[3-4]王女、キスをする

 突然目の前に現れ、わたしとキリアを狼達から救ってくれた巨大な黒い犬。

 その正体はロディ兄さまに殺されたクローディアスだった。


「ほんとうに、わたしの騎士ナイトクローディアスなの……?」


 一歩近づいて、わたしは犬にそうっと手を伸ばす。


 子牛くらいの巨大な犬を見たのは、生まれて初めて。

 人の言葉を話すなんて、絶対に普通じゃない。


 それでも夜空を閉じ込めたようなつぶらな瞳も、優しげな声も、懐かしく思えた。

 話し方だって全然変わってない。

 うんと小さい頃から幼なじみのように一緒に時間を過ごしてきた、クローディアスそのままだ。


『そうですよ、姫さま。怪我はないですか? 間に合って良かったです』


 また口を開けて、クローディアスはにぱーっと笑う。

 口の中から赤い舌を出して、嬉しそうな顔をしている。


 その表情が、いつも日向ひなたの光のように口を開けて笑う姿と重なって、もう我慢できなかった。

 ぐにゃりと、目の前の景色が歪む。


『姫さま!?』


 雪の上に座ると冷えるのに構う余裕なんかなくて、その上にわたしは座り込んでしまった。

 目からあふれた涙がぽろぽろとこぼれてくる。


 軽い足取りで近づいてきたクローディアスが心配そうに覗き込んできた。


『姫さま、どこか痛むんですか?』


 気遣うように見つめてくる顔を見てしまうと、いてもたってもいられない。

 思わず腕を伸ばして、首に腕を回してクローディアスを抱きしめる。


「よかった。クローディアスに会えて、ほんとうに……」


 長い黒毛に覆われた犬はやわらかかったけど、意外にもあたたかくはなかった。


 クローディアスはもともとわたしと同じ人間で、獣人じゃない。

 ロディ兄さまの言う通り彼はたしかに死んだのだろう。だけど、クローディアスがどうして巨大な犬の姿をしてるのか解らない。


 それでも、また会うことができた。

 本来なら会えることすら叶わないはずなのに。

 前とは全然違うカタチとはいえ、わたしの騎士は舞い戻って危険から守ってくれた。


 きっと、これは精霊達が導いてくれた奇跡なんだわ。

 なんて幸運なのかしら。


「クローディアス、ごめんなさい。わたし、あなたのことを守れなくて……」

『何言ってるんですか。ボクは騎士で、姫さまを守るのが仕事なんですよ? 謝るのはボクの方です。ロディには完全に油断していました。結局あっさり捕まって、あいつが姫さまを崖から突き落とすのを見ていることしかできませんでした』


 腕の力を緩めて離すと、ピンと立った耳を少し下に傾け、わたしの騎士はしゅんと項垂うなだれる。


『すごく悔しかったです。姫さまにあんなひどいことしたやつに何の報復もできず、ただ殺されるしかない自分にも腹が立ちました。……ですが、』


 頭を持ち上げ、クローディアスはにぃっと笑う。


『気がつくと、ボクは墓地にいてこのように黒い犬の姿になっていました。実を言うと自分がどうしてこんなことになってるのか、まだよく解らなくて』

「そうだったの」

『ま、これでまた姫さまをお守りすることができるし、ボクは何だっていいんです。もう悪い狼ロディには負けない。これからも姫さまのおそばにいさせてください』


 うう。何度見てもにぱーっと笑う表情と、生前にへらっと笑っていた顔が重なって胸が苦しくなる。

 こくんと頷くと、クローディアスは嬉しそうに長い毛並みの尻尾をブンブン振った。


『あ、そうだ。あとボクのことは〝クロ〟でいいですから』

「ええっ、そんな犬につける名前みたいな呼び方でいいの!?」

『だって今は犬だし、黒いからちょうどいいですよ! 今の身体は前より動きやすくって、これでも結構気に入ってるんです』


 クロってば適応力高すぎじゃない?

 死んじゃうくらいひどい目にあったのに、前向きすぎる。


 まあ、でも。クロが嬉しそうなら、いいかな?


