第三話 片想い同盟――七里高校(2)
3-1
教室に入ると、杏理が近づいてきた。
いつものトイプードルのような人懐っこさはない。ひどく思いつめた表情だった。
毎週見てるドラマの話も、昨日、制服のまま海に飛び込んだせいで一足早く秋服に変わっているのを気にすることもなく「ちょっと、ちがうとこで話したい」と言った。
早めに登校していたので、始業まで時間がある。私と杏理は、校舎裏にある花壇脇のベンチに移動した。
花壇には、コスモスが花をつけていた。ピンクとオレンジの花弁が入り混じって風に揺れている。園芸部が世話をしていることになっている花たち。
触れることもできるし、匂いだって感じる。だけど、これも薔薇によって再現された記憶だ。水をあげなくても枯れないし、季節が巡れば自然と植え替えがされる。
「どうしたの、改まって話なんて」
なかなか切り出そうとしない親友に尋ねる。
なんの話かは、予想できていたけど。
杏理は、思い切ったように切り出した。
「あの、さ。伊織、昨日さ、恭也に呼び出されたよね。あれってなんだったの?」
やっぱり、それか。
私が恭也と一緒に教室を出るとき、杏里は、お弁当をひっくり返してしまった子供のように、今にも泣きだしそうな顔をしていた。
「私、恭也のこと、好きなんだ――だから、ちゃんと言って。恭也と、なにがあったの?」
彼女を傷つける。わかっていても、誤魔化すことはできなかった。
杏理は、傷つく準備をしてきたんだ。正直に伝えないといけない。
「すこし前に、告白された」
「それで?」
「どうしようか、迷ってた。でも、断った」
高校の外で、みんながどんな生活を送っているのか私は知らない。
昨日、恭也と私が高校を出てからどこに立ち寄って、どんな会話をしながら帰ったのかはわからない。
だけど、はっきりしていることがある。
私が知らない時間でも、私がこうすると決めたことは、その通りになる。
私は昨日、私の覚えていないどこかで、恭也のことを振った。
少しズルい気もするけれど、そういうことになっているはずだ。
杏理の下唇が、きゅっと口の中に吸い込まれる。
大好きな親友は、真っ直ぐに私を見つめて、いつもより尖った声を上げた。
「それ、私が恭也のこと、好きだって気づいてたから? 私に気を遣ってるつもり? そんなの、許さない」
「違うよ、そんなんじゃないって」
「じゃあ、なんで? 伊織と恭也、ずっと仲良かったもん。なんで、断るの? ちゃんと、正直に答えて」
杏理の目は、真剣だった。
なんで、と言われても困る。私がみんなと同じ時代に生きていたとしても、きっと恋愛対象としては考えられなかった。
はっきりとした理由なんてない。ただ、好きにはなれない。
そういう気持ちがあるのは、杏理だってわかってるはずだ。だけど、形のある言葉が欲しいのだろう。
ふと、波のように私の心をさらった気怠げな笑顔がよぎる。
「他に、好きな人がいるんだ」
気がつくと、口にしていた。
「嘘はやめて。恭也より仲のいい男子なんていないの知ってるよ」
「ほんとだよ」
「じゃあ、誰?」
「梶木」
杏理の動きが止まる。
数秒かけてゆっくりと、私の言葉を理解する。それと同時、両手を胸の前でパチンと合わせて甲高い声を上げた。
「うそっ。なんでっ。いつからっ」
さっきまでの思いつめた様子はどこかに吹き飛んだように、好奇心に目を輝かせる。
こんなときでさえ、杏里の気持ちの切り替えは抜群だった。
それから、すっかりいつもの調子になった杏理のペースに巻き込まれて、色々と話をした。
梶木ノートを借りたのがきっかけで気にするようになったこと。あんまり話すことはなかったけど、ずっと目で追っていたこと。昨日、課外活動室で二人きりになってはっきりと意識したこと。
「そっか。あ、でも、梶木って、進学組だよね」
「まぁ、そうだね」
「だったら、早く気持ちを打ち明けないと。あと、半年しかないよ」
あと半年。
その言葉に、雨に濡れた窓ガラスを見つめているような寂しさが胸をよぎる。
みんなは進学組か残留組かを意識して過ごしている。
この先もずっと一緒なのか、あと半年で別れてしまうなのか。
付き合ってる人たちや片想いをしている人たちは特に。
でも、私の胸の中によぎった寂しさは、みんなが抱えている気持ちと少し違う。
「応援するからね。かんばろう、私たちは片想い同盟だ」
「私も応援するよ。杏理と、恭也のこと」
杏理は照れくさそうに笑ってから「やべ、日直だった」と言って、手を振りながら先に教室に戻っていった。
一人、花壇横のベンチに座ったまま考える。
片想い同盟、か。
杏理に話した途端、すとんと受け入れられた気がした。昨日まで、あんなに拒絶しようとして言い訳を並べていたのが馬鹿みたいだ。
そっか。私は、梶木直澄のことが好きなんだ。
恥ずかしいような、くすぐったいような、ニヤけてしまいそうな、叫び出したいような、でも、ほんのすこし寂しいような、そんな気持ちだった。
そっか、これが恋か。
この学校では恋人を作らないと決めていた。
だけど、恋を知れてよかった。
ふと、視線を感じる。
振り返ると、奇妙な生き物を見つけたような顔をして梨々子が立っていた。
よく飲んでいる紙パックの野菜ジュースのストローをくわえながら「おす」と言うように右手を上げる。
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