[6-4]王女、おとぎ話の真実を聞く

「姫様、おとぎ話って?」


 不意にキリアが距離を詰めてきて、ドキリとした。

 至近距離で見る深い瑠璃の瞳は宝石みたい。

 顔を近づけてきたのはみんなの会話に水をささないよう声量をおさえるためだって分かってるんだけど、この距離感にはまだまだ慣れないよ。


 おとぎ話をした時は、光竜の巣穴で採掘作業をしていた時で、キリアは療養中だった。知らなくて当たり前だものね。


 ライさんやノア先生だって看病のためにいなかったし、ちゃんと説明しておいた方がいいのかも。まあ、ノア先生はグラスリードの国民だから知ってるだろうけど。


「えっと、古くから伝わるおとぎ話のことよ。昔々、お城の裏にあるファーレの森に、縄張りに近づく人みんな氷漬けにする氷の魔女が住んでいたの。でもうっかり魔女の館に近付いた妹姫が囚われてしまって、兄の王子は助けるために氷の魔女に会いに行くんだけど……」

「王子に一目惚れした魔女はこう交渉するのよ。おまえがここにとどまるなら、妹の命を助けてやる、とね」


 わたしの言葉を引き取って、ノア先生が続けてくれた。やっぱりおとぎ話のことは知ってたみたい。

 こくこくと頷くと、キリアは顎に手を添えて考えるような仕草をする。


「それで王子はそのまま魔女のもとにとどまって、妹の命は助かるっていう結末なのかな?」

「うん、そうなの。暗くなった森に入ってはいけない。入るとうっかり魔女に見つかって、氷漬けにされて食べられちゃうぞって親は子どもに注意するの」

「なるほどね。それくらい、この国では浸透している物語ってことか」


 頷いたあと、キリアはハウラさんを見ていた。

 彼女は「うーん」と唸って難しい顔をしてたけど、少しして顔を上げ、穏やかに微笑む冥王竜を見返す。

 ゆっくりとした足取りでかれは部屋の中央まで歩いてくると、切り出した。


「あんたはこの国に伝わるおとぎ話になにか隠されていると考えていたんだろう?」

「ああ、その通りだ。古くから伝わる作り話には真実が織り交ぜられているって、相場が決まってんだ。この島国には古代からの呪いが根付いてるんじゃないかと、オレは推測していた。だから、謎を解くにはおとぎ話が鍵なんじゃねえかと考えていたんだ」


 腕を組んで答える彼女に、冥王竜は頷いて聞いている。


 ハウラさんまでもグラスリードに根付く呪いに気づいていただなんて。

 わたしなんか生まれてからずっとこの島で暮らしていたのに、ちっとも気づかなかった。


「ちょっと待ってくれねえか?」

「どした? ライ」

「おとぎ話に真実が含まれてるってことは、物語の中で妹姫のために犠牲になった王子は実在した、とハウラは考えてんのか?」

「ああ、その通りだぜ。ま、大抵こういう作り話はきれいに作り変えられてるから、本当に妹のために犠牲になったのかは分かんねえけどな。だが王子は、かなり前に実在したグラスリードの王族だったんじゃねえか、というのがオレの見立てだ」


 難しい顔をしたライさんの言葉に頷いて、ハウラさんは笑って答える。

 すると、腰に手を当てて、冥王竜は声をあげて笑った。


「あはは、あんたいい線いってるな」


 大きな紺青色の尻尾がまたぱたりと揺れる。

 尻尾の揺れは心の揺れというけれど、それはいにしえの竜にも当てはまるのかしら。


「あんたの見立ては当たってるよ、ハウラ。犠牲になった王子はこの島国に存在した王族だ。ただ、妹を庇って城を出たのではなく、政変によって投獄され処刑を待っていた元王子だったのさ」


 うそ。政変って、今回が初めてじゃなかったの!?

 思わずぽかんと口を開けて驚いていたら、ハウラさんも目を丸くしていた。


「そういえば、前に古い文献で読んだことがあるぜ。政変は今回が初めてじゃなく、グラスリードでは何度か起きていて、昔は人間ではなく魔族が治めていた、と」

「その通り。グラスリード国の建国王は魔族の中でも珍しい部族、シーサーペントだった。本来の姿は海の中を自在に移動できる竜みたいな形体だったよ。俺みたいにね」

「で、その王子はそのまま処刑されちまったのか?」

「いや、少し違う。政変によって投獄された王子は、牢から逃亡した果てに殺されたんだ。そして、その王子の魂が〝世界の嘆き〟と融合してしまったのさ」


 きょとんとした顔で、ハウラさんが冥王竜の顔を見る。

 ぽつんと、オウム返しのようのつぶやいた。


「世界の、嘆き……?」

「正確には呪いを身に宿した魔物で、精霊王の統括者が〝世界の嘆き〟と名付けたようだね」


 彼女の言葉に合わせて、わたしも心の中で唱えてみる。


 それは名前、なのかしら。

 まるで世界中の悲しみを一身に背負ってるような表現だわ。


「この魔物はこの世界が造られてからこの島にずっと存在していたんだ。でも性質は大人しくてね、表に出てくることはなかったから、統括者も問題ないと判断したんだろう。当分の間は様子を見ていたらしい。だけど、異変は突然起こった」

