5章 追放王女は遺跡へ行く
[5-1]王女、黒犬の正体を知る
決して小さいサイズの鳥ではないものの、尾羽が長くて引きずりながら歩いていたせいか、ハウラさんにむぎゅっと踏んづけられちゃった。
『きゃう!』
「ちょっ、危ねだろララ! そのままで出歩くつもりか!?」
精霊だから人と違って痛みは感じないけど、ハウラさんにとってはたまったものじゃないよね。
苦笑しつつ見守っていたら、バサバサと翼を羽ばたかせて赤い羽毛を散らしながら、ララは堂々と宣言した。
『じゃあ動きやすいカッコになるぅ!』
前触れもなく突然に、赤い光が部屋いっぱいに満ちていく。
何も見えないくらいまぶしかったけど、すぐに光が弱くなってくれたおかげで何ともなかった。
気がつくと、そこには赤い輝きをもつ鳥ではなく、小さな赤髪の女の子が立っていた。
肩につくくらいの髪は光の加減でキラキラと輝いていて、緩やかなクセがついている。ハウラさんを見上げる、くりんとした瞳は桃色。
背に小さな赤い翼と髪の間からは羽毛でできた耳が見える。
まるでグラスリードの外——大きな大陸にいると言われている、翼族そのものだ。
だけどその背丈はとても低くて、ハウラさんの腰のあたりまでしかない。
その姿はどう見ても、十歳くらいの子どもだった。
「こ、ども……?」
鳥バージョンの時は立派に成長した鳥の姿だったのに、人型になると小さな女の子の姿ってどういうことだろう。
「そ。大人の姿にもなれるんだけど、ハウラはこっちの方が好きみたいだしぃ。それにエネルギー効率もコッチの方がいいしねー」
ころころと屈託なく笑うララは、小さな翼をパタパタ動かして楽しそうだった。
本当にハウラさんのことが大好きなんだなぁ、とこっちまでほっこりしてきちゃう。
「さて、姫。早く外に出よう。この部屋はひどく暑い……」
ふと見上げると、ケイトさんは眉間に皺を寄せてゲッソリしていた。ちなみに彼女は耳あて付きの帽子を被ったままだ。
だらだらと顔に汗が流れている様子を見て、わたしは慌てた。
「そ、そうだよね。早く出よう、ケイトさん!」
やっぱり、彼女も暑かったのね。
厚手のコートと帽子を身に付けてから、わたしは大慌てで憔悴しかけたケイトさんの手を取ってドアを開ける。
後から家主のハウラさんとララの二人が続いて外に出た。
瞬間、絶叫が上がる。
「ぎぃやあああああああ!!」
耳に突き刺さるような大きな声で悲鳴を上げたのはララだった。
ハウラさんの太ももにしがみ付いて、えぐえぐと泣いている。
突然、どうしちゃったんだろう。
「ど、どうしたんだよっ」
「ハウラぁ、魔物がいるぅ! ララ食べられちゃううう!!」
ま、魔物!?
森の奥深くにいるって話は聞いたころあるけど、まさかこんな人里近い場所に出るだなんて。
だけど注意深く見渡しても、それらしき影は見当たらない。
『大丈夫ですよ。精霊を食べたりしませんから』
「出たぁあああああ!」
むくりと起き上がった影はわたしたちの目の前に現れた。
それはもう今ではすっかり見慣れてしまった。艶やかな黒い毛並みの獣。
「……クロ?」
そう、クロだった。
そういえば、いつのまにかいなくなってると思ったら、家の外に出ていたのね。
でも彼が魔物だなんて、どういうことなの?
