エピローグ

8ー1

 空は透き通るような青だった。


 淡い色を何層にも重ねていったように、手前から奥にかけて深くなっているように見える。それはどこか、海に似ていた。


 荒れ果てたグラウンドを歩いていると、校門の向こうに人影が見えた。私を見つけて、小さく手を上げる。


 学校の中から、学校の外の景色が見える。そんな当たり前のことに、改めて傷つく。

 薔薇が作り出していた幻はなくなってしまった。私が三年間通った高校は、もうどこにもない。


 校門から外に出る。周りが光に包まれることはない。当たり前のように景色が続く。


「ちゃんと、卒業式できたか?」


 律儀に私が校門から両足が出るのを見届けてから、声を掛けてくれる。

 校門の向こうで私を待ってくれていたのは、咲良さんだった。いつものように、この世界に悲しいことなど何一つないというような明るい笑顔を浮かべている。


「これはまた、派手に泣いたなぁ」


 咲良さんはなにも言えないでいる私の顔を覗き込んで、しみじみと呟いた。

 言われなくたってわかっている。私の目は、きっと真っ赤に泣き腫れているだろう。


「なんで……ここにいるの?」


 やっと、声が出せた。

 咲良さんは、リオたちと一緒に島を出るはずだった。空港島へ行って、もう会えないと思っていたのに。


「あれな、やめにした」


「やめにしたって、あんなに楽しそうにしてたのに?」


「やっぱり、あたし、この島が好きだって思ってさ。それに、伊織のそばにいたいなって思って。ほら、あたしたち、親友だろ?」


 その言葉に、心をそのまま抱きしめられたように温かくなる。


「ねぇ、咲良さん、私ね、一つだけ思いついたことあるの。できるかわからないけど」


 それは、みんなのことを考えていて思いついたことだった。

 みんながいた証を残したい。記憶の中だけじゃなく、もっと多くの人に知って欲しい。託されたものを守りたい。みんなが大切にしていた場所が、ずっと続いて欲しい。


 それは、この七里島も同じだ。みんなが大好きだった島、大好きな人たち、五十年前からずっと続いているものを、終わりになんかしたくない。


 いつか、咲良さんとリオに、この島は終わりに向かっているって話をした。わかったような口ぶりで、達観したような顔をして、すべてを受け入れたふりをして。


 だけど、そうじゃない。終わりは決まってなんかない。それを受け入れるかどうかを決めるのは、私たち自身だ。私たちが世界の終わりを受け入れた時、きっと世界は終わるんだ。


 私は、決めた。世界の終わりにあがいてみよう。


「ねぇ、いつか、咲良さんが語っていた夢、覚えてる? この島に、商店を復活させたいって」


 その名前を口にした瞬間、咲良さんの目が輝き出すのがわかった。


「私ね、あれを、やりたいんだ。咲良さん、いってたよね。商売をするのに必要なのは、違う価値観の人たちだって。空港島の人たちって、そうなんじゃないかな? リオ、いつもいってたよね。この島には、空港島にはないものがたくさんあるって」


 杏理がこの島に残って受け継ごうとしていた〝宮本商店〟を復活させる。

 私がお母さんから受け継いだパン。

 宗汰が最後まで心配していた山羊のミルクからできるチーズやバター。

 新鮮な野菜に、島の日本酒。黒岩さんが作っている素敵な家具だって、きっと空港島に持っていけばみんな欲しがるに違いない。

 梨々子の書いた小説も……もっと、たくさんの人を喜ばせることができるはずだ。


「簡単なことじゃないってのはわかってる。空港島には、市民じゃない人は入れないって言ってたし、もうリオはいないのに、どうやって連絡とればいいのかわからないし。だけどね……この島を終わらせないためには、それしかないと思うんだ」


 空港島との取引ができれば、必要なものを少しずつでも手に入れられる。それなら、七里島はこれからも続いていけるはずだ。残った島の人たちも、きっと活気を取り戻せる。


 もしかしたら、空港島の方から、島に移住したいって人も現れるかもしれない。薔薇に寄生された人たちや空港島にいられなくなった人たちを受け容れたっていい。


 急に、肩を掴まれた。

 咲良さんが、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。


「すごいぞ、伊織! あたしも同じこと考えてたんだ!」


「……え? 咲良さんも?」


「実はさ、あたしが島に残った理由もそれなんだ。今朝、急にそれを思いついたんだ。それでな、リオと、島にみんなを迎えに来たリオの家族たちと交渉してみた。みんな、興味津々だったよ」


「交渉って、いったいなにを?」


「リオが、空港島側の窓口になってくれることになった。商売をするんだ、この島と空港島で。ほら、これであいつと、いつでも連絡も取り合える」


 咲良さんが出したのは、リオが持っていたものと同じ形の通信機だった。


「定期的に、リオがこの島にきて交渉をすすめるって。だから、あいつともまた会える。空港島では金がまだ生きてるからさ、この島の特産品を売って稼いで、必要なものを買う。薬だって、壊れた機械だって、ちゃんと買い直せる。いいアイデアだろ!」


「うん……すごく。島の人たちには、もう話したの?」


「いや、まだ。まっさきに伊織に話そうと思って」


「きっと、みんな喜ぶよ」


 島に残っているみんなにとって、この新しい取り組みはきっと希望になるだろう。

 中には、空港島との取引を拒む人もいるかもしれない。でも、根気強く説得しよう。この島を豊かにして、これから先もずっと続く素敵な場所にする。


 それが、私の夢だ。


「よかった。もっと、落ち込んでるかと思った」


 咲良さんは、いつもの私を茶化すような気さくさで呟いた。だけど、その言葉の奥には、ずっと心配してくれていた気持ちが隠れているのは知っている。


「いっぱい泣いたし、いっぱい落ち込んだ。でもね、私、それよりも、いっぱいをもらったんだ」


 卒業していったクラスメイトの顔が頭に浮かんでくる。

 どんなときも笑顔でいるこのと大切さ。しっかりと前を見据えて行動する勇気。辛いことを笑い飛ばす能天気さ。気持ちを真っ直ぐに伝えることの尊さ。夢に向かってひた向きに努力することの恰好よさ。


 みんなに、色んなものをもらった。

 泣いてなんかいられない、立ち止まってなんかいられない。


 思い切り胸を張って、視線を海に向ける。いつの時代もずっと私たちを見守ってくれた瀬戸内の海は、五十年前も今も、変わらずそこにある。


「私は、この世界でなにがあっても、せいいっぱい生きていけるよ」


 咲良さんも同じように海を眺める。それから、私たちは急に開けた未来の眩しさに、目を細めるようにして笑い合った。


 みんなから教えてもらった大切なことが、頭の中でずっと、浜辺に散らばったビーチグラスのようにキラキラと輝いている。


 そして、一番大好きな人に、もっと私のことを信じていいんだってことを教えてもらった。


 七里高校が消える最後の瞬間、彼が私に見せてくれたものを思い出す。



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