第二話 箱庭の世界――港町(1)

2-1

 ゆるやかにカーブした坂道を下っていくと、港町が見えてくる。


 一人だけの通学路。もしみんなと一緒に登下校ができたら、この景色は、もっと特別なものになっただろう。


 坂道の下に広がる港町は、屋上から眺めた五十年前の景色とは全然違った。


 入り江を囲むコンクリートの防波堤は黒ずんでいて、一部が崩れ落ちている。港に残っている船は二隻だけで、どちらも錆びついて動けない。


 町並みはもっとはっきりくたびれていた。

 人が住まなくなって荒れ放題になった空き家が目立つ。主がいる家も、屋根が崩れかかっていたり外壁が色褪せたりと痛んでいるのがわかる。


 この終わりかけの町に、現在、四十人ほどの島民が暮らしていた。


 視線を瀬戸内海に向ける。


 海の上を行きかう船影はない。島々を繋いでいた瀬戸大橋は、途中で途切れている。


 橋脚には、陸から延々と伸びている薔薇の蔓がびっしりと絡みつき、世界の終わりを象徴するかのように崩落していた。



 私たちが薔薇について知っていることは少ない。


 五十年ほど前、世界は薔薇によって崩壊した。


 それは最初、画期的な発明として人類社会に紛れ込んだ。


 情報処理植物という名前で呼ばれ、情報を記録する機能を持った植物だった。


 ただの記録装置ではなく、人間の脳に直接干渉し、集めた情報を体感させることもできたらしい。映像を見せるだけでなく、匂いを感じさせたり触れる感覚を味わえたり、違う世界に入ったような錯覚を与えることさえできたそうだ。


 当時の科学技術のほとんどを失った私たちには、それがどんな仕組みなのかまるでわからない。


 ただ、薔薇について、当時の新聞や雑誌、電子媒体に記録された資料はたくさん残っている。

 そのバックナンバーを追っていけば、世界がどんな風に薔薇に滅ぼされていったのかはわかった。


 情報処理植物が便利な道具として世界中に広まったころ、その中の一つだった薔薇に突然変異が発生した。


 変異した薔薇には、いくつかの特徴があった。

 コンクリートでもアスファルトでもどこにでも根を張り、砂漠にも永久凍土にもどんな気候にも順応できる。

 目に見えるほどの異常な速さで成長し、繁殖する。


 そして、人間の脳を記録する対象として認識し、寄生して取り込もうとする。


 人類と薔薇は十年以上にわたって一進一退の攻防を繰り広げた。薔薇を枯らす薬品の開発がすすめられ、それが間に合わない地域では徹底的に焼き払われた。


 一時は薔薇を全滅直前まで追い込み、新聞の見出しに、人類の勝利、の文字が躍ったこともあった。


 けれど、ついには薔薇の繁殖力に対処しきれなくなり、ほとんどの街が薔薇に飲まれ、大勢の人が取り込まれた。


 やがて人類は、星の主導権を、薔薇に明け渡すことになった。


 五十年前の人たちは、その薔薇に名前をつけた。世界の終わりの薔薇、ワールドエンド。当時の人たちがどんな想いでその名を口にしたのかわからない。


 だけど、今、この世界に生きる私には、その名前は、どこかロマンチックに聞こえる。



 世界が薔薇に覆われて半世紀。それでも、私たちは、この世界に生きている。


 それは薔薇の成長が、ある日、唐突に止まったからだ。


 理由はわからない。

 薔薇の成長が止まったときには、すでに島の外からの連絡は途絶えていた。


 そして薔薇たちは、その内側に取り込んだ人たちの幻を映し出すようになった。

 それが――


「いっおりー、ちょっと待ってーー!」


 後ろから自転車のベルと叫び声が聞こえ、考えていたことが中断される。


 そんな大声で呼ぶならベルを鳴らす必要ないと思うし、私が待たなくなって自転車なんだからすぐ追いつくと思うけど、いつものことだから黙っておく。


 思った通り、数秒後には真横に自転車がやってきて急停車する。


 ギギギッと、ブレーキが酷使されてますよと訴えるように甲高い音を上げた。


「おいついたっ。今、学校帰りか?」


「こんにちは、咲良さん」


 後ろから追いついてきたのは、デニムズボンに半袖Tシャツ姿の女性だった。

 日に焼けた小麦色の肌、さっぱりとしたショートカット。咲良さんは、子供のころからずっと一緒に育ってきた、私にとっては姉みたいな人だ。

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