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「どうでした、今日の漁は?」


 尋ねると、得意げに笑って、自転車の荷台に括りつけられていたクーラーボックスを開ける。そこには、たくさんの魚が並んでいた。

 スズキとキスが五匹ずつ、それからイシダイ。


「すごい。大漁ですね」


「でしょ。とくに、このイシダイ、釣り上げるのに三十分もかかった」


「どうするんです? 刺身? 煮つけ?」


「残念ながら、これはもう押さえられてんの。この前、田村さんに屋根直してもらったときに、次にイシダイがあがったらわたす約束したからさ」


「あー、それは仕方ないですね。でも、他の魚もおいしそう」


「食べにくる?」


「いいんですか? 今日は注文もらってないので、捌くの手伝いますよ」


 話しながら、並んで坂道を下りる。


 町にいる人たちは、みんな仕事を持っている。咲良さんは漁師で、毎日、魚をとってきては町の人たちに配っていた。


 沿岸から釣り糸を垂らしたり、磯で貝や海藻を集めたり、手漕ぎの舟で沖まで出たりと季節と天気によってやり方を変えていて、だいたいなにかを持ち帰ってくる。


 田村さんは大工仕事が得意で、戸が閉まらない、天井から雨漏りする、なんて不具合があるとすぐに直してくれる。材料は人が住まなくなった家から調達しているらしい。


 他にも、米を栽培している工藤さん、みんなの怪我や病気を一人で看てくれている佐々木先生、貴重なミルクがでる山羊を育てている山内一家に、島中の裁縫仕事を請け負ってるミサ姉さん。


 野菜はそれぞれ畑を持っていて自給自足と物々交換。

 みんなができることをして、助け合って生きている。


 五十年前は当たり前だった金銭でやり取りするというルールは、この島にはもうない。


 だから、高校でみんなが「今月小遣いヤバい」、「バイトして稼がないと」というのは、いまいちピンと来ない。


 私の仕事はパン屋だった。


 渡辺さんが作っている小麦粉で、朝と夕方、注文された分だけパンを焼く。

 食パンに丸パンにバゲット、だいたいのリクエストには応えられる。


 レシピと天然酵母は、お母さんが残してくれた。

 そのおかげで、ちゃんと仕事をして、この町に受け入れられている。


「どうだった、学校は?」


「今日も楽しかったですよ」


「変わってるよな、伊織は。薔薇人間たちと関わるだけで変な目で見られるのに。あんな薔薇に囲まれた建物の中に入ってくなんて」


「みんな、いい人たちですよ。それに、色んなことが勉強できて楽しいし」


「でも、世界を滅ぼした元凶だよ。怖くないの?」


「私が生まれたときには、もう世界は壊れてた。そんなの気にならないです」


 世界が薔薇によって壊されたあと、しばらくすると、奇妙な現象が起きた。


 薔薇に近づくと、中に取り込まれた人たちが現れるようになった。


 成長を止めた薔薇は、かつて取り込んだ人たちの記憶から、五十年前の世界と、取り込んだ人たち自身を再現しはじめた。


 姿形を見せるだけじゃない。話もできるし、笑ったり泣いたりする。

 そこにいるのは、一つの人格だった。


 町の人たちは、彼らのことを薔薇人間と呼んでいる。


 七里高校のクラスメイトたちも、薔薇が再現したものだった。

 校舎を覆う無数の薔薇たちは、高校の敷地に入った人に過去の世界を見せる。


 みんなは、自分たちが薔薇に取り込まれたことも、この世界が滅んでしまったことも知らない。


 まだ壊れる前の世界がそこにあるように、五十年前の日常を続けている。


 彼らが現れる理由はわかっていない。

 取り込まれた人たちの意識がなにかを伝えようとしているだとか、蓄えた情報をただ発信しているだけだとか言われている。


 みんなと長く付き合っている私にも、仮説のようなものはある。

 だけど、それが何だったとしても、私には関係なかった。


「島のみんなが、薔薇の人たちを気味悪がる気持ちはわかります。でも、私にとっては、島のみんなも、学校のみんなも、同じなんです」


 大切な人たちで、大切な居場所。

 たとえそれが同じ時代に生きた人間じゃないとしても、本物じゃなかったとしても、そんなものは関係ない。


「ほんと変わってるよ、伊織は。ま、私に、魚の取り方を教えてくれたのも薔薇人間だったから、あんまり他人のこといえないけど」


 咲良さんは懐かしそうに、自転車の荷台のクーラーボックスを振り返る。


 その話は、私も聞いたことがあった。


 十年くらい前。咲良さんが海岸で釣りをしていたら、急に、薔薇人間のおじさんが現れて「釣れますか?」と話しかけてきたそうだ。


 おじさんは、魚を釣り上げるときのコツや、餌の付け方や釣り場の見分け方などを親切に教えてくれた。


 咲良さんは、おじさんの元に毎日通ってレクチャーを受けた。

 一ヶ月ほどして、咲良さんが初めて真鯛を釣り上げるのを見た瞬間、嬉しそうに笑って消えていったそうだ。

 それ以来、一度も姿を現していないという。


 おじさんは、誰かに魚釣りの技術を教えたかったのだと思う。

 咲良さんが技術のすべてを受け取ったのを確かめて、心残りがなくなったから消えたんだ。


 私の予想が当たっているのなら。

 きっと――七里高校のみんなにも、同じように心残りがあるのだろう。

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