「んー? ちょっと待てよ、コイツは……」
ララを引っ付けたままハウラさんは近づいて、子牛ほどの黒犬姿のクロに顔を近づける。
ただでさえ泣いているのにそんなに至近距離になったら暴れ出すんじゃ、と思ったけど、ララはぎゅっと彼女の足にしがみついて黙り込んだまま。
しばらくじっと観察してから、ハウラさんはひとつ頷いて立ち上がる。
にぃっと口角を上げて、不敵に笑った。
もしかしたら、彼女にはなにか分かったのかもしれない。
「なるほどな。ララ、コイツは大丈夫だと思うぜ?」
「本当ぉ?」
ふわふわの赤い髪を、褐色の手のひらがわしゃわしゃと撫でる。
ララが小さな女の子の姿をしているせいか、まるで親子みたい。
さっきまで二人の様子を見てあたたかな気持ちになっていたというのに、今のわたしはそれどころじゃなかった。
帰ってきたわたしの騎士が、人にとっては危険なモンスターかもしれない。そんな不安でいっぱいだった。
「あの、ハウラさん。クロが魔物ってどういうこと……?」
おそるおそる尋ねると、意志の強そうな赤い瞳は少しだけ細くなる。
目の前に手を差し出して、彼女は柔らかく微笑んで、言った。
「詳しくは歩きながら話そうぜ、お嬢。安心しろ、魔物だからって即刻退治するような事態はならねえからさ」
* * *
遺跡へ向かう道すがら、わたしが話す前に今までの経緯を話し始めたのはクロだった。
泣き叫びはしないもののまだこわいのか、ララは鳥の姿に戻ってハウラさんの肩にとまっている。けど、こわいもの見たさで気にはなるのか、時々こちらを見ているようだった。
「——で、気がついたら犬の姿になっていた、と」
『はい、その通りです』
厚手のマフラーで隠した口もとを動かして、ハウラさんはクロと話している。
降っていた雪はやんでいたものの彼女にとってはまだ寒いみたい。
転ばないよう注意しているのか目線だけは前へ向け、真面目な顔で言った。
「間違いねえ。お前はチャーチグリムと融合しちまったんだな」
クロはつぶらな黒い瞳を丸くする。
聞き慣れない単語に、わたしは戸惑いを隠せなかった。
「ハウラさん、チャーチグリムって?」
「通称
だからそんな悪いモノじゃねえんだぜ、とハウラさんは笑ってくれた。
あたたかくて優しいその微笑みにホッとする。
さすがハウラさん。地質学者って聞いてたけど、モンスターにも詳しいのね。
「多分、そのロディってヤツに殺された時、クロ坊、おまえは強い未練を持ってたんだろ」
『そうですね』
不意にクロは立ち止まり、振り返ってわたしの顔を見る。
目が合うと、彼は黒い瞳を少し細めた。
『僕は
近づいてきた黒い犬は、一歩近づけば届く距離を空けて止まり、白い地面に腰を下ろした。
澄んだ瞳はわたしをまっすぐに見つめている。
姿を変えたって何も変わっていない。この程よい距離感も、物柔らかな態度も、そして細やかな気遣いも。
全部、生前のクローディアスのままだ。
「……クロ」
「お嬢、滅多にあることじゃねえんだけどさ、強い未練や恨みを持った魂を魔物が取り込んじまうことがあるんだ。クロの場合は
『えっ、そうなんですか!?』
本人も予想外だったみたいで、クロはばっと身体の向きを変えてハウラさんを見上げる。
にこやかに笑って頷いているあたり、そんな深刻になる必要はないんだろう、けど。
クロとしては複雑な思いを感じたのか、頭を垂れてしまった。
『そんな……。じゃあ、この身体はそのチャーチグリムのものだったんですね。こうして僕が前面に出てきていますし、なんだか乗っ取ってしまってるみたいで、申し訳ないです』
「別に気にすることないんじゃねえか? チャーチグリムとしては呪いさえ駆逐できればそれでいいんだろうしなァ。コイツら精霊や人の
『……ふむ。たしかに、別に構わないって言ってる気がします』
「だろ?」
えっ、意思疎通できるの!?
なんだか、すごいことになってきちゃった。
でも、ひとつの身体にふたつの魂が入ってる状態だなんて。大丈夫なのかしら。
「ハウラさん、クロはどうなっちゃうの?」
退治することにはならないって言ってたけど、魔物である以上やっぱりどうにかしないといけないのかな。
もうクローディアスは死んでしまっている以上、やっぱり正常に戻さないといけないの?
それはとても辛いことだし、考えるだけで悲しくてたまらなくなる。
だって、彼は騎士として殺されてしまったんだもの。
そもそも、わたしの身体がもっと丈夫で、療養のために別荘に行く事態にならなければ死なずに済んだかも、しれないのに。
じくじくと痛みを感じ始める心を抑えつけて、わたしは胸元で強く手を握りしめ、
すると、その異国の女賢者さまは白い歯を見せ、太陽みたいな笑顔を向けてくれる。
「別にどうもしなくていいんじゃね? お嬢にとって大切な人なら、そのままそばに置いとけよ」
その言葉に心から
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