[3-3]王女、たたかう

 子どもの頃から、父さまにずっと言われていたことがある。


 陽が沈んでからは一人で森に入ってはいけない。

 夜は狼が活発になる時間だから、襲われてしまう危険があるって。


 だけど今はまだお昼頃で、一日のうち太陽が最も高く昇っている時間。


 森の近くだからって、どうして狼の声が聞こえてくるの!?


「なぜ、こんな時間に狼が……くっ」


 剣が音もなく雪の上に落ち、突然キリアが片膝をついてうずくまってしまった。


 ロディ兄さまは少し近づけば届く位置にいるとはいえ、まだ金縛りが効いてるみたいで動けないでいる。

 一体、どうしてしまったんだろう。


「ようやく効いてきたか。ティアじゃなくおまえが毒を受けたのは予想外だったけど、まあいい。タイミングよく血の匂いに誘われて狼達がやってきたみたいだし、ちょうどいいや。わざわざ僕の手を汚さなくても、おまえたち二人を片付けてくれるだろう」


 不意に立ち上がり、ロディ兄さまは嘲笑しながらそう言った。


 金縛りが解けている!?


 そっか、吸血鬼の金縛りは目の魔力によるもの。キリアの視線が逸れたから動けるようになったのね。


「さっきの短剣に毒を塗っていたのか、おまえ」

「ふふ、そうだよ。今度こそ、ティアを確実に仕留めるためにね。なにせ国王は娘が生きているって分かってたみたいだし? ま、国王もティアも〝精霊に愛される魂を持つ〟者だから、あれこれ調べなくても分かるのかもねぇ」


 どうしよう。

 このままだとキリアがロディ兄さまにやられちゃう……!


 やっぱりわたしも戦わなくちゃ。


 国を取り戻したいって言い出したのはわたしだもの。

 キリアに守ってもらってばっかりじゃ、なにも取り戻すことなんてできないんだわ。



 ワォ——ン。



 再び聞こえる遠吠えに、思わず身を竦ませる。

 今度は近かった。


 すぐそこまで来ている。


「じゃあ、狼が来る前に僕は帰るよ。せいぜい美味しく食べられることだね」


 クスクスと冷たく笑いながら、ロディ兄さまはくるりときびすを返すと、消えてしまった。

 たぶん、テレポートで逃げたのね。


 雪の上を慎重に歩いて、わたしはキリアに近づく。


「キリア、わたしたちも逃げよう?」


 そばまで行って彼の顔を覗き込み、わたしは思わず息を飲んだ。


 こんなに寒いのに額にはひどく汗をかいていて、具合が悪そうだ。

 顔色も青いどころか土気色に近かった。

 とてもじゃないけど、キリア一人で動けるような状態じゃない。


「……俺のことはいいから、姫様だけでも、逃げて」


 口もとに力ない笑みを浮かべて、キリアはそう言った。


「な、なに言ってるの!? そんなことできるわけないじゃない!」


 雪の上を走れるはずがないし、そもそも運動オンチのわたしが狼の足から逃げられるわけない。

 ううん、何よりも、キリアを見捨ててわたしだけ逃げるだなんて……!


 そんなの死んでも嫌だ。


 聞こえてくる荒い息。

 間近に迫りくる獣の群れ。


 両手を握りしめ、わたしは立ち上がった。


 ほんとうはこわい。

 こわくてこわくてまだ足が震えてるけど、目を背けてたら二人とも助からない。


 キリアは死にかけていたわたしを介抱し、今回も毒の刃から守ってくれた。


 だから、今度はわたしが彼を守る番。

 荒れ狂った狼なんかに、大好きな彼を傷つけさせはしない。


「凍れ」


 腕を伸ばし、てのひらを空に向ける。


 わたしはいつも魔法語ルーンを使わない。たったそれだけの言葉で十分なの。

 グラスリードの精霊達みんなはいつだって応えてくれる。


 形成されるのは鋭い穂先を持つ氷の槍。


「姫様、無茶だっ。その魔法は貴方の技量を超えている!」


 キリアがなにか言ってるけど、あえて聞かないふりをする。


 魔族の人は魔術の民と呼ばれてるだけあって、魔法にも詳しいのね。


 大丈夫。

 精霊魔法の使い手としてはまだまだ未熟なわたしだけど、魔力の量は同年代の子よりかなり多いんだから。


「——って、多っ!!」


 数は見えてるだけでも五匹くらい。

 子牛くらいの大きさで、思い描いていたよりも巨大だ。


 うそ、これ全部退治できるかしら……。


 ううん、できるかどうかじゃない。

 もうやるしかないんだ!


