4章 追放王女はおつかいへ向かう

[4-1]王女、診療所へ行く

 朝起きると、わたしはなぜかソファの上にいた。


「……あれ?」


 身体を起こすと、毛布が肩からするりと落ちる。

 寝起きの頭でぼんやりとしていたら、視界の端で黒い影が動いた。


『姫さま、おはようございます』


 むくりと起き上がった黒い影はクロだった。

 ふさふさの黒い尻尾をブンブンと振って、嬉しそうな顔で近づいてくる。


「おはよう。わたし、どうしてベッドに寝ていないんだっけ?」


 あれ、おかしいな。

 昨日の夜、いつごはんを食べたんだっけ。


 ライさんが借りてるこの家の中まで、クロにキリアを運んでもらったことは覚えてる。

 すごい熱だったからとりあえず寝かせて、わたしはピッチャーにお水を入れたり、水で冷やしたタオルを濡らしてキリアの額にのせたりして——、


『昨日はだいぶお疲れだったみたいで、ケイトと食事したあと姫さまはソファで 眠ってしまったんですよ』


 そう言われてから、やっと思い出した。


 キリアのためにできることはぜんぶやってから勧められるままにご飯を食べて、ソファで休んでいたらいつの間にか眠ってしまったのね。


「わたしってば、ベッドに行かずに……。再会して早々はしたない姿を見せちゃったね」

『仕方ありません。昨日は墓地まで歩いたり悪い狼に襲われたりしましたから。お疲れだったんですよ』

「ありがと、クロ。そう言ってもらえると心が軽くなるわ」


 とりあえず、まずは朝食よね。

 普通の風邪じゃないからお医者さんをどこからか連れてくるにしても、キリアにはまず栄養を取ってもらわなくちゃ。







 手早く身支度を整えた後、廊下に出るとライさんの大きな声が聞こえてきた。


「だーかーらー、何度も言ってるだろ!?」


 キッチンに入ると、もう誰か料理を始めていたのかいい香りがする。

 リビングに行くとテーブルの上にはオムレツが三つ並べてあって、そのそばにライさんがいた。


「オレが姫様と一緒にキリアの看病するから、ケイトが医者を連れてきてくれよ」


 ライさんに向かい合うように立っていたのは、ケイトさんだった。

 腰に手を添えて声を荒げてる彼に対して、彼女は腕を組んでライさんを睨み付けている。


「ワタシだって何度も言っている。アナタに看病ができるのか? とてもじゃないが、信じられない。朝食も満足に作れなかったじゃないか。ワタシが手を加えなければ恐ろしい物体ダークマターに仕上がっていただろう」

「うっ、そこまで言うか?」

「ワタシはともかく、病人や姫に食べさせられるシロモノじゃなかったのはたしかだ」


 ライさん、わたしに何を食べさせようとしてたの?


「し、仕方ねえだろ。料理したことねえんだし」

「とにかく、看病はワタシがする。住所は紙に書いて渡すから、キミが医者を連れてきてくれ」


 部屋の中でも相変わらず帽子をかぶったままのケイトさんは、頑としてライさんの言い分を飲まないといった感じ。

 本人は困った顔をしてるけど、わたしもダークマターに仕上がった料理をキリアに食べさせるのは、ちょっと困るかも。


「お医者さまなら、わたしが連れてくるよ?」


 険悪な雰囲気だったけど、思いきって話しかけてみる。

 ケイトさんは振り返ってきょとんとしてたけど、指を顎に添えて考えるような仕草をした。


「……そうだな、それもいいかもしれない。さすがに姫一人では行かせられないけど、クロもいることだし。ライナス、アナタが姫と一緒に行ってくるといい。ワタシは残ってキリアの護衛をしつつ看病をする。これで決まりだ」


