[3-5]吸血鬼騎士は黒い犬を意識する
犬の背中に乗せられたまま運ばれるのは生まれて初めてだった。
姫様が落ちないように支えてくれていたけど、乗り心地はすこぶる悪かった。
走っていなくても歩くたびに絶えず揺れるし、雪も降ってたから背中は寒いしで、もう最悪。
運んでもらっている身分でこんなにぶつくさ文句を言うのには理由がある。
本当なら、大きな獣の背中でなくても移動する方法はあったんだ。
魔族は本性の姿に戻る能力が潜在的に備わっている。
俺は吸血鬼の魔族だから、小さいコウモリの姿に変身することができる。
本来の姿に戻れば、別に犬に運ばれる必要はない。
姫様のコートのポケットにでも入れてもらえれば、それで解決できる話だった。
——けれど、なぜ本性の姿に戻らなかったと問われれば、答えはひとつ。
意識のないフリを貫き通すしか、なかったからだ。
* * *
「いつまでたぬき寝入りしてんだよ、キリア。いい加減起きろ」
あたたかい布団に包まれて
「ひどいなあ、ライ。これでも俺重体なんだけど」
嘘は言ってない。
身体中に感じる倦怠感はいまだに抜けないし、頭もぼんやりしていて熱っぽい。
「痛覚麻痺してるおまえが身体に毒まわったくらいで意識飛ばすかよ。それに、毒は姫様に抜いてもらったんだろ?」
にぃっと口角を上げて、ライは機嫌よく笑う。
まったくいい気なものだな。
「うん、確かに抜いてもらった。姫様が王妃殿下から授かった能力は、魔法で言うブラッドクリアみたいなものみたいだね」
「あー、水属性の魔法であったなそういうの。体内の毒とか酒を抜くヤツだろ? じゃあ、そういう能力を生まれつき持ってんなら、姫様って毒に耐性があるのかもしれねえな」
「多少はあるんだろうけど、もともと身体はそんなに丈夫じゃないみたいだし、油断はできないかな。ロディが短剣に塗った毒もかなり強いものだったし」
喉が渇いてきたせいか、ちょっと声がかすれてきた。
身体の調子が悪いのに喋りすぎたかもしれない。
「……ライ、水もらっていい?」
「ああ、ちょっと待ってろ。さっき姫様が水を持ってきてくれてさ。そんなに時間が経ってないから、まだ冷えてると思うぜ」
立ち上がって、ライはベッドサイドの上に置いてあったコップに水を注いで持ってきてくれた。
ゆっくり起き上がってみると、ひらりとなにか落ちる。
膝のあたりに落ちたソレは、湿った小さいタオルのようだった。
「起きてたから知ってるだろうけど、姫様おまえのことすっげえ心配してたんだぜ? 自分の代わりに毒を受けてくれたからこのくらいは、って言って、色々気を使ってくれてさ」
「……うん、分かってる」
額に置いてくれた冷たい水で絞ってくれたこのタオルも、いつでも飲めるようベッドサイドに置いてくれた水差しも、俺への思いやりが込められている。
ちゃんと分かっているつもりだ。
なにより、彼女のやわらかい唇の感触を、全部——忘れられるはずがない。
「どうしたんだ? 飲まねえの?」
ライの声でハッとする。
気がつくと、目の前に水が入ったコップが差し出されていた。
思考が完全に飛んでしまっていたみたいだ。
いつまで気にしてるんだろう。子どもじゃあるまいし。
あれは俺の身体から毒を抜くためにした行為であって、救助のために施す人工呼吸みたいなものだ。
必要だから姫様は俺に口づけをした。それだけだ。
「あ……うん。ごめん、考え事してた。ありがとう」
受け取って、ゆっくりと飲む。
ひんやりとした水が喉を通っていって、心地いい。
「それで、姫様は今どうしてる?」
「今はあのデッカい犬、えーとクロだっけ、と一緒にいるぜ。ま、良かったって言ったらオカシイけどさ、何にせよ再会できて良かったよなー」
「……そう、だね」
やっぱりあの犬は姫様と一緒にいるのか。
別におかしな話じゃない。
彼——クローディアスは元々は姫様に仕えていた騎士で、彼女のそばにいて護衛するのが日常だったのだろうし。
それでも。
こうしてる今でも、あの時姫様が口にした言葉が頭から離れない。