 上げていた腕を振り上げ、氷の槍を投げる。


「いきなさい!」


 外れるはずがない。

 これは魔法だから必ず命中する。


 確信はあったし、期待は外れなかった。


「ギャン!!」


 一匹に命中して雪の上へぱたりと倒れる。

 氷の槍が突き刺さったままだ。


 よし、とりあえず一匹。


 今度は声を出さずに、心の中で念じて槍を作る。

 この魔法はキリアの言う通り、本来はわたしの技量で使えるものじゃない。

 精霊達がわたしに応えてくれるからこそ発動してるんだけど、やっぱり魔力をかなり使う。


 五匹全部をやっつけるのに、ギリギリ間に合うかどうか。


 けど、そう上手くはいかなかった。


 身体を槍に貫かれて絶命したはずの狼が、不意にむくりと起き上がったんだ。


「グルルルル……」

「うそっ、どうして!?」


 突き刺さった氷の槍をそのままに、狼は怒りをあらわにしながらわたしを睨む。


 ちょっと待って。確かに死んだと思ったのに!


 キリアとわたしを囲い込む狼達。

 手のひらには氷の槍があるものの、どうしたらいいのか分からない。


 急所を貫いても死なないなんて、どうしたらいいの!? 

 こんな調子じゃ剣や槍で攻撃しても、きっと倒せない。


「こ、こないで!」


 じりじり近づいてくる狼達に耐えきれず、思いっきり槍を投げる。

 急所に命中はしたけど、狼は倒れなかった。


 やっぱりダメだ。魔法が効かない。


 先頭にいたリーダー格らしい狼が近づき、勢いをつけてジャンプした。

 キリアの前に立ちはだかって、わたしは目を固く閉じる。

 

 何があっても、彼だけは守らなきゃ。

 わたしの命を救ってくれた、キリアだけは……!


『姫さま!』


 キリアじゃない、わたしを呼ぶ声が聞こえた。


 続けて耳に届くのは、ぎゃうぎゃうという狼達の声。


 覚悟してた痛みは襲ってこなかった。

 不思議に思って、おそるおそる目を開ける。


「えっ……」


 目の前の光景に、わたしは思わず言葉を失った。


 魔法で攻撃しても倒せなかった狼達が一匹残らず雪の上に倒れていた。

 ピクリとも動かず、真白い雪原に赤い血を流して死んでいる。


 そして最後の一匹、リーダー格らしい狼の喉笛に、大きな犬が噛み付いていた。

 狼と同じ子牛くらいの巨大なからだ。その体躯は艶やかな黒毛で覆われていて、ピンと三角耳が立っている。


 よく見ると、犬はただ噛み付いているわけじゃないみたい。

 モゴモゴと口を動かしてる。


 何をしてるんだろう。

 気になってじっと見てると、犬はゴックンと何かを飲み下してしまった。


『姫さま、ご無事ですか?』


 しゃべった。

 信じられないけど、今、犬が人の言葉を話した。


『姫さま……?』


 茫然ぼうぜんとして固まっていると、黒い犬は不思議そうな顔で首を傾げた。

 その仕草は、さっきまで狼に噛み付いていたとは思えないあどけなさで。


 わたしを見つめる、くりんとした真っ黒な瞳。なぜか懐かしさを感じた。


『……ああ、この姿じゃ姫さま分かんないですよね』


 目の前まで来て、黒い犬はにぱーっと口を開けて笑う。


『ボクです。幼少の頃よりあなたの騎士としてお側でお仕えしていた、クローディアスです。未熟さゆえに一度は命を奪われましたが、あなたをお守りするために戻ってきました』


 雪の上に腰を下ろし、犬は恭しく頭を下げる。


『もう悪い狼には負けない。今度こそ必ず、あなたをお守りいたします』


 もう一度顔を上げたその黒い犬は痛いくらいにまっすぐに、わたしだけを見つめていた。

 

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