[8-2]王女、お願いする
「それで、おまえたちは何をしに来たんだい?」
ゆらりと白い鱗の尻尾を揺らして、リシャさんはそう言った。
少し首を傾げて口もとは笑っているけど、色の違う両目は笑っていない。
一歩近づいて、真っ先に口を開いたのは冥王竜だった。
「俺はいにしえの冥王竜。あんたを助けに来たのさ」
「助けに来た?」
ぴくり、とリシャさんの細い眉が動いたような気がした。
腕を組みながらじっと冥王竜の顔を見たあと、なぜか彼は冷笑を浮かべる。
「へぇ、聞かせてもらおうか」
なんだか嫌な予感がした。
ほんとうに、冥王竜に任せておいて大丈夫なのかしら。もちろん話し合いで解決するのが一番いいと思うのだけど……。
キリアはどう考えているのかしら。
ふと傍らに立っている彼を見ると、キリアも同じことを感じていたみたい。
苦虫を噛み潰したような顔で、あごに手を添えて考え事をしているようだった。
彼の袖に触れて、くいっと引っ張ってみる。
「どうかした? 姫様」
「ねえ、キリア。冥王竜は大丈夫かしら。わたし、なんだか心配になってきたわ」
一瞬、キリアの目が丸くなった気がした。
すぐにいつもの穏やかな表情に戻ったから、見間違いかもしれないけど。
「実は、俺も姫様と同じく心配なんだ。流暢に人の言葉を話すから忘れがちだけど、冥王竜はいにしえの竜であって俺達とは違う存在なんだよね。彼に繊細な人の心が解るとは思えないんだけど……。うん、とりあえず冥王竜に任せてみようか」
言葉を切って、キリアは冥王竜に視線を移した。
今、彼はいにしえの魔物と融合したリシャさんの魂をもとのふたつに分けて、人に戻すことを説明している。彼はもう死んでいる身だけど、本来のあるべき姿に戻っても特例として死んでしまうことはないんだって。
今のところリシャさんは真剣な表情で聞いてくれている。
不意に、くすりと笑う声が聞こえた。
「人に戻す? この私を?」
伏せていた薄いグレーと青銀の両目を上げたのを見た途端、ぞくりと背筋が凍る。
感情のなかったガラス玉のようなオッドアイは、仄暗い光を宿していた。
影のように笑いながら、リシャさんは薄い唇を開く。
「よくも助けに来た、などぬけぬけと言えたものだね。おまえたちは人を戻した後、この私を殺すのだろう?」
そっか。疑いたくなるのも当然かもしれない。
いきなりこんな氷だらけの奥地にまでやって来て、突然助けてあげるだなんて言われて、すぐに信じる方が無理だわ。リシャさんからすれば、わたしたちは厄介な魔物を倒しやすくするため、人に戻しにきた敵だと映ったんだと思う。
魔物の力を宿したままでは倒すのが難しいけど、ただの人に戻ってしまえば難易度はぐっと下がるもの。
「そうじゃない。いにしえの竜は嘘を言うことはできないし、俺やここにいる人族のみんなはあんたを救うためにここまで足を運んだんだ。どうか、信じてくれないか」
「信じられるものか。甘い言葉でシロをたぶらかしておいて、一体何を企んでいる? 本当のことを言え。おまえたちはこんな森の最奥にまで何をしに来た?」
氷のような鋭い視線が、わたしたちを射抜く。
「私を殺すためだろう」
びく、と紺青の尻尾が震えた。
冥王竜は何も言えなくなってしまったみたい。骨の両翼を折り畳んで言葉を返そうとしなかった。
「これって、マズいんじゃ……」
『そうですね。最悪の展開かもしれません』
ガルくんとクロも不穏な空気を感じ取ってるみたい。
わたしの位置から見えるのは背中だけで、冥王竜がどんな顔をしているのか見えない。だけど、まずい事態だということだけは分かる。
王子は勘が鋭い人だわ。
ううん、もともと思慮深くて聡明な人なのかもしれない。
たしかに最初の目的は、いにしえの魔物を取り込んだ王子の討伐だった。だから冥王竜は、否定することができない。
でも仮に、なんとか場を繕おうとして嘘を伝えても、それはリシャさんに対して不誠実なことなんじゃないかしら。
「姫様?」
キリアの手を握り返すと、彼は不思議そうな顔をした。
笑ってみせてから、わたしはひとつ頷いて口を開く。
「キリア、ここは私にまかせて。どこまでうまく話せるかわからないけど、リシャさんと話したいの」
「わかった。だけど、俺は貴方のそばを離れないから。危険が迫ったら逃げるからね?」
「うん」
手を離さないで、キリアとわたしは冥王竜の隣に立った。
紺青の目を丸くしてなにか言いたそうにしていたけど、わたしはあえて知らないふりをする。
近くで見るリシャさんは、まるで人形のようだった。
「ヒトの娘、おまえはなにか言い分があるのか?」
姿勢のいい立ち姿は、さすが王族だっただけに気品があるわ。
鋭い視線は相変わらずだけど、こわがってちゃダメだ。
頷いて、冷めた目をするリシャさんをまっすぐに見つめる。
「……わたしたちは、たしかに最初あなたを倒すつもりだったわ。グラスリード国に巣食う呪いを取り除くにはそれしかないと思ったの」
たとえ自分の立場が危うくなることでも、本当の言わなくちゃいけないと思った。
目をそらしてはだめ。ちゃんと向き合わなくちゃ。