——ほんとうに、わたしの
そう、彼は姫様の騎士だ。
どのくらいその任に就いていたのか分からないけれど、姫様にとって彼がそばにいるのは当たり前で。
大切な存在だったんだろう、と思う。
だけど、今の彼はただの犬だ。
普通の犬よりもちょっと大きい、ただの犬なのだ。
そして、そのただの犬は颯爽と現れ、俺と姫様の前に立ちはだかる狼達をすべて倒してしまった。
魔法が効かなかった不死身の狼をどうやって殺したのかはよく分からないが、あの犬が姫様の窮地を救ったのは事実であるわけで。
「……どうしてライは、一緒に来てくれなかったんだよ」
「は?」
喉の渇きが癒えた途端、胃がむかむかしてきた。
目を丸くして、きょとんとした顔で見つめてくる友人を、軽く睨み付ける。
「ライがいれば一緒に姫様を守れたかもしれないし、ロディだってのこのこ姿を現さなかったかもしれなかったじゃないか。そうすれば、あの狼達にだって……」
難なくではないにしろ、負けはしなかった、と思う。
俺の言わんとしていることが伝わったのか、ライは瞬きした後に、なぜか盛大なため息を吐かれた。
「おっまえなー、前日の夜、俺に噛み付いといてよく言うよー。それに、オレだって調べ物があったんだ。一緒には行けないって話だっただろ」
「そりゃそうだけど、ライがいればあの犬が出てくる必要はなかったじゃないか。俺だって……、姫様に忠誠を誓った、騎士なのに」
「誓った……?」
さっきよりも目を見開いて、友人はピタリと石のように固まった。
なに、と見返せば、パクパクと口を動かす。
「おまえが、姫様に? 騎士として?」
「そうだけど?」
何か問題でもあるのか。
ムッとして言い返せば、ライは盛大に吹き出してケラケラ笑い始めた。
「あっはははは! 帝国にいた頃、国王陛下には忠誠心のカケラも持ってなかったのに、会って間もない姫様には騎士の誓いをしたのかよー。面白えなあ!」
「うるさいなあ。あんな最低暴君と姫様を一緒にするんじゃない。だって、あんなに健気に国のことを想ってるんだよ? 力になりたいって思うのが当然じゃないか」
「おまえはな」
椅子に座り直して、ライは再びにぃっと笑う。
「で、颯爽と姫様を助けたかったのに、いきなり現れたクロに見せ場を横取りされて拗ねてるワケ?」
「そういうのじゃない。たしかに彼は生存していたけど、今は犬だし」
そう、彼は犬だ。普通ではないにしろ、とりあえず今はただの犬なのだ。
どのくらいの付き合いなのかは分からないが、やけに仲睦まじかったり、姫様の細い腕に抱き締められてるのがただ気になる——なんてことは、ない。
一人の騎士として、そういうことを考えてるわけじゃ、断じてない。
「やけにクロのこと意識してんじゃね?」
なのに、ライときたらまた変に勘繰ってくる。
ああ、やっぱり言わなきゃ良かった。
普段なら、滅多にこんなこと口にしたりしないのに。
面白そうなこと見つけたと言わんばかりににやけるライの顔に腹が立った。
「してない」
「ふーん。おまえがそう言うならいいけどさ。つーか、キリアは姫様のコト本当のところはどう思ってるんだよ?」
「昨日に続いてしつこいよ、ライ。別になんとも思ってない。俺は騎士だ。全力で守るべき相手と見てるだけだよ」
「全力ねえ……、そんなんだから毒の刃にやられんだぜ。それに、騎士としてのスタンス貫いてるにしちゃ、おかしくね? おまえって普段から自分の感情コントロールできるくせに、今のキリア全然コントロールできてねえじゃん」
足を組んでにやにやと笑う友人に、常ならばともかく体調が悪い今の精神状態では耐えきれるはずもない。
プツンと、なにかが切れる音が聞こえた。
「しつこいヤツは嫌いだよ」
そう言い捨てて、俺は飲みかけだったコップの水をライの顔にぶっかけた。
友人は悲鳴を上げて、そのまま背中から椅子ごと倒れてしまったのだった。
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