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 七里島の港町には、世界が壊れる前は二千人ほどが暮らしていたという。


 町の中央には、漁師通りと呼ばれる、港へと続く一本道が通っている。

 五十年前までは、漁から帰ってきた男たちが、今日の獲物を抱えてこの道を通ったらしい。


 今では町の人のほとんどが、この通りに面した家で暮らしている。

 だから、いつだって通りに出れば、話し相手を見つけることができた。


 今日も、工藤さんが捕れたばかりの野菜を配っていた。

 その近くでは、ミサ姉さんが子供たちと長縄遊びをしている。咲良さんもさっそくクーラーボックスをあけて、みんなに魚を配り始める。


 手持無沙汰になったので、長縄を回しているミサ姉さんに近づいて話かける。

 昔からの習慣でずっと姉さんと呼んでいるけど、今はもう三人の子供を育てるお母さんだ。ポニーテールにした黒髪を揺らしながら縄を回している。


「ミサ姉さん、こんにちは」


「おかえり、伊織ちゃん。今日も楽しかった?」


「はい、とっても」


「それはよかった。この子たちも、伊織ちゃんの勉強会、すごく楽しみにしてるのよ」


 学校で教わったことを、土日に島の子供たちにも教えていた。ミサさんが言うと、子供たちはジャンプしながら、口々に「また教えてー」「伊織先生、おかえりー」と言ってくれる。


 長縄をする子供たちを見て、ほんの少し羨ましくなる。


 この島には、私と歳の近い子はいない。

 一番近いのが、五歳年上の咲良さんだ。


 同世代の子たちと遊んだり、喧嘩したり、秘密を分け合ったりすることなく成長してきた。


 咲良さんのことは好きだ。ミサ姉さんも他のみんなも優しくしてくれる。それでも、やっぱり歳の近い友達がいたらよかったのにとは思う。


 だぶんそれが、私にとって七里高校が、大切な居場所になった理由の一つだ。


「そういえば、この前、伊織ちゃんにオススメしてもらった小説、すっごく面白かったよ」


「あれ、町長に頼まれて本屋の掃除を手伝ってたら、たまたま見つけたんです」


「この島が舞台の小説だなんて、びっくりした。作者のリリコって、この島に住んでた人なのかな?」


「さぁ、どうでしょう。続きもあるんですよ。私、今、二巻を呼んでるんですけど、さらに面白いです」


「わ、楽しみ。じゃあ次、貸してね」


 子供のころから読書好きだったミサ姉さんは、島に残っている小説はだいたい読んでしまったらしい。

 だから、私がみつけた新しい物語を、誰よりも喜んでくれた。



 話をしながら、辺りを見渡す。

 これが、私の知る世界のすべてだ。


 閉ざされた町で、限られた娯楽の中で、同じ人たちに囲まれ、五十年前の人たちが残した物を消費しながら育ってきた。


 見渡す限りの、小さな箱庭の世界。

 それは、七里高校のクラスメイトたちと、なにも変わらないように思える。


 そこで、ワイシャツ姿の太ったおじさんが、大きなお腹を揺らしながら道路を横切っていくのが見えた。咲良さんが気づいて、声をかける。


「町長ぉ、なにかあったんですかー?」


「あぁ、ちょうどよかったです。咲良さんも一緒にきてください」


 早川町長は、焦った様子で答える。

 この恵比須様のようにぷくぷくと太ったおじさんが、七里島の現町長だった。


 胸騒ぎがして、ミサ姉さんと子供たちに「またね」と言ってから歩み寄る。


「私、魚を配らなきゃいけないんですけど」


「緊急事態なんですよ、困ってるんです。ほら、こう見えても、私、泳げないでしょう?」


 町長は、浮き輪でも巻いているような自分のお腹の肉をつまむ。


「どう見ても泳げなさそうですけど」


「とにかく、お願いしますよ。一緒にきてください。魚を配るのは他の人に頼めばいいじゃないですか」


 頼りない表情をしながら、額から流れてくる汗をタオルで拭う。


 同じ早川でも、七里高校で委員長をしている早川さんとはまるで違う。

 ただ、放っておけない感じがするので、色んな人を巻き込む才能はあるのかもしれない。


「だから、なにがあったんです?」


 できるだけ落ち着いた声で聞くと、やっと思い出したように教えてくれた。


「さっき、ノブから連絡があってですね。発電岬に、島の外から人が流れ着いたっていうんですよ」


「島の、外の人!」


 私たちは顔を見合わせる。


「「なんでそれ、先に言わないんですかっ!」」


 私と咲良さんの声は、漁師通りに重なって響いた。



 世界が薔薇に覆われ、この島が外の世界と孤立してから五十年。

 これまで、島の外の人と接触することは一度もなかった。


 それは、サニー小川が襲名制だったなんて吹き飛ぶくらいの大ニュースだった。

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