三十五話 ひとつの消失
「は……はっ……」
深い、深い木々の中。走り疲れたように呼吸を乱すのはひとりの魔法使い。今し方レヴェイユという巨大組織に刃向かった彼は、その顔に多量の汗をかきながら膝に手を当て地面を見ている。
「ど、どうしよう……やっちゃった……」
左右で色の違う、ボタンのような目に涙が浮かぶ。
「ややや、やっちゃいましたっ! やっちゃいましたようっ! ぼぼぼ、僕としたことがレヴェイユを敵に回すようなマネをしてしまうなんてっ! これでは主様のかわいいぬいぐるみ失格! 帰ったら殺されるっ! 間違いなく切り刻まれて殺されるっ! なんなら綺麗に砕かれて鯉の餌だっ!」
「えーん!」なんて嘆く彼はやはりいつでも可愛らしい。彼に手を引かれてここまでやって来たメニーは、ぼんやりとその姿を見ながら瞳を伏せる。
「……パティ」
「ははは、はい! なんでしょう!!??」
「……どうして、助けてくれたんですか?」
疑問だった。純粋なる疑問。
問うたメニーにビクリと震えたパティは、右往左往と視線を彷徨わせ、やがて下を向く。
「ぼ、僕は主様に忠実なかわいいにゃんこのぬいぐるみです……でも、でも同時に、あなたのお友達でもあります。お友達は大切に。主様は、いつも言ってました。だから僕は、主様のお言葉に従い、あなたを──」
「その主様を殺めようとしたのに、ですか?」
「は、はへ……」
気の抜けたような、間の抜けたような声が口からポロリと溢れ出た。そのまま驚くパティを知ってか知らずか、メニーは微笑みながら小首を傾げる。
「わかっているんでしょう、パティ。レヴェイユに捕らえられた時点で、僕が神に反逆したことは理解しているはずです。それなのに、あなたは危険を犯してまで僕を助けた。──それはなぜ?」
「だ、だって、それは……お友達、だから……」
萎むように、パティの声が小さくなっていく。
「ぼ、僕、はじめてできたお友達が死ぬとこなんて、みたくなくてっ。で、でも、主様たちは裏切れないしっ。でもでもっ、あのままメニーさんが殺されちゃうの見るのも、嫌ですしっ……ぼ、ぼく、ぼくっ!」
ぶわりと、またもや彼の瞳に涙が浮かぶ。
「ぼく、どうしよう〜っ!」
「……君は優しい子ですね」
メニーは穏やかにそう言った。言って、彼は空を見上げる。眩しい程に明るい空。木々で覆われたそれは、どこまでも青く澄んでいる。
「ねえ、パティ。昔話を聞いてくれますか?」
「グズッ……むかしばなし……?」
「はい。昔話です。……僕はね、小さな小さなビーカーの中。その中で産まれました」
懐かしむように、メニーは語った。それは、彼の始まりのモノガタリ。
「ありとあらゆる薬を投与され、結果として人の形を保つことが出来るようになった僕に、研究所の者は手を叩いて喜んだ。君は多くの者を救うことになる。多くの意思を継ぎ、多くの命を担ぎ、多く、長く、生きることになる。故にこう名付けよう。Many……メニー、と」
「多という意味を持つ名を、僕はもらった。けどそれは、僕にとってはひどくちっぽけなことだった。僕の求めるものはそこにはなかったんです。だから、僕は逃げ出した。抜け出した。ただガムシャラに求めて。自分を生み出した血の親を、探し求めた。二つの龍の血。貴重なるそれを──」
「……僕ね、もう長くないんです。もう、長くなくて……それで……どうせならオカーサンの手で、行きたいなって思ったんです……」
ただそう、それだけ。自分はそれだけの存在であり、それだけの願いを胸にここまで来た。愚かで卑しい、愚鈍で小さな生き物。それが自分であることを、メニーは嫌なくらいに理解していた。
「お友達って言ってくれて、ありがとうございます。素直に嬉しいです。だからパティ、戻りましょう」
「え、でも、それは……」
「長くない僕の最期の晴れ舞台です。お友達なら、笑って見送ってくれますよね?」
「……メニーさん」、とパティ。どこか悲しげな彼の瞳から顔を背け、メニーはゆっくりと踵を返す。
「……さ、行きましょう……帰りましょう、パティ。君が怒られたら、ダメですからね」
「……メニーさん、僕は──」
何かを言いかけたパティ。それを遮るように、乾いた音が周囲一帯に響き渡った。それは痛々しくも攻撃的で、そして重苦しい音だ。
「……え、メニーさ……」
「……ぁ」
