第五話 ルーズリーフごしの恋――七里高校(3)
5-1
昼休みの屋上には、ひんやりとした風が吹いていた。
フェンス越しに見える初冬の海は、どことなく機嫌が悪そうに見える。
雲間から日が差しているのに、光を飲み込んでいるようにどんよりと暗い。時折、風にあおられて白波が立つのも苛立っているみたいだ。
私と梨々子は、二人並んで屋上に突き出た階段の登り口の裏に隠れていた。
お尻が冷たいのを我慢しながら、肩を寄せ合うように座っている。
背後から、緊張した声が聞こえてきた。
「あ、あのさっ、私たちってさ、島に残るよね。つまり、これからも、一緒ってわけだよ、ね?」
杏理の上ずった声。昨日、何度も練習した台詞を口にする。
「なんだよ、今さら」
それに応えるのは、恭也だった。理由も告げずにいきなり呼び出されたからか、今日の海のように不機嫌そうだ。
杏理と片想い同盟を結成してから三ヶ月、季節は巡って冬になっていた。
隠れているのは、こっそり盗み聞きしてるわけじゃない。頼まれたからだ。
「告白するから見届けて」
昨日の放課後、杏里は唐突に宣言した。
「二人が聞いてくれるなら、私、がんばれる気がする」
最近、恭也と一緒に帰っているのは知ってた。
恭也は、以前と同じようになにかあると私のことをからかってくるけど、同じように杏里とも仲良さそうにしている。
この三ヶ月の間に、着実に二人の距離は縮まっていた。
「今さらなんだけどさ。今さらなんだけど、その今さらが大事っていうかね。つまり、私が言いたいのはね、これからも一緒にいられるってことで」
「お前、大丈夫か?」
「だからね、あのさ、えっと」
完全に言い澱む。昨日あれほど練習したのに、私たちまで付き合わされたのに。緊張で、ぜんぶ吹き飛んだらしい。
「もう、戻っていいか?」
「まって、もうちょっと、まって」
「だから、なんだよ」
どこかうんざりしたような声だった。少しは気づいてよさそうなものだけど、まったく勘づく様子はない。
私と梨々子は、少しだけ壁から顔を出した。
恭也は、こちらに背を向けるようにして立っている。その背中越しに、顔を真っ赤にした杏理が見えた。
ちらりと、杏理の視線が、私たちに向けられる。私は小さくガッツポーズをして、頑張れ、と応援して見せた。
「あなたが、好きです!」
言った。
ついに、言った。
私たちが聞いてるってことも、背中を押す力になってくれたんだろう。
恭也の顔は見えない。でも、動揺しているのが伝わっていた。
「え、うそ、まじで」
「マジでだよ」
「あの……俺さ、実は、ちょっと前まで、伊織のことが好きだったんだ」
「知ってる。でも、私は子供のころからずっと、恭也のことが好きだった」
「なんで?」
「実家の工務店、手伝ってるのかっこよかった。うちの店の看板も直してくれた」
「んなことあったっけ?」
「いま、海岸のやつ、どっかの大学と一緒にやってる」
「あぁ、潮流発電機の実験な」
「あの機械をメンテナンスしてるのも、すごくかっこいいなって思って」
「ただのバイトだろ。手先が器用だから雇われてるだけだ」
「とにかく、きっかけとかどうでもよくて、私はいま、あなたが好きなの!」
「わかった、付き合おう」
「え?」
「俺も、お前のこと、可愛いなって思ってた」
「ほんとにっ、ほんとにっ!」
私と梨々子は顔を見合わせる。声を出さずに、表情だけで気持ちを伝え合う。
二人はしばらく、恋人になりたての初々しい話をしていた。それを聞いていると、私まで同じようにドキドキしてくる。
恭也が先に教室に戻ると、杏理は勢いよく走ってくる。
「伊織ぃ、梨々子ぉ、やったよ! 付き合えたよ!」
跳び込んできた杏理を、梨々子が、おーよしよし、と受け止める。
「二人のおかげだ、ホント、ありがとね」
目には、涙が浮かんでいた。
「私たちはなにもしてない。あんたが一人でがんばっただけでしょ」
「そういう梨々子の冷たいところも大好きぃ」
さっきまであんなに不機嫌だった海は、いつの間にか、親友を祝福するために波しぶきを上げているように見えた。
「これで、片想い同盟は解散だね」
私がそう言うと、
「伊織も、ありがとぉ!」
杏里は私にも抱き着いてきた。
避けることは、できなかった。
杏里の手が私の肩に触れた途端、世界が止まる。
ポーズボタンでも押されたように。
私は、みんなと触れ合うことはできない。
それが、薔薇が作り出した、この世界の仕組みだった。
もし触れてしまったら、こうなる。
数秒の後、時間が巻き戻るように杏里が私の体から離れていく。
私に抱き着く前の位置まで戻ると、なにもなかったように会話を続けた。
「で、伊織の方はどうなのよ? 梶木との仲はすすんでんの?」
もう、慣れた光景だった。
私は自然と、二人に返す言葉を考える。
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