 あまりに彼が嬉しそうに笑うものだから、つられてわたしも笑顔になったその時。


 不意に、背後でどさりと音がした。


「キリア!?」


 さっきまでうずくまっていた彼が、雪の上に倒れてしまっている。

 駆け寄って額に手を当てると、すごく熱い。


『姫さま、この人誰ですか? 強い毒におかされてますけど』

「どうしよう! ロディ兄さまからわたしを庇って毒を受けてくれたの。クロ、キリアの容態分かるの!?」

『はい、何となくですが。でも毒なら、姫さまは抜くことできますよね?』

「う、うん。それはそうなんだけど……」


 首を傾げながら冷静に言われて、戸惑いながら頷く。


 急いで処置しなきゃいけないのは確かなのよ、うん。毒を抜くくらいなら簡単だし。だけど。


 ああ、もうっ! クロだって分かってるくせに!

 あの毒抜きの方法は問題がありすぎるのよ!!


『また狼が来ないよう見張っておきますから、姫さまはその人の毒を抜いてあげてください』


 そう言って、クロは尻尾をひと振りすると軽い足取りで行ってしまった。

 わたしの気持ちなんかお構いなしだ。

 再会したばっかりのクロに、今のわたしが彼に恋してるなんて悟られても、困るけど。


 ああ、どうしよう!?

 とりあえずキリアの頭を持ち上げて、わたしの膝に乗せてみる。

 身体が冷えないように自分のコートを彼の身体の上にかけてあげた。


 ぶるりと身体が震えたけど、今は自分のことを構っている場合じゃないよね。


 意識が朦朧もうろうとしているのか、キリアは目を開ける様子はない。

 熱に浮かされてるのかな。

 でもその割には顔色が土気色に近くてひどく悪い。唇も青ざめてる。


 事態は一刻も争う。

 覚悟を、決めなくちゃ。


「……キリア、ごめんね」


 彼の額に手を添えて、わたしは目を閉じる。

 そのままキリアの顔に近づけて、その冷たい唇に自分の唇を重ねた。


 人魚の口づけマーメイド・キス


 それが元・中位精霊だった母さまから受け継いだ、わたしの能力の名前だ。

 口付けすることで自分の魔力を注ぎ、体内の毒を消し去ってしまう。


 だから、わたしには毒味役の人は必要ない。

 この能力を持っているからか、もともと毒は効きにくい体質なの。

 まあ、今回みたいに刃物で傷をつけられたら、もしかすると多少は効いていたかもしれないけれど。


 ただ、この能力にはデメリットもある。

 毒を取り除くには、母さまに教えられた通りどうしてもキスをする必要があるのよね……。


 キリアにキスをするのが嫌というわけじゃないのよ!?

 でももうちょっと、こう必要に迫られて仕方なく……って感じが、なんかもやもやするだけで。


 一応王女なんだし、わたしから男の人に口づけするだなんて、よく考えてみればかなり大胆だったのかも。


 おそるおそるキリアの顔を覗き込むと、顔色はほんのりピンク色になって、頬が真っ赤になってた。

 たぶん、まだ高熱が続いているせいだと思う。

 わたしの毒消しって毒そのものを消すことはできるんだけど、身体のダメージまでは回復させることはできないのよね。

 唇の色も戻ってきてるし、とりあえずは安心かな。


「……よかった。庇ってくれてありがとう、キリア」


 試しに頭を撫でてみたけど、目は固く閉じられたままで起きる気配はない。

 この様子ならキスした時も意識はなかったのかも。


 ホッとしたけど、それはそれでなんだか寂しいような……。


 ——って、わたしってば、何を考えてるの!?


『姫さま、終わりました?』

「ふぁい!?」


 突然クロが戻ってきたのにびっくりして、思わず変な声出ちゃった。

 妙な妄想をしていたせいかしら。


 けど、クロがそんなわたしの心境なんて知るはずもない。その証拠に顔色ひとつ変えなかった。


『終わったなら街へ行きましょう。体内に毒は残ってないでしょうけど、重体なことには変わりないし、医者に診せないと』


 そう言って、彼はわたしのそばまできて身体を伏せた。

 何をしているのかいまいち分からなくて首を傾げていると、クロは舌を出して笑った。


『その人を背中に乗せてください。ボクが街まで運びます』

 

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