よろりと、メニーがよろける。その胸元には、生々しい傷がひとつ。真っ赤な鮮血を溢れさせながら存在している。
「メニーさ、メニーさんっ!!!」
パティが叫ぶ。共にメニーは傷口を押え座り込んだ。痛みに熱が溜まる。突然のことに脳がついていかない。何が起きた。何が起きて、何が……。
「メニーさんっ! しっかりしてくださいっ! メニーさんっ!!!」
自分を呼ぶパティの声が遠くに聞こえる。でも、ここで意識を失ってはいけないと、メニーは理解していた。なぜならば、敵はまだここに居る。メニーがここで倒れてしまえば、次に狙われるのは恐らく友人であろうことはわかりきっていることだ。
「ち、ちが……と、とめないとっ、どう、どうやってっ……ぬ、ぬの、はないから、あ、あ、……どう、どうしようっ……!」
「……っ、」
再び銃声。メニーは振り向くように体を反転させ、パティを庇い彼の体に覆い被さる。その背中に無数の銃弾を浴びようが、痛みに目の前がチカチカとしようが、そんなのはどうでもよかった。今はただ、この優しき友人を守らないと……。ただそれだけの事実が、弱き彼を動かした。
「え、あ……、メニーさ……」
銃声が止んだ頃、パティは青ざめメニーの腕の中にいた。彼が盾になってくれたがために怪我のない自分に、恐怖と絶望が湧き上がってくる。どうして、どうしてこんなことになっているのか。
考える間もなく、聞こえた足音。突如としてその場に現れた何者かが、キラリと輝く銃口をこちらに向けながら歩んでくる。
「っ!? や、やめてくださいっ……ころさないでっ……ぼくの友達をころさないでくださいっ……! 僕のお友達に、痛いことしないでくださいっ!!」
「……」
何者かが銃の引き金に指を置く。そうしてそれを引こうとした、直後だ。
「ぬいぐるみくん!!!」
ストン、と音をたて、皆の頭上よりビビが現れ地面の上に着地した。その見事な身のこなしに驚くまもなく、パティは思わずビビを呼ぶ。
「ビ、ビビの旦那!!」
顔色の悪いパティをちらりと見て、ビビは刀を手に構えをとる。低く腰を落とす彼に、敵は何も言わずに沈黙していた。
「何者ですか、アナタ。どうもこの聖地にあるはずの気配ではありませんが……」
まあそんなことはどうでもいい。とりあえず今は、目の前のコイツを狩りとらねば。
思考したビビは強く地面を蹴り駆け出した。それにより近づいた敵との距離。不思議な香りが鼻につき思わず眉を寄せたビビを嘲笑うように、敵は後方へ大きく跳躍。トン、と地に降り立つと静かな声で言葉を紡ぐ。
「……救済を」
それは、救いを求める言葉……。
「わっ!?」
言葉が響くと共に、強い風が辺りを襲った。思わず片腕で目元を覆い隠したビビの視線の先、敵は既にいなくなってしまっている。
「っ!……いない?」
「チッ」と舌打ちをひとつ。
「……逃げられましたか」
これは叱られるなと、そっと後のことを考えたビビ。その背後、パティが倒れ込むメニーを懸命に揺する。
「メニーさんっ! メニーさんっ! しっかりしてくださいっ! メニーさんっ!」
血が止まらない。顔色が悪い。呼吸がか細くなっていく。
これでは死んでしまうと、パティは首を横に振った。いやだ。いやだと現実を否定した。初めてできた友人の最期がこんなだなんて、そんなの最悪にも程がある。ありすぎる。
「……パティ」
そんなパティに、声をかける者がひとり。困ったように、悲しそうに己の名を呼んだ人物を振り返ると、パティはぶわりと涙を溢れさせながらその人を呼ぶ。
「主様ぁっ!」
「……」
「お願いです主様っ! 助けてくださいっ! メニーさんは悪くないんですっ! だって彼、ぼくを、僕を庇って!!」
片手を上げ、突如としてその場に現れたリレイヌはパティを静した。かと思えば、ゆったりと歩き、ふたりの傍へ。そっと倒れ込んだメニーを見下ろし、その名を呼ぶ。
「……メニー」
「……おか……ぁ……」
「……うちの子を守ってくれて感謝する。ありがとう、メニー。今はゆっくり、眠りなさい……」
「……」
その言葉を最期に、メニーはとても嬉しそうに笑って、そっと瞼を閉ざし、それきり、目を開くことは無かった。
風が吹く。優しい風が。まるで失ったひとつの命を運ぶような静かなそれに、パティは縋るように、ただ、声を荒らげて泣き喚いた。
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