「それが融合、か。王子はよほど強い思いを抱いたまま、死んじまったんだろうな」


 思わず足元で腰を下ろしているクロを見た。

 艶やかな黒い毛並みの犬の姿をしている彼もなにか察してるみたいで、難しい顔をして黒い瞳を細めている。


 人と魔物が融合。

 少し前のわたしならすぐには信じられなかったのかもしれない。

 だけど、すぐそばにはクロという実例がいる。不可能なことじゃないわ。


「彼の場合は恨みの気持ちが強かったんだろうね。〝世界の嘆き〟と融合した後、俺達の予想もしなかった事が起こったんだ」

「何があったんだ?」

「魔物と融合した王子は魔力を暴走させ、この島をすべて氷漬けにしたんだよ。グラスリード国はね、一夜のうちに滅びてしまったんだ」


 そう言って、冥王竜は紺青の瞳を細め、泣き出しそうな顔で微笑んだ。

 まるで自分のことのように悲しんでいるみたいに。


 見ているわたしまで胸が苦しくなってくる。


「氷漬けって、そんなことしたら……」


 赤い瞳を見開いて、ハウラさんが絶句する。


「そう、この島に生息する命あるものすべてが死に絶えてしまった。それから数年たった後、どこからか話を聞きつけた人間が大陸から渡ってきたよ。その子は精霊と相性がよくてね。まだ島にとどまっていた精霊たちと協力して、なんとか人族や動物たちが住めるように復興させたんだ。それこそ、長い時間をかけてね」

「その人間がお嬢の祖先ってコトか?」

「そうだよ。でも魔物による呪いの弊害はまだ続いている。あれ以来、この島の雪は解けず一度も春が来ないままだ。グラスリードにずっと住んでいるあんたたちなら、すでに身にしみて分かってるだろうけどな。それでも、魔物と融合した王子はずっと森の奥深くに引きこもって、静かに眠っていたんだ。狼にまで呪いの被害が及ぶようになったのは最近のことなんだよ」

「何かあったのか? 誰かがその魔物を叩き起こしちまった、とか」


 目を上げて、冥王竜はハウラさんを見て困ったように微笑む。


「当たり。〝世界の嘆き〟と融合した王子に、ロディが接触してしまったんだ」

「なるほど、おとぎ話に出てくる氷の魔女の正体は、〝世界の嘆き〟と融合した王子だったってことか……」


 ハウラさんは納得したみたいだったけど、わたしにはまだよくわからない。


 だって、ロディ兄さまが、どうして?

 兄さまだって貴族の一人だし、お仕事が関わらない限りお城からあまり出ないのに。


「これはさすがに、あんた達に聞かないと分からないな。ここ最近、ロディがファーレの森に出かけたことはなかったか?」


 冥王竜のその問いかけに答えたのは、わたしの足もとにいたクロだった。


『そういえば、ロディさまは一ヶ月ほど前に、国王陛下の命で森の視察へ行くと話していました。なんでもファーレの森に住む獣たちの様子がおかしいと、獣人族の村から陳情があったようで』

「なるほどね。視察で森に入った時に、運悪く接触してしまったのかもな」

『そうかもしれません。それに、その〝世界の嘆き〟と接触したことで、ロディさまは心変わりをしたのかもしれませんね』

「心変わり、だと?」


 片眉を上げて、訝しむようにハウラさんが尋ねると、クロは首を振って頷く。


『ロディさまのお父君はユミル国王の兄にあたります。つまり、ロディさまは国王陛下の甥ということになるのですが、彼は魔族なので王にはなれません。実際、ロディさまのお父君も魔族だった理由で戴冠は叶わず、弟のユミルさまが国王の玉座に座ることとなりました』

「ちょっと待てよ。なんで魔族が王になれねえんだ? 他の国ではほとんど魔族が治めてるだろ」

『仕方ありません。それがグラスリード国の掟ですから』


 はあ、と息を吐き出してクロはひと息をつく。もしかしたらため息だったのかも。

 心配になって顔を覗き込もうとしたら、大丈夫だと言わんばかりにクロは意味深に頷く。そして顔を上げ、続きを話し始めた。


『同じ魔族のキリアやライが良い人たちだってことは分かっています。ですが、ハウラや皆さんもご存じのように、今は世界的に魔族は完全な加害者です。大陸の二つの強国、ノーザン王国の前国王もイージス帝国の現国王も、人喰いの経験者ばかりか、他種族の命を狩り力を得ることを推奨しています。実際、このグラスリード国でもヒトの味を覚えて精神を狂わせた魔族のせいで、非力な翼族が真っ先に狙われ絶滅してしまいました。そういう歴史の背景があるので、この国には人間だけしか王にはなれない掟があるんです』