『ええっ、そうなの!? ひどいよ! ひめさま、シロをだましてたの?』
一番に抗議したのは、シロちゃんだった。
そりゃそうだよね。わたしはこの子にリシャさんを討伐しに来たなんて、言っていなかったもの。
「違うの、シロちゃん。わたしはあなたの話を聞いて考えを変えたの」
悲しげな顔をする真白い鳥。彼女に向き直って、わたしは力強く頷いてみせる。
冥王竜の肩の上にとまってるシロちゃんは、薄いグレーの目をぱちくりと瞬かせた。
視線をもう一度リシャさんに移して、わたしは口を開く。
「わたしたちはあなたのことを知らないもの。リシャさん、わたしはちゃんとあなたの話を聞いて理解したいと思ってる。シロちゃんはあなたのことを優しい人だって言っていたわ。あなたを助けたいというのは本当の気持ちなの」
『ひめさま……』
あいている方の手を握りしめ、わたしは思いを込めて懇願する。
「だから、お願い。森の狼たちとロディ兄さまを元に戻して」
リシャさんはすぐに答えてくれなかった。
腕を組んだままじっとわたしを観察するように見てから、少し首を傾げる。
「ロディ……? ああ、この間来たヒトの子か。私は押しとどめていた願望を引き出してあげただけだよ。それは狼たちも同じ。そのなにがいけないというんだい?」
「我慢する必要があるから押しとどめていたのよ。理性がなくなると、みんな壊れてしまうわ。リシャさんならわかるでしょう? 昔のように、なにもかも消えてしまう」
大切な人を失うのは、もう嫌なの。
全部失ってしまったリシャさんなら、言葉の意味を理解してくれる。
シロちゃんは彼が疲れていると言っていた。リシャさんが優しいひとなら、言葉を尽くせばきっと分かってくれる。
そう確信していたのだけど、わたしの心はすぐに打ち砕かれることになった。
「ふぅん。なら、消えてしまえばいいだろう」
「——え?」
ガラス玉のような感情を映さない、色の違う両目。
感情を灯さないその目は作りものみたいだと、思ってた。
だけど、
「国なんて滅んでしまえばいいと言っているんだよ。グラスリードだけじゃない。なにもかも、こんな世界は終わってしまえばいい」
今、解ってしまった。
リシャさんは理不尽に命を奪った世の中に、絶望していたんだ。
雪のような真白い髪がひるがえる。
洞窟なのに風が吹くとは思えない。だとしたら、魔力の風にあおられているのかしら。
ふ、と息を吐き出し、リシャさんは冷たい微笑みを浮かべる。
「ああ、そうか。おまえがグラスリードの姫なんだね。ここでお前を始末してしまえば、今度こそこの忌まわしい島は滅びるな」
冥王竜の結界に隔絶されているから、風は感じない。
長い衣をはためかせながら、リシャさんは右腕を伸ばした。
細腕がむき出しになるのを構わず、酷薄な笑みを浮かべる。
「おまえたちを殺し、再びこの島に根付くいのちを凍らせたあと、もう二度と間違ってヒトの子が入ってこれないように世界から切り取ってやるよ」
激しく髪や衣服があおられる中、リシャさんの両目に再び仄暗い光が灯る。
すると突然、目の前の透明な壁が、ピシッと音を立て始めた。
「え、マジ?
「ちょっと冥王竜、しっかりしなよ!」
「そんなこと言ってもね、ガルディオ。俺の
二人が言い争っている間も、細かな音は耳に入ってくる。だんだん頻度が高くなってるわ。
どうしよう、魔法が壊れちゃう。
なんとかしなくちゃ。
でも、どうやって?
震え始めた指を握りしめていたら、ふと手を離されて肩を抱き寄せられる。
ふわりと香水の匂いがした。
触れられるのは初めてじゃないのに、胸が高鳴る。
「き、キリア?」
「大丈夫。たとえサンクチュアリが壊れても、俺が姫様を守るから」
キリアは力強く笑っていたけど、わたしの肩に触れた指は震えていた。
こわいのはわたしだけじゃない。
強い力をもった冥王竜でさえ圧倒されてしまうほどの相手だもの。誰だって、こわいに決まってる。
「ありがとう、キリア。わたしがんばる」
思わず逸らしてしまった視線を、再びリシャさんへ。
恐怖に負けないよう、目に力を込めて叫んだ。
「リシャさん、どうして殺そうとするの!? あなたにひどいことをした人たちはもういないじゃない!」
意外にも、わたしの問いかけはリシャさんの気持ちを落ち着かせたようだった。
外界の風がやんだのか、ひるがえっていた髪や衣服はもとに戻り、彼は前に突き出していた腕を下ろす。
笑みひとつ浮かず、リシャさんはまともにわたしを見た。
「なぜって、どうしてそんなことを聞く? おまえだけは私の気持ちが分かるはずだよ。家族を、城を、命さえも私はすべて奪われた。精霊を愛し、王子として研鑽を積んでいた日々も一瞬で無駄になった。だから、こんな世界なんかいらない」
透明な両目を向けたまま、雪色の王子は氷の微笑を浮かべる。
「おまえも大切なものを奪われたのだろう、姫。誰かを助けたいなどと考えず、憎めばいい。おまえこそ、なぜロディや私を救おうとする?」
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