1-6

「俺たち、一年のときから、なんだかんだでけっこう一緒にいたよな」


「うん、そうだね」


「俺のこと、嫌いか?」


「そんなわけない」


「なら、悩むことないだろ。そんなに重く考えんなよ、試すつもりでいいからさ」


 恭也の恋人になったら、きっとお姫様のようになんでもいうことを聞いてくれるだろう。サプライズとかも好きそうだし、あの手この手で楽しませてくれるはずだ。


 これから先の私の人生で、こんなにもハンサムな男子に告白されることはないかもしれない。いや、きっとない。


 だけど、私には誓いがあった。

 この学校では、誰かと恋人同士になったりしない。


「他に好きなやつ、いるのか?」


 不意打ちのような質問に、ほんの一瞬、梶木直澄の顔が浮かぶ。

 浜辺に際に打ち寄せる波のように、油断させといて大事なものをさらっていった気怠そうな笑顔。


「そういうわけじゃないけど」


「じゃあ、いいだろ。俺も伊織も島に残るんだ。とりあえずでいいから、付き合ってみてくれよ」


「ごめん……もうちょっと、待って。恭也とはずっと友達だったから、急に、そういう風には考えられない」


「もう十分、待っただろ」


 今日はやけに強引だった。覚悟を決めたように見つめてくる。


「じゃあ、こういうのはどうだ? 今日、一緒に帰ってくれ。二人きりで。もし恋人だったらって想像しながらさ。そしたら、俺と付き合うってこと実感できるだろ。もちろん寄り道はする、日が暮れるまでは付き合えよ。ぜったい楽しいって思うから」


 恭也と一緒に帰ったことは何度もある。

 でも、それは他のクラスメイトと一緒だった。


「それも嫌だっていうなら、もう卒業まで、お前には話しかけねぇよ」


「そんなの、ずるい」


「ずるくたっていい。頼む、一回だけチャンスをくれよ」


「どうして私なの?」


「それは、俺が知りてぇよ。お前が……よくわからねぇけど、他のみんなと違うって感じるんだ」


 冷たい刃物に触れたように、すっと心が静まるのがわかった。

 恭也は私が好きなわけじゃない。きっと、このクラスで私だけが違うってことに惹かれただけなんだ。


「……わかった。一緒に帰る」


 答えると、恭也は、ホームラン予告でもするような自信満々の笑みを浮かべた。日に焼けた肌に、真っ白い歯が目立つ。


「覚悟しろよ。返事しぶってたのを後悔させてやっからよ」





 教室に戻ると、もう杏里はいなかった。鞄を取って、恭也と一緒に廊下に出る。


 校舎入口の下駄箱に出るまで、昨日やっていたというテレビ特番の話をしていた。


 動物園の舞台裏を取材したドキュメンタリーだったらしく、ドラマしか見ない私に、面白おかしく説明してくれる。何気ない話題で、気分を盛り上げようとしてくれるのが伝わってくる。


 グランドには誰もいなかった。進学組はまだ勉強してるし、残留組はもう下校している。


 昔は、この高校にも野球部やサッカー部があって、放課後はこのグランドで練習していたらしい。その名残は、あちこちに見つけることができた。


 誰も使わなくなったマウンドに、すっかり体育の集合場所としての役割を受け入れたベンチ。


 校門まで、最短距離を突っ切るように並んで歩く。


 九月の日差しが、温かく頬を照らす。

 空には千切れ雲が浮かび、遠く波の音こが聞こえる。


「なぁ、手、繋いでもいいか?」


 話が切れたタイミングで、恭也が聞いてきた。

 振り向くと、さっきまでの自信満々な様子とは違う、照れと緊張を必死で隠している少年のような表情だった。

 普段とのギャップに、思わず心臓が跳ねる。


「校門を出たら、いいよ」


 恭也は嬉しそうに笑う。


 校門が近づく。

 日に焼けた手が伸びてくる。


 指先が触れ合う直前で、学校の外に足を踏み出した。


 その瞬間、恭也の手が光の粒に変わった。


 タンポポの綿毛のように、彼という存在は光の粒で形作られ、弱い力で繫ぎ止められていたみたいだった。


 風に流されるように、私に向かって伸ばされた手は小さな光となってほどけていく。

 手だけじゃなかった。光は手から肩、そして全身に広がる。


 彼の体は光に包まれ、そのまま、空気に溶けるように消えてなくなった。


 右手を握る。繋ぎかけた指先が、なにもない空間を握りしめる。


 校門を出てから、後ろを振り返った。



 そこに、ついさっきまで授業を受け、みんなと笑い合っていた学校はなかった。


 雑草が生え、砂利が転がり、体育の授業なんてとてもできないほどに荒れ果てたグランド。校門のペンキは剥がれて錆びが浮き上がっている。


 古めかしくも堂々と聳えていた校舎には、無数の罅が入っていた。


 窓ガラスはほとんど割れ、壁は黒く汚れ、そして、ボロボロになった校舎の外壁を覆うように、びっしりと薔薇の蔓が這っている。

 たくさんの赤い花を咲かせる、棘のない薔薇たち。


 眠り姫の物語に出てくるお城のように、薔薇に覆われた廃墟。かつて学校と呼ばれていた場所の成れの果て。


 世界の終わりは、とっくにやってきていた。


 その原因は、地球温暖化でも隕石でもインフルエンザでも破滅の天使でもない。


 それは、薔薇と一緒にやってきた。


 私が通う七里高校は、世界を終わらせた薔薇が見せる、五十年前の幻だった。



 ――第一話 完――

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