四十二話 救いを求める魚

 ざわり、ざわりとザワつく屋内。薄暗いそこはほんのりとした暖かさがあり、それはまるで穏やかな心模様を示すよう。

 紺色を基調とした宗教服に身を包む者らは、久方ぶりに現れるとされる教祖を今か今かと待っていた。並べられた椅子に座り、手を合わせ、希望に満ちた目を壇上へと向ける彼、彼女らを前、その目前にて佇む桃色の髪の女性はにこにこと楽しげに微笑みながら両手を叩く。それにより、集まる視線。部屋中のそれを一身に受けながら、女性はにこやかにこう告げる。


「静粛に」


 シン、と音が止まった。

 誰も何も言わず、呼吸音すら聞こえなくなったそこで、女性は満足気に頷くと視線を背後へ。聞こえる足音に微笑みを深め、カーテンを垂らされたそこ目掛けて仰々しく片手を広げる。


「教祖・ディザレア様の御成です」


 空いた片手は腹の前へ。そのまま深々と頭を下げた女性にならい、信者たちは一斉に頭を下げた。

 共にカーテンが開かれ、ひとりの男性が壇上へ。穏やかに微笑みながら、頭を垂れる皆を見回す。


 癖のある、長い黒髪を持つ男性だった。片目を覆い隠す長い前髪をそのままに、後ろの髪をゆるくひとつに結んだ彼は、晒された左耳に真っ白なまあるいピアスをつけている。真珠にも見えなく無いそれは結構な大きさのピアスだ。

 黒いまつ毛に縁取られた紺色の瞳を僅かに細め、男性は「ありがとうございます」と一言。ひどく耳心地の良い声を発し、信者たちはそれに感嘆の息を吐く。


「さて、皆々様。今宵この場にお集まりいただいたこと、まことに感謝致します」


 男はゆっくりと壇上を歩いた。その静かな動きに、みなの視線は釘付けだ。全員が全員、今や男の姿を追いかけている。


「では、本日お集まりいただいた理由をお話したいのですが、その前に……この場におわすネズミを一匹──排除してしまいましょうか」


 にこりと、微笑んだ男。立ち止まった彼の視線の先には、ひとりの青年が存在する。


 肩上までの白髪の髪を持つ青年だった。

 塗り潰されたような真っ黒な瞳を持つ彼は、頭にバンドを巻き、巻いたその端を左耳の上でリボン状に結んでいる。

 リボンが当たるその耳には、白い線が幾つも入った黒い十字架のピアスがひとつ。ほんのりと赤く色付いたオシャレな丸メガネをかけた彼は、やべ!、と言いたげな顔をして口元を引き攣らせた。そんな彼に、壇上の男はにこやかに笑う。


「さて、アナタは何処の犬か……警察か、政治家か、国家か──はたまた我らと敵対する神を象徴とする巨大組織か……」


「……」


「ああ、言わずとも構いません。別に聞いたところでアナタの排除は変わらぬ事ですしね」


「…………」


 ゴホン、と青年は咳払いをして立ち上がった。そして、「いやぁ、何のことでしょう」と、明るく笑いとぼけて見せる。


「俺は犬とかじゃないですよ〜。ただの、その、教祖様を崇めるのが好きな一般信者っス!」


「おや、おかしいですね。ココにいる信者は皆、死を救いとすることを信条にしております。別にわたくしを崇めることが好きな者など一人たりとておりません」


「エッ、そうなんスか!?」


「ふふ、冗談です」


 しまった!、と顔を引きつらせた青年。

 教祖・ディザレアはそんな彼を見つめながら、「執行人」と誰かを呼んだ。


「ネズミを一匹、片付けなさい」


「はい! 教祖・ディザレア様!」


 明るい声とともに現れたのは小柄な少年。短めの黒髪を綺麗にセットした彼は、色素の薄い赤い瞳に青年を映すと、「良いですねぇ、良いですねぇ」と愉しげに笑う。


「僕、アナタみたいな方を八つ裂きにするの大好きですよォ!」


「八つ裂きて……それは勘弁願いたいっス、ね!」


 片足で蹴り上げた椅子をそのまま、まるでボールでも操るようにディザレアへと向け蹴り飛ばした青年。当然の如くディザレアに届く前に破壊されたそれが木っ端微塵になったのを尻目、青年は「ほんじゃ! おっ邪魔しました〜!」と適当な窓を突き破り軽快に外へと飛び出していく。


「あ!」


「大丈夫ですよ。追わなくても」


 慌てて青年を追おうとした面々にそう言い、ディザレアはゆったりとした足取りで壇上の中央へ。粉々になった椅子を見下げると、穏やかな笑みを口元に浮かべたままザワつく信者たちに目を向ける。


「──お静かに」


 ぴたりと、声が止まった。

 ディザレアの一声だけで訪れた静寂に、ディザレア本人は満足気に笑うと手を叩く。


「皆様、よくお聞きなさい。我々アジェラは死こそ救いを唱える宗教団体。それを良しとしない輩は数多く存在いたします。けれども、死により救われる命があるのは確かな事実」


 ディザレアはそっと片手を上げ、それを握った。力強く結ばれた拳は、直ぐに力を失い開かれていく。


「我々は戦わねばなりません。ええ、そうしなければならない理由があるのです。我らアジェラの悲願は世界中に存在する哀れな命を救済すること。救済し、迷える魂を天に返して差し上げるのです」


 ディザレアは笑う。美しくも儚いその笑みに、誰もが手のひらを合わせて頭を垂れた。


「……今この時より動き出しましょう」


 既に種はまいている。なれば後はその種が芽吹くのを待ち、芽吹いたソレを刈り取るだけ……。


「死こそ救い、死こそ救済。死こそ万物に与えられし極上の宝」


 わっと信者たちが湧き上がり拍手する。ディザレアはそれににこやかに笑うと、そのまま踵を返してカーテンの奥へ。「赤、青」と何かを呼ぶと、そっとカーテン裏に潜んでいた2人の少年少女に目を向ける。


「アナタたちにも動いてもらいます。よろしくお願いいたしますね?」


「はぁい、ディザレア様!」


「はい……」


 一方は明るく、一方は静かに。頷く2人から目を逸らし、ディザレアは奥へ。「楽しみですねぇ」の声を口にしながら、そっと、その場を立ち去った。

 もう一匹潜んでいたネズミのことなど、知る由もなく……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

レヴェイユ 木暮累(ヤヤ) @yaya396

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画