第二章 裏切りの少女

三十七話 救済の喝采

 自分には、普通の生き方はもう無理だと、そう思っている。何故ならば、自分は既に、夥しい程の狂気に染まりすぎてしまっているから。


「良いですか? よくお聞きなさい」


 優しい声色の教祖は、穏やかな笑みをその顔に貼り付け自分のことを見下げてくる。その瞳の中には、絶望もなにもありはしない。そこにあるのは、ゆるやかな使命感。ただそれだけだ。


「貴女にこれより、重大なお仕事を与えます。何よりも大切なお仕事です。やってくれますね?」


 重大だと言うのであれば、まず仕事の内容を口にすべきではないだろうか。

 そんな疑問も不信感も飲み込んで、左右で床に額を擦り付ける両親と同じようにゆっくりと頭を下げ平伏する。


「良い子ですね」


 教祖は言った。

 そして、膝を折り、耳打ちするように自分の方に顔を寄せる。


「組織レヴェイユに潜り込みなさい」


「……」


「貴女ならできます。なぜならば、貴女はとても賢く臨機応変に物事に対応でき、かつ優秀なので。これは貴女にしかなし得ないこと。貴女だからこそできる“お仕事”なのです」


 耳心地の良い声にどこかぼんやりとしながら、自分はさらに床と額を密着させた。それだけで教祖の言う“お仕事”とやらを受理する意志を提示すれば、教祖は「よろしい」と一言。膝を伸ばして立ち上がり、そのままくるりと踵を返す。


「万物に救済を」


「「「救済を」」」


「死への喝采を」


「「「喝采を」」」


 繰り返される大きな声が、一斉に上がったがためにグワングワンと空気を揺らす。

 教祖はそれに満足そうに笑うと、手を叩き、まだひれ伏したままの自分を振り返った。


「さあ、お行きなさい、ヒスイ」


 名が呼ばれる。

 それに脳が支配されたように立ち上がる自分は、そのまま深々と頭を下げて部屋を出る。


「「「救済を」」」


「「「救済を」」」


「「「救済を!!」」」


 溢れんばかりの、はち切れんばかりの声を背に、背後の扉が閉まっていく。

 ゆっくりと閉ざされたそれをちらりとも見ず、自分は前へ。暗がりの中を歩くように、小さく、一歩を踏み出した。

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