三十八話 感じる畏怖と聞こえる声

「おっるうぇっるさぁ〜ん!!」


 キャピキャピと明るい声が周囲に響く。そんな昼時。


 組織レヴェイユの通路、その真っ只中で、調理班隊長・オルウェルは不思議そうに背後を振り返った。それにより視認できたのはまだまだ幼さの残る小柄な少女。

 翡翠色の瞳に、特徴的な跳ね方をした、毛先が淡い緑に染まった白く短い髪。病的とまではいかないものの、白い柔肌。

 緑と白のコントラストが美しい少女の衣装は、この組織で活躍する仕立て屋姉妹が腕を奮って作り上げたひと品だ。その記憶はきちんと彼の中にも存在している。


「なんや、ヒスイやないか。どないしたん? えらい元気そうやけど……」


 オルウェルは言って、駆けてきた少女をそっと見下げた。少女──ヒスイはそんなオルウェルに頬を赤く染めると、まるで恥じらう乙女のように頬に手を当てくるりとその場で反転する。


「そりゃあ元気ですよう〜。だって、愛しのオルウェルさんに会えたので……!」


「へー、お疲れ」


 さらりと返し、オルウェルは時刻を確認。まだ間に合うなと、手にした小包をしっかり抱え直してさっさとその場を歩き出す。

 ヒスイはそんなオルウェルを慌てたように追いかけた。大きな歩幅と小さな歩幅がせかせかと通路を進んでいく。


「もー、オルウェルさんってばなにをそんなに急いでるんですか!」


「んお? ああ、堪忍な。主様が来られとる言うから差し入れでもしよう思うて……」


「? 主様?」


 キョトンと目を瞬いたヒスイに、「組織レヴェイユ総司令官」とオルウェルは一言。次いで、「創造主龍神でもあるお方やで」とお気楽に告げる。


「創造主龍神……ってことはレヴェイユの象徴……?」


「いや、それはコトザ様や」


「えー、じゃあ誰なんですか主様って!」


「やからレヴェイユの総司令官。で、かつ俺らの主君であらせられるお方や」


 ヒスイは難しそうな顔で眉間にシワを寄せると、「つまるところ」と一言発す。


「実質レヴェイユのトップ……ってコトですか? リオル様いるのに? なんかおかしくないです?」


「なぁんもおかしな事なんてあらへんよ」


「えー、でもぉー」


 ざわりと、耳の奥で声がした。思わず立ち止まったヒスイが片耳を抑えるのを、オルウェルは「どないした?」と不思議そうに振り返る。


「……なんでもないです!」


 小さく俯いた顔をすぐに上げ、ヒスイは明るく笑って見せた。無理して作ったにしては自然に出来すぎている笑顔に、オルウェルは小首を傾げてこくりと頷く。そして踵を返そうとした彼は、そこでなにかに気づき視線をヒスイの後ろへ。「あ!」と笑顔を浮かべ、パッと片手を上げてみせる。


「主様〜!」


「え?」


 くるり。


 振り返ったヒスイの視界、見覚えのある男性と見覚えのない小柄な少女が映り込んだ。ヒスイが堪らず「た、隊長!?」と声を荒げれば、猫背になりながら少女の背に隠れるようにしていた男性が「ヒェッ」と小さな悲鳴をあげる。


「ぬぬぬ、主様っ。やっぱり僕部屋に戻っていいっ?」


「耐えなさい。そも君が言い出したコトだろう?」


「で、でもぉ!」


 ぴえんと嘆く男性を無視し、少女が前へ。艶やかな、長い黒髪を揺らし、優美に笑って「こんにちは」と一言告げる。


 その美しい姿に、ヒスイの目は釘付けになった。


 いや、正確に言うならばちがう。ヒスイは少女の纏う空気に畏怖を感じてしまったのだ。


 あまりにも強大で恐ろしく、また偉大であるその空気に、ヒスイの視界がチカチカと瞬く。共に、耳元で声も聞こえた。「救済を」と繰り返されるそれは、やがて彼女の意識をブラックアウトさせてしまう。


「ぁ……」


 びたん!、と倒れるヒスイ。共に上がる男性の悲鳴と驚いたようなオルウェルの声。少女はそんな彼らをよそ、倒れたヒスイを見下ろすと「おや」と一言。特に何事も無かったように顔を元の位置に戻し、「アルベルト」と影の中に潜む子供の名を呼ぶ。


「すまないが医療班の方に彼女を運んでやってくれるかい? なに、我々もすぐに行く」


「かしこまりました」の声と同時に、影が飲み込むように倒れたヒスイを包んだ。少女はそれを見届け、くるりと踵を返して数歩前進。何をしていると言いたげな顔でふたりの男を振り返る。


「ほら、キミたちも。固まってないで早く行くぞ」


「「……はぃ」」


 か細い声を返しながら、彼らは口を閉ざして先行く主の背中を追いかけた。そんな彼らは知っている。ヒスイという名の少女の身に、何が起きているのかを──。

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