[4-5]吸血鬼騎士は連れ戻したい

「一日で完治する薬だって?」


 昼を過ぎた頃、部屋に再び姿を見せた主治医の言葉に俺は言葉を失った。


「そ。すぐに良くなりたいんでしょう? キミも医者なら分かると思うけど、高熱の原因は風邪なんかじゃなくて身体の精霊バランスが崩れているせいなの。すぐに鎮静化させるためには本来なら中位精霊の協力が必要なんだけど、あいにく私もそんな精霊の知り合いなんていないし」

「そう、だね。俺もあいにく剣士だし、精霊と縁があるわけじゃない。でも投薬による治療なら結構時間がかかるんじゃないのかい?」

「その通り。普通の薬なら熱が引くまで一週間はかかるわね。でもキミは姫様のために一日も早く身体を回復させたい。でしょ?」


 白衣姿の女医は細い腕を組んで口角を上げる。

 不意にすっと人差し指を顔の近くに掲げ、彼女は自信たっぷりに宣言した。


「だから、幻薬を作るのよ」


 なるほど、幻薬か。

 それなら一日で完治するのも実現可能だろう。


「そうか。幻薬のような魔力を織り込んだ薬なら納得だね。でもあれは精製するにはかなりの技術が必要だろう?」

「実は私の父が幻薬を作る技術を持っててね。まあ父ほどじゃないけど、簡単なものなら私も作れるわ。素材は特殊なものが必要なんだけど、姫様とケイトが取りに行ってくれてるし」


 そうか、それは安心だ。

 ——と、危うくホッとひと息ついて、思わず聞き逃すところだった。


 ちょっと待て。


「姫様が素材を取りに行ったのか!?」


 てっきりここにとどまっているものだと思っていた。

 第一、ケイトだけでなく身軽に動ける者はライだっている。あいつ、一体何やってるんだ。


 しかしノアという目の前の女医は、狼狽する俺の気持ちとは対照的だった。あっけらかんとした表情で頷く。


「そうよ。私はキミを診てなきゃいけないし、王都からそう遠くないところだから大丈夫よ」

「いや、大丈夫なわけないだろう! 彼女は今、追われてる身なんだ!! 刺客に見つかったらどうするんだっ」


 こうしてはいられない。今すぐに姫様を連れ戻さなければ。

 俺のせいで彼女がロディの手の内に落ちてしまったら、寝覚めが悪いどころではない。


「ちょっと、大人しく寝てなさい! キミ自覚ないでしょうけど、相当重症なんだから。普通の人だったら意識飛ぶくらいの高熱なのよ!?」


 起き上がろうとする俺をノアは必死に押さえつけようとする。

 時おり見える長い尻尾が太くなっているあたり、彼女も本気らしい。


 悪いけど、女性に動きを封じられるほど俺は弱くない。さっさと姫様のもとへ行かせてもらう。


「なに騒いでんだ?」

「ライいいところに来たわ! ちょっとキリア押さえ付けて!! 今すぐっ」


 本当におまえはタイミングのいい男だな!?

