2-5

 島の電力は、五十年前から動き続けている潮流発電装置でまかなわれている。


 入り江の外側に突き出た防波堤には、潮の満ち引きを利用して発電する機械が十四台並んでいて、その内の七台が今も壊れることなく稼働し続けていた。


 各家にはバッテリーがあって、交代で岬まで運んで充電する。だから、私たちはその防波堤のことを、発電岬と呼んでいた。


 町長は走るのが遅いので、先に着いたのは私と咲良さんだった。


 発電岬ではノブさんが待っていた。手にはトランシーバーが握られている。あれで町長さんに連絡したんだろう。


「ノブっ、島の外の人はどこ?」


「咲良、なんでお前が来るんだよ」


「言ってる場合じゃないだろ、早く教えて」


 ノブさんは咲良さんと同い歳で、普段から言い争いをしているくらい仲がいい。

 もっさりとした黒髪にひょろっとした背丈。それから、肌の白さが印象的な人だった。


 島の男たちは物心ついたころから海と共に過ごすので、肌は小麦色どころかほうじ茶のように焼けている。でも、ノブさんは用事がなければほとんど家から出ないせいで、漂白したように白い。


 そこで、やっと町長さんが後ろから追いついてくる。


「咲良さんは僕が呼んだんです。教えてください」


「こっちです。七号機の発電量が落ちてたんで、プロペラについていた貝をとろうとしてたんです。そしたら、見つけて」


 ノブさんの仕事は、みんなが使っている機械の修理と発電装置のメンテナンス。

 島のみんなが電気を使えているのは、ノブさんが日々、面倒を見てくれているからだ。


 私もDVDデッキが壊れた時は、本当に世界が終わったような気持ちでノブさんのところに駆け込んだ。三十分ほどで修理してもらったときは、この人は神さまだと思った。


「見えますか、あの岩場です」


 ノブさんが岬の先端を指さす。

 波浪発電装置が並ぶ防波堤の先には、テトラポットが積み上げられている。さらに向こう、海の中に小さな岩場が飛び石のように連なって突き出ていた。


 そのうちの一つに、覆いかぶさるように引っかかっている人影が見える。意識はないらしく、小さな体が波の動きに合わせて揺れていた。


「生きてるんですか?」


「わからない。でも、俺じゃ近づけなくて」


 ノブさんは泳ぐのが苦手だ、それは仕方ない。でも、次の一言は、ちょっとだけ私を失望させた。


「それに、もしかしたら、休眠状態じゃない薔薇に感染しているかもしれない。島に上げるなら、慎重にしないと」


「生きてるかもしれないんでしょう。あのまま放っておけば、体温が下がって死にますよ。いつ、高い波が来てさらわれたっておかしくない」


「七里島のみんなの命を危険にさらせない。だから、町長だけに連絡したのに」


 ノブさんは呆れたように言うと、判断を求めるように町長に視線を向ける。


 気がつくと、駆け出していた。


「おい、伊織っ」


 後ろから咲良さんの声。それからすぐ、私を追って駆け出す足音がする。

 昔から、泳ぐのは得意だった。鞄を防波堤の上に投げ捨て、テトラポットの上に跳び移る。大きく息を吸い込むと、制服のまま海に飛び込む。


 岩場までは数メートル。島の子供なら、誰だって辿り着ける距離だ。


 すぐに漂流者のいる岩場に手が届く。うつ伏せに倒れていた体を持ち上げる。

 その顔を見た瞬間、思わずドキリとした。


 綺麗な、女の子だった。印象的な赤い髪、意思の強そうな太い眉、どこか幼さを残しつつも整った顔立ち。歳は、私と同じくらいに見えた。


 鼻先に指を当てて、呼吸を確認する。まだ、息がある。生きてる。


 すぐに、咲良さんが私を追って泳いできてくれた。女の子を仰向けにして、二人で両脇から抱えるようにして防波堤まで戻る。


 町長さんの手をかりて防波堤に引っ張り上げる。ノブさんも、最初は遠巻きに見ていたけれど、途中から観念したように手助けしてくれた。


 防波堤の上に寝かせて、詳しく状態を確かめる。


 胸はちゃんと上下している。水もそんなに飲んでないようだ。体温は低いし顔色も悪いけど、出血や怪我をしている様子はない。


 着ている服は、町では見たことがない紫色のダイビングスーツだった。腰には防水のウェストポーチが巻かれている。なにが入っているのかわからないけど、かなり重い。


「しっかりして、大丈夫? 聞こえる?」


 頬を叩きながら、意識を回復させようと声をかける。

 女の子の目が、ゆっくりと開いた。


 思わず、声を掛けるのを忘れて、見とれた。


 それは、映画の中でしか見たことがない、透き通るような青い瞳だった。


 しばらく、焦点が定まらないように視線を彷徨わせていた。ピントが合ったように、私の視線と重なる。


「……ここは?」


 彼女が、小さく口を開く。

 私たちと同じ言葉だった。

 

「七里島。安全なところよ」


 しちり、とう。幼い子供が親を真似るように、私の言葉を繰り返す。


「あなたの名前を教えて。あなたは、誰?」


「私は……神代、リオ」


 消え入るような声で告げると、赤い髪の少女はまた意識を失くした。


「神代、リオ」


 そっと名前を繰り返す。


 それが、私たちが五十年ぶりに出会った、島の外で生きてきた仲間の名前だった。



 ――第二話 完――

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