「ちょっと、いいかな」


 遠慮がちに挙手したのはキリアだった。

 反対の声が上がらず、みんな黙って彼に注目している。


 何を言うつもりなのだろう。気になって目で追っていたら、立ち上がってキリアはクロに視線をクロに向けていた。


「きみの言った通り、一般的に見て俺達は捕食者だ。魔族というだけで怖がる人がまだまだ多いくらいだからね。たしかに人間と比べれば魔族は能力的にも強い、と思う。しかも後継の姫様は生まれつき身体があまり丈夫じゃない。そのことから考え合わせてみたんだけど、もしかしてロディを次期国王に推す声もあったんじゃないのか?」


 その質問に、クロは頷いて返す。


『はい、その通りです。でもロディさまは現状に満足していました。次に玉座に座るのが姫様になろうと、陰ながらサポートしていきたいと常に話されてましたし。たぶん、それが国のためになると考えていたのでしょう。でも、』

「実際にはこうして国を乗っ取ってるということ、か」

『はい。ですから、ロディさまは〝世界の嘆き〟と接触したために、心変わりしてしまったのではないかと……』

「というよりも、精神操作に近いのかもな」


 言葉を挟んだのは冥王竜だった。

 紺青の瞳がクロを見つめたあと、少し細くなる。


「ま、直に見たわけじゃないから確証はないけど。おそらく心の隙を突かれたんだろう。ロディにしろ、森の狼達にしろ、呪いの源を絶たなければ解決はできないだろうね」


 呪いの源を絶つ、だなんて。そんなことできるのかしら。

 だって、相手はかつてグラスリードを氷漬けにしたひとなのだし。


 スケールが大きすぎて、頭が追いつかないわ。


「随分他人事みたいな口ぶりだね、冥王竜。わざわざこうして俺達の前に出てきて、呪いを解くための準備が整ったと言い放ったんだ。なにか解決のための手立てがあるんだろう?」


 軽く睨みつけてキリアがそう尋ねると、彼は「もちろん」と言って微笑む。


「呪いのもとを絶つには、〝世界の嘆き〟と融合した王子を討伐する必要がある。同行はするけど、サポート役に徹するつもりだ。俺の役目はあくまでも魂の浄化や解呪、だからな。主体はあんたたち人族でやってもらう」


 紺青の瞳がわたしを見る。


「そこで頼みたいことがあるんだ。ティア、あんたは——」

「待て。冥王竜」


 語気を強めた声がかれの言葉をさえぎる。

 思わずキリアはを見たら、彼はまっすぐわたしを見ていた。


 すぅっと細められる、深い瑠璃の瞳。


 形のいい薄い唇が言葉を紡ぐ。


「姫様はどうしたい?」

「え」


 彼の声音は、いつものように優しかった。


 どんな時でもキリアの穏やかな声はわたしも胸にすうっと入ってく。

 震えていた心がホッとする。強張っていた身体も、自然と力を抜くことができる。


「〝世界の嘆き〟と融合した王子は住む場所も家族も理不尽に奪われた。今の姫様とだいぶ境遇が似ているし、ロディがおかしくなったのは王子が元凶だ。もしかすると、顔を合わせるだけで辛い思いをするかもしれない。だから、」


 キリアは私の手を取って、ぎゅっと握ってくれた。

 まっすぐな深い瑠璃の両目は、じっと見上げるわたしが映っている。


「姫様が耐えられないと思ったら、俺たちに任せてここで待っていてもいい。精霊王の統括者さえ手を出そうとしなかった魔物だ。それを退治するのは姫様の負うべき責任じゃない、と俺は思う」

「でも」

「呪いの大元を断ちに一緒に行くか、それともこの家に残って待っているか、好きな方を選んで構わない。どんな答えでも俺は受け止めるし、貴方の望むほうを言って欲しい。力になりたいんだ。姫様はどうしたい?」


 真夜中に見る夜みたいなキリアの瞳に見つめられて、てのひらから伝わる熱がじんわりと胸の中を満たしていく。


 国一つを滅ぼすほどの大きなチカラを持つ魔物を相手にしないといけないなんて、怖くてたまらないはずなのに。

 どうしてか、わたしは不安なんて感じなかった。


 だって、すぐそばにはキリアがいる。

 どんな時だって守ると、力になると言ってくれた彼が、わたしの望みを聞いてくれているのなら。


 彼になら、心から安心してわたしのすべてをあずけられる。


 思うとおりに言ってみよう。

 グラスリード国の王女としてだけではなく、わたし自身がどうしたいのかを。

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