 というか、姫様を素材採取に行かせて、どうして俺の親友はのんびり居残り組を決めてるんだ。


「おまっ、キリア! 病人のくせになに暴れてんだよ!?」


 さすがにライの力まで加わってしまえば負けを認めるしかない。

 すっかり抵抗をやめた俺はベッドの中に沈み込み、親友だけに狙いを定め強く睨みつける。


「うるさい。おまえこそ、なんで素材採取に行かなかったんだ。姫様をあごで使うんじゃない」

「いやいやいや、使ってねえし! つーか、姫様がお前のために行きたいって言い出したんだぜ? なあ、ノア」

「そうそう。キミのために何でもしてあげたいって、熱く語ってたんだから」


 やけに二人がにやにや笑っているのは気のせいだろうか。

 まあ。ライはともかくノアが嘘をつくわけがないし、事実なのだろうけれど。


「キミが姫様とどういう関係か分からないけどさ、少なくとも姫様はキミに気があるのはたしかね」


 ベッドの近くに置いてあるパイプ椅子に座って、ノア女医はどこか熱っぽく語っている。

 ライのやつ、彼女にあることないこと吹き込んだんじゃないだろうな。


「きみまでそんなこと言うのはやめてくれないか。俺は身分もなにもない他国を出奔しゅっぽんしてきた逃亡者で、彼女は一国の王女だ。釣り合うはずがないじゃないか」

「あら、グラスリードでそんなこと気にしなくてもいいわよ。だって王妃様は人ですらなかったんだもの」

「精霊と比べられても、ね。人外だからこそ、逆に怪しまれることなんてないんだし」


 人と人との争いや思惑なんて、精霊達にとっては関係のない話だ。

 だからこそ、精霊から人に変じた人物はは人々から見れば清廉潔白なわけで。


「ふふ、まあそうかもしれないわね。じゃあさ、身分が釣り合うとしたら、キミは姫様にお近づきになりたいの?」


 視界の端で、薄いグレーの尻尾が揺れている。明らかに期待されている……いや、楽しんでるのか。

 もう付き合っていられない。


 病人らしく布団を引き寄せて目を閉じ、俺は話題を変えることにした。


「もうその話はいいだろう。今、家にいるのはきみとライだけってことかな」

「そうよ。クロは姫様の護衛に付いて行ってるしね」


 やっぱり、姫様のそばにはあの黒い犬がくっ付いているのか。

 まあ、彼はもともと彼女の騎士なのだし、護衛するのは当たり前なのだけど。


「そういえば姫様に聞いたんだけど、クロって精霊じゃないんだってね」

「そうだぜ。聞いたところによるとロディに殺された若い騎士の名前を名乗ってて、声や言動がそっくりなんだってよ」

「ふーん」


 二人の会話がなんとなく気になって目を開けると、ノアは細い足を組んで考え込んでいるようだった。

 彼女、グラスリードの医者だって言ってたな。精霊についての知識も多少なりともあるようだし、もしかして。


「ノア、きみはもしかして精霊魔法の使い手でもあるんじゃないのか?」

「よく分かったわね。ま、本業は医者だからそんなに詳しくはないけど、精霊魔法って治療に便利なものが多いから勉強してるのよ」


 俺達みたいな人にとって精霊は身近な存在だ。生活だけでなく、生命の維持そのものにおいても彼らに助けられている。

 もし精霊との相性が良ければ、人の姿を取ることのできる中位精霊の協力だってあおぐことができるし。

 たしかに学んでおいて損はないと思う。


「だから、あの子が精霊でないのなら、何者なんだろうって考えちゃうわけよ。キリアはどう思う?」

「そうだね……」


 そういえば考えるのを忘れていた。

 熱を出して俺が倒れてしまったせいでみんなまでずっと慌ただしく動いていたし、座ってじっくり考える機会もなかったもんな。


 いや、むしろ俺の場合、考えないようにしていたのかもしれない。


「姫様があの犬からクローディアスを感じ取っているのなら、彼は人ではなくなっているのかもしれないね」

「キリア、それって……あいつが魔物になっちまってるかもしれないってことか?」


 緑色の瞳を揺らして、親友は戸惑った表情を見せている。

 無理もない。だけどそう考えるなら、犬が語った言葉にも納得がいくんだよね。


「確証はないけどね」


 魔族だから魔法に関する知識は多少なりともあるけれど、俺は専門家じゃない。


「そうよ。私もキリアも、そしてキミもモンスターや魔物に関しては何の知識もないわ。だから結論は急がない方がいい。それよりも優先すべきなのはキリアの治療よ」


 逸れていたつり目がちな紺青色アイアンブルーの瞳が俺に向き、ついと細められる。

 あ、まずい。矛先が戻ってきた。


「キミも医者の端くれなら、みっともなく暴れるのはやめて大人しく治療されなさい。いい、分かった?」

「……はい」


 ここは大人しく頷いて、眠っておこう。

 本気で怒るということは、それだけ患者に対して真摯な態度で向き合っているということ。


 それに、クロの正体についてはいずれ分かることだ。


 彼が人でなくなっていることは、さすがの姫様も分かっていると思う。

 もしも真実が彼女にとって辛いものだったなら、そばにいて支えてあげたい。


 本当の意味で姫様を守れるのは、人である俺しかいないのだから。

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