだものまである。

 朝早く起きてノアやケイトが用意してくれたらしい。


 特にポテトサラダのサンドイッチは美味しかった。

 ちょうどいい塩加減で、マッシュポテトもしっとりしていて甘い。

 姫様も気に入ったみたいで、あっという間に平らげてしまった。


 病み上がりの頃はスライスしたパンを一枚食べるので精一杯だったというのに。

 竜の魔石の効果なのか?

 予想以上にすごいな、と思う。


「まるで雪の洞窟みたい。中に入ると全然寒くないのね」


 食後に出されたココアを飲みながら、姫様は弾んだ声で話しかけてくれた。

 ちなみに犬は外の見張り、冥王竜はガルディオを連れて森の散歩に行ってしまった。


「姫様は雪の洞穴どうけつは初めて?」

「うん、そうなの。今までお城から出たことなかったもの。外で休憩するのに、こんな素敵な方法があるだなんて知らなかったわ」


 雪洞せつどうひとつで無垢な笑みをこぼす彼女は、もともと何不自由なく穏やかな生活を送っていた王女だ。

 なのに、姫様は今置かれている理不尽な状況に関して不満を口にしない。たぶん、まるべくポジティブに考えるよう努力しているんだろう。


 周りに合わせて適応しようとするところがまた健気で、愛おしくなる。


「嫌というほど雪はずっと見てきてるけど、やっぱりわたしはグラスリードの雪が好きだわ。ねえ、キリア。さっき、キリアの故郷も雪が多いところだと言っていたけど、大陸にも雪が降るの?」


 彼女の柔らかな声音が、瞬時に俺の背筋を凍らせた。


 いや、姫様は断じて悪くない。

 悪いのは、なにも考えずに口を滑らせた俺自身だ。


「うん、場所によっては雪が降るほど寒い地域もあるんだよ。シャラールという国の領土んだ」

「だった……?」


 姫様の目が丸くなった。

 俺は首肯して、続きを語る。


「姫様、人喰いの魔族の王が治める、大陸のイージス帝国という国を聞いたことがある? その国に俺の故郷は侵略されたんだよ。もうずっと前の話だけどね」


 話して、しまった。身元を明かすなとあれだけ口酸っぱく言っていた、この俺が。

 ライにバレたらどやされるかもしれない。


「そう、だったの……」


 急に重い話をしてしまったからか、姫様はそうぽつりとつぶやいて、白藍しらあい色の瞳を揺らす。

 きっと彼女は今はもうない故郷のことを想って、自分のことのように悲しんでいるに違いない。

 誰かの心にそっと寄り添うような、姫様はそういう優しさをもつひとだ。


「シャラール国の王は人間だった。だからなのかな、グラスリードのことを深く想う姫様の言葉を聞いて、俺は力になりたいと思ったんだ」

「わたしの言葉?」

「そうだよ。あの時、俺は何の力を持っていなかったから、国が滅んでいくのをただ見てるしかなかった。だけど今は力があるし、誰かの助けになれる技術も持っている。だから俺は全力で、騎士として姫様の力になるから」


 自分の心に念じるように、繰り返す。


 そう。俺は騎士として彼女を守り、支えるのだ。

 仕えるにふさわしい主君だと思ったからこそ、俺は誓ったのだし。


 彼女の隣に座ると甘い香りがするのは、人間だからだ。時たま自分のものにしたい衝動に駆られるのは俺が吸血鬼だからというだけで、たぶん他意はない、と思う。

 今すぐ手に入れたい、だなんて。

 そんな下心を持ってはいけない相手なんだ。


「ありがとう、キリア。でもね、わたしは守られるだけでいるつもりはないの」

「——え?」


 湯気の立つカップを抱えて、姫様は俺の顔を見上げながら柔らかく微笑んだ。

 視線を逸らさずに、彼女は続ける。


「リシャさんを大切に想うシロちゃんのように、わたしもわたしが大切に想うひとを守りたい。キリア、わたしはあなたを守りたいの」


 もうこれ以上は無理だ、と思った。

 姫様のそばにこのままとどまっていると、たぶん引き返せなくなる。一線を超えてしまう。


 そういえばさっき雪道で狼が出てきた時も、同じようなことを姫様は言ってたっけ。

 俺を守りたいというのが彼女の望みなら俺は従うつもりではいたけれど、姫様が本当に望んでいるのはおそらく対等な関係だろう。

 互いに必要なものを補い合うような、主従とは全くの別物だ。


 どうして、きみはそんなことを言い始めるんだ。

 対等な立場になってしまうなら、俺は騎士として振る舞えなくなる。きみのそばにいる、理由付けがなくなってしまうのに。


「……ごめん、姫様。俺ちょっと、外の様子を見てくるよ」

「えっ」

「すぐ戻ってくるから」


 返事を待たずに、席を立って俺は雪洞の外に出た。

 振り返らなかった。姫様がどんな顔をしているか、見るのがこわかったんだ。

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