[2-2]王女、不機嫌になる

「呼吸を合わせてって言ったのに……。ごめんね、俺がもっと注意して魔法を使うべきだった」


 キリアはそう言って、湯気の立つカップをわたしに手渡してきた。

 さわやかな香りがただよってくる。


「ホットレモネードだよ。飲むとあたたまると思うけど」


 無言で受け取って、少し冷ましてからカップを口につけた。


 酸っぱすぎず、甘い味がした。はちみつが入っているのかな。

 とってもおいしい。

 胃の中が気持ち悪かったのがじんわりと温まり、少しだけすっきりした気がする。


 だけど、これくらいのことでわたしの機嫌は直ったりなんかしない。


 絶対、ぜぇったい、わたしは悪くないもの!






 魔法は無事に発動して、気がつくとわたしたちは王都の噴水広場に出た。

 その寸前、頭の中がパニック状態だったわたしは、見事に酔ってしまったのだった。


 あれはひどかった。馬車での長時間の移動でも酔ってしまうわたしだけど、あれ以上のものだった。


 世界がぐるぐる回って、ついに真っ暗になってしまった直後。

 ふと目が覚めたらベッドの中にいた。

 倒れちゃったみたい。


 ああ、もう! なんでわたしの身体って、こう軟弱なのかしら!?


 あの場で倒れてしまったということは、キリアの腕の中で意識を失っちゃったってことよね?


 もう、やだやだ。恥ずかしすぎる!

 隠れて、部屋にこもって冬眠する――!!


 キリアもキリアだわ。

 なにが「呼吸を合わせてって言ったのに」よ。


 あんな状況でできるわけないじゃない。

 お、男の人に抱きしめられたまま、冷静に呼吸を合わせるとか絶対無理!

 キリアはわたしをなんだと思っているのかしら!?


 そういうわけで、わたしの機嫌はすこぶる悪かった。

 ごめんねと謝ってはいるんだけど、その謝罪の言葉がどこか的を外れているものだから、胸の中がもやもやして許す気になれないでいる。


「困ったな……」


 いつまでもツンと黙り込むわたしを見かねたのか、キリアは眉を下げて苦笑いした。

 そんな彼の顔を見たら、チクりと胸が痛む。


 うう、別に困らせたいわけじゃないんだけど……。


 カップを持ったままだんまりを決め込んだわたしと、そんなわたしを気遣わしげに見るキリア。

 部屋の中を満たす気まずい沈黙を破ったのは、突然の来訪者だった。


「よー、キリア! 姫様、目ぇ覚ましたか?」


 バンと勢いよく扉を開けて入ってきたのは、派手な印象の男の人だった。


 キラキラ輝く金色の短い髪に、鋭い印象の緑玉エメラルドの瞳。

 シワひとつない絹のシャツに、常磐緑エバーグリーンのジャケットを着こなしている。


 服装だけ見ても、身なりのいい人だ。まるでロディ兄さまみたいな、お城に時々来る貴族の人みたい。


 そういえば、キリアも彼と似たような服装だ。

 派手なお兄さんと違って、キリアは瑠璃紺ベースのジャケットだけど。


 それにしても、この人は一体誰だろう?


 首を傾げていたら、キリアが立ち上がって笑顔でその人を迎えた。


「ライ、ほんとにきみはタイミングがいいよね」

「――は? 何のことだ?」


 あからさまにホッとした顔をされて、なんだか複雑だ。

 でも彼のおかげでわたしも、心のどこかでは安心してしまっている。


 当たり前だけど、本人はそんなわたしたちの状況を知っているわけがないから、不思議そうな顔をしていた。

 しばらく首を傾げていたけど、「まぁいいか」とあっさり流しちゃった。


「姫様、紹介するよ。彼はライナス、さっき言っていた俺の友人なんだ」

「ライナス・ハイドレイジアだ。ライでいいぜ。オレは全面的に姫様の味方だから頼りにしてくれよな」


 太陽みたいな満面の笑顔で、ライさんはそう言ってくれた。


 キリアとそんなに年齢は違わないのかな。

 耳が尖っているから、彼も魔族みたい。爪は長くないし牙も見当たらないから、吸血鬼じゃないみたいだけど……。


「で、姫様の具合はどうなんだ?」

「ただのテレポート酔いだから心配はいらないよ。だいぶ顔色も良くなったし」


 あ、この酔いって「テレポート酔い」って言うんだ。魔族の中での専門用語なのかな。


「じゃあメシにしようぜ。昼食も食ってないだろ? もう夕方になるし、食べながら今後のことを打ち合わせしないか? 情報屋も戻ってきたみたいだしさ」

「いいね。じゃあも交えて、四人で食事にしようか」


 黙って聞いていたけど、この流れだと夕食に行くのかな。

 そういえば、寝かされていたこの部屋はどこなんだろう。王都の中には違いないんだろうけど。

 キリアと初めて会った時にいた内装とそんなに違わないような……。


「じゃあ、姫様行こうか。お手をどうぞ」


 また臆面もなく、キリアは穏やかに笑って手を差し出す。

 どきりとしたけど、もう突っ込む気にもなれなかった。




 * * *




 どうやらわたしが寝かされていたのは、宿屋の二階にある部屋だったみたい。


 キリアとライさんと一緒に一階に下りると、そこは食堂になっていた。

 お城と違って、みんなぎゅうぎゅうに座ってる。

 狭そうだけどみんな笑って賑やかにごはんを食べていて、とっても楽しそう。


「キリア、こっちだぜ」


 朗らかに笑って、ライさんが手招きしている。

 キリアに手を引かれるままにその座席に行ってみると、先客がいた。

 ううん、もしかしてわたしたちを待っていてくれたのかな?


 姿勢のいい、きれいな人だった。


 チャコールグレーの襟のついたコートを身にまとっていて、ボアの付いた耳当てつきの帽子をかぶっている。

 中からのぞく髪は毛先が黒のメッシュがかかった二藍ふたあい色。


「待たせたな、ケイト」


 ライさんが声をかけると、その人は鋭い青藍アイアンブルーの瞳でじっとこちらを見てきた。


 わたしたちを見てると言うよりも、ライさんを見てるような。

 ううん、むしろ睨んでる……? にこりともしてないし。


「あれ、きみが雇った情報屋って、クァッドという名前の男じゃなかったっけ?」

「あー、うん……そうなんだけど、オレも色々あってさー。ま、細かいことは聞くなよ。腕は確かだからっ」

「ふぅん」


 言葉をかわす二人をそっと見てみれば、ライさんの目が気まずそうに泳いでいる。

 なにか事情があるんだろうけど、どうしてそんなに顔を引きつらせているんだろう。


「とにかくっ、立っているのもアレだし座ろうぜ。ケイト、こいつはオレの友達のキリアで、彼女はさっき話していただ」

「……よろしく」


 ケイトさんは軽く会釈してくれた。

 あわててわたしも頭を下げる。


「はいっ! こちらこそ、よろしくお願いします!」

「よろしくね」


 わたしに続けてキリアも挨拶したところで、ライさんが椅子を引く。

 テーブルに肘をついて、彼はわたしとキリアを見上げてこう言った。


「さて! 話したいことや打ち合わせしときたいことはあるけど、まずは腹ごしらえだ。早くメシにしようぜ!」

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