 わたしの提案は、無事に採用されたみたい。

 動ける人の頭数の中に、わたしはもちろんクロも入れてくれていて、なんだか嬉しい。


「って、結局おまえが残る流れじゃねえか。つーか、キリアは吸血鬼の魔族だぜ? フツーのヤツは怖がると思うんだけど。ケイト大丈夫なのかよ」

「あれだけ一緒にいて姫がキリアを少しも怖がる素振りを見せないということは、人格的に問題がないということ。そういう点ではアナタと違って信用できる」


 きっぱりはっきりと、ケイトさんはそう言い切った。


 それって、ライさんが人格的に問題あるって言ってるようなものなんじゃ……。


 こっそりと本人の反応をうかがってみると、嫌味が伝わったのか苦虫を噛みつぶしたような顔をしていて、彼はそれ以上なにも反論しなかった。




 * * *




 外に出ると、雪は降っていなかった。

 真っ白な道をぎしぎしと慎重に歩く中、ライさんが白い息を吐き出す。


「にしても、あんな言い方ひどくね? そりゃ作ったモノはあんまり見た目は良くなかったけどさあ」


 眉を寄せて、彼は不満そうだった。


 なにか言ってあげたほうがいいのかな。

 でもわたしが口を開く前に、隣を軽い足取りで歩いていたクロが先に声をかける。


『一体、姫さまに何を食べさせようとしてたんですか?』

「え、いや、一応オムレツだったけど」

『〝ダークマター〟とケイトさんが表現するほどだったんですから、真っ黒だったのでは?』


 一瞬だけライさんが口をつぐむ。

 顔を上げて見てみると、またさっきみたいに苦虫を噛みつぶしたような顔をしていた。


「……オレ、あんま料理したことねえんだよ。そういうのは別のヒトがしてたっていうか」

『ライさんやキリアさん結構身なりいいですもんね。もしかして、あなたたちは他国の貴族なのではないですか?』

「えっ、そうなの?」


 貴族の人みたいな服装をしてると前から思っていたけれど、まさか本当に貴族だったのかしら。


 気になってライさんの顔を見ると図星なのか、目を見開いたあと顔を引きつらせていた。


「おまっ、えーとクローディアスだっけ? 結構鋭いな」

『クロでいいです。クローディアスだった頃のボクは一度死にましたから』

「ちょっ……、そういうこと姫様の前でさらっと言うんじゃねえよ」

『事実ですから。それより話を戻しますけど、ボクの家も騎士を輩出する家系でしたから、なんとなく分かるんです。他国の人がなぜグラスリードの内乱に関わろうとするのか聞かせてもらいたいところですが、まあ今のところは姫さまのために動いてくださっているので、口出しはしません』


 足取りは止めずに語る口ぶりは、まるで他人事みたいに淡々としている。

 対するライさんは「あー」とか「うー」とか唸っていたけど、そのうち観念するように大きく白い息を吐き出した。


「ま、正確には元・貴族だけどな。今は何の肩書きも持ってない旅人だ。オレはともかくキリアはとある人に姫様を助けるように託されたみたいでさ、オレはその手伝いをしてるだけだよ」

「うん、わたしもキリアから聞いた。それが誰かなのかは教えてくれなかったんだけど……」

「オレも知らねえんだよなー。なんか口止めされてるらしくてさ」

『そうですか』


 それっきりクロは黙り込んでしまった。

 目線だけは前へ向けて、なにか考えているように静かに歩いている。


「あ、ここだぜ姫様」


 メモを見ながらライさんが立ち止まる。

 薄いグレーのお家で、かかっている看板は「雪テンの診療所」と書かれている。


「雪、テン……だと?」


 看板を凝視していたライさんが強張った顔で、ぽつりとそう言った。

 なんだか顔色が悪そう。大丈夫かな。


『何やってるんですか、ライさん。立ち止まっていると他の人の邪魔になります。早く行きますよ?』

「お、おう。分かってる」


 二重扉を開けると、中はあたたかかった。

 わたしの後にクロが続いて、一番最後にライさんが入る。


 入ってすぐに見えるカウンターには受付のお姉さんがいた。

入ると同時に、ぱちっと目が合う。


 ボブカットの髪の、きれいなお姉さんだった。薄いグレーの髪の間からは丸い獣耳が見える。

 つり目がちな紺青色アイアンブルーの目はくりっとしていて、見つめられるとなぜかどきりとしちゃう。


 お姉さんは細っそりとした体型で、近づくとかすかにお化粧の香りがする。

 可愛らしくて美人なひと。

 獣人さんかな。


「あら、患者さん?」


 きょとんとした顔で、お姉さんは首を傾げる。


「診察をお願いしたいです。あ、でも診てもらいたい人は今熱を出して動けなくって」

「なるほど、往診の依頼ねー。ちょっと待ってて、書類用意するから」


 てきぱきとお姉さんは引き出しから紙を取り出して、羽ペンをわたしの手元に置いていく。


「ここの項目にまずは記入してね。地図は難しかったら無理して書かなくていいよ。あと——、んん!?」


 突然細い眉を寄せて、お姉さんが難しい顔でわたしを凝視し始める。

 じぃっとまっすぐに見つめられて、またどきりとした。


「え、と。わたしに、なにかついてる?」

「ううん、そうじゃなくて。なーんかどっかで会ったことあるような……」


 そうかな。初対面だと思うんだけど。

 もしかして、わたしが忘れているだけ?


 いくら考えても思い出せなくて首を傾げていたら、そばにいたクロがぽそりと『あ、まずいかも』と、小さくつぶやく声が聞こえた。


「あーー! 思い出した!! あなた行方不明の王女殿下じゃない!?」


 食い入るようにお姉さんに覗き込まれ、わたしは固まった。


 どうしよう。バレちゃった。


 そうだった。

 忘れてはいなかったんだけど、忘れてた。


 今のわたしはロディ兄さまによって国中の人たちから指名手配をかけられていた、追放王女なのだった。

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