革命そして二重帝国の混乱

ルイージ・ファクタ

イタリア共和国大統領。史実でもムッソリーニ政権の前代首相だった。


アントニオ・グラムシ

イタリア共産党書記長


パルミーロ・トリアッティ

イタリア共産党書党員。



1925年2月14日 イタリア共和国 首都ナポリ 大統領官邸

 ルイージ・ファクタ視点

 私がワインを飲んでいると、不穏な雰囲気と音が聞こえた。

 「…?何だ?外が騒がしいな…」

 私はそう言ってカーテンを開けた。自然を感じる音に紛れて所々雑音が聞こえる。何か嫌な予感がするぞ…突然、ドアが開けられた。

 「た、大変です!」

 「どうした?何があった?」

 「じ、実は…イタリア共産党書記長アントニオ・グラムシらが「革命」と称した暴動を起こしました!」

 「何だと!」

 クソッ!なんか怪しいと思ったらやっぱりやってきやがったか!

 「取り敢えず、奴らを足止めしろ。それまでに脱出経路を確保する!」

 「了解しました!」

 

 アントニオ・グラムシ視点

 「奴らは今慌てているだろうな。」

 「そうだな。奴らは自分たちの利益しか考えない。」

 私は党員のパルミーロと話しながら大統領官邸へ進撃した。

 

 …約一時間後…

 

 「よし。この先が目標地点だ。」

 「それじゃあ、ドアを壊すぞ…五、四、三、二、一、ゼロ!」

 「「突入…!?」」

 ……私たちは負けた。あいつが逃げていた。

 「…どうする?あいつが逃げた以上、体制派は抵抗し続けるだろう。」

 「全党員に呼びかけよ。体制派の人間をとらえ次第直ちにその場で処分しろ!」

 「しょ、正気ですか!?」

 「ああ、そうだとも。」

 そうだ。革命のためなら手段を選ぶ必要はない。誰が何と言おうと、奴らは貧民の敵だ。

 その後、旧体制派の人間は全員捕らえられ、そのほとんどは処刑された。そして、政党はすべて解散され、共産党の一党独裁制になり、国名もイタリア社会主義共和国に変更した。この一連の出来事に対し、一番焦ったのは二重帝国だ。元々、南イタリアとは傀儡国の北イタリアと敵対状態であり、関係は全くよくなかったが、イタリアの赤化により、さらに関係が悪化。

 また、この混乱を突き、スラブ人による反乱が発生。クロアチア・ボスニア・モンテネグロのいくつかの都市は反乱軍によって占領された。この事態に対し、カイザーであるカールⅠ世は彼らと巧みな交渉を行い、汎スラブ国家であるイリュリア王国の建国を約束させた。このおかげで、帝国からの分離の阻止に成功した。しかし、これはハンガリーの大きな反発を招くことになり、墺洪関係は急速に冷え込み始めた。また、ハンガリーはオーストリア・イリュリア両国に対して大きな代償を要求。イリュリアの件はは1927年のアウグスライヒでも解決せず、1937年に持ち込まれることになる…

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