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「……梶木? なんでここに?」


 相変わらずなにを考えているかわからない目。両サイドの口角が下がってへの字になった口。背が高いくせにひょろっとしてるのが、さらに気怠げなオーラを拡散している気がする。


「絵を、描きにきた。美術部だから」


 梶木はぼそぼそと答えると、視線を部室の奥に向ける。

 そこには、白い布をかぶせられた画台があった。美術部は、ちゃんと活動を続けていたらしい。


「間宮こそ、なにしてるんだ?」


 答える代わりに、手に持ったサンドウィッチを持ち上げて見せる。

 梶木は、それで納得したようだった。なんでこんなところで一人で食べてるんだ、とは聞いてこない。


 画台の方に歩いていく。絵を窓際の明るい方に向けると、同じように備品に紛れていた鞄から絵筆やパレットを取り出す。


 毎日、ここで昼食を食べていたけど、画台を気にしたことは一度もなかった。


 いったいどんな絵を描いてるんだろう。

 ここからじゃ見えない。

 気になるけど、緊張して話しかけられない。とりあえず、急に味のわからなくなったサンドイッチを頬張る。


「サニーサイド瀬戸内海か。意外な趣味してるんだな」


 パレットに絵の具を落としながら、梶木が呟いた。

 一瞬遅れて、それが自分に向けられた言葉だと気づく。


 窓際に置いたラジオからは、サニー小川が相変わらず調子外れなコメントが流れていた。

 そこで、衝撃的な事実に気づく。サニーサイド瀬戸内海を、この学校で知ってる人がいるなんて。


「なんで、知ってるの」


「なんでって、俺も休みの日はたまに聞くからな。面白いよな。俺のことは気にせず、聞いてていいぞ。この部室は、共有で使うっていうルールだろ」


 梶木はそう言うと、視線を絵の方に戻す。

 気にしなくていい、と言われても、このふざけた放送を聞きながら集中できる人間はいないだろう。ラジオに手を伸ばし、サニー小川の笑い声を止める。

 梶木は反応しない。じっと絵を見ている。集中しているらしい。


 教室が静かになったせいで、今度は、居心地の悪さが襲ってきた。


「なにを描いてるの?」


 思い切って、声をかけてみる。

 少しでもうっとおしそうな素振りを見せたら、すぐに話を打ち切るつもりだった。でも梶木は手を止めることなく、なんでもないように答えを返してくれる。


「卒業制作。今まで放課後だけやってたんだけど、間に合いそうにないから」


「見ていい?」


「駄目だ。まだ途中だからな」


「完成したらいいんだ。じゃあ、いつになったら見れるの?」


「卒業式の日になら、見せてやるよ」


「ずいぶん先なんだね」


「そうか? 卒業なんてあっという間だよ。あと、たった157日だ」


「え。数えてんの」


「実行委員をやるなら、あとどれくらいか正確に知っておきたくなるだろ?」


「ううん、ぜんぜん」


 意外と、自然に会話が続くことに驚く。

 勝手にあんまり喋らないタイプだと想像していたけど、やっぱり想像は想像でしかなかった。


「なんで卒業式の実行委員に立候補したの?」


 気になっていたことを口にする。梶木は手を止め、自分も同じことが聞きたかった、というように視線を向けてきた。気怠そうな目の奥に、好奇心が揺れている。


「俺、進学組だからな。卒業したら、みんなとはしばらく会えなくなる。最後くらい、みんなのために、なにかしたいと思った」


 進学組。

 高校を卒業したら、島の外の大学に進学する予定の人たちのことをそう呼ぶ。


 クラスは進学組と、大学にはいかずに就職したり家業を継いだりして島に残る残留組に別れていて、人数もちょうど半々くらいだ。


「私も、おんなじ」


「間宮は、進学組じゃないだろ」


「知ってたんだ、意外。同じっていったのは、進学するかどうかじゃなくて、みんなのためになにかしたいって思ったってとこ。私、途中で転校してきたからさ」


「あぁ、そっか」


「島育ちじゃないのに、みんな、すごく仲良くしてくれた。だから、みんなになにかを返したいって思って」


「悪い。卒業式をちゃんとやりたいっていうのに、進学組も残留組も、関係なかったよな」


 タマゴサンドの最後の一口を放り込みながら、思わず笑ってしまった。


「……なんだよ、急に」


「なんか、意外だったから。梶木って、もっと喋らないやつだと思ってた」


「俺、そんなに暗そうに見えるか?」


「暗そうっていうのとはちょっと違うかな。いつも眠そうというか、ダルそうというか、不機嫌そうというか、陰湿そうというか、卑屈そうというか、うーん、うまい言葉がみつからない」


「すっげえ誹謗中傷されてるな」


「まぁ、とにかく、もっと、非友好的な人物だと思っていた」


「なら俺だって、間宮のこと、もっと個性が薄いっつーか、普通のやつだと思ってた。いつもみんなに遠慮して合わせてるような感じでさ」


「そうかもしれない」


「個性の薄いやつが、昼休みに一人でサニーサイド瀬戸内海なんて聞くかよ。こうやって話しててもわかった。お前、意外と変なやつだったんだな」


「なにそれっ」


「褒めてんだよ」


「褒めてないでしょ」


 予鈴が鳴る。話し込んでいるあいだに、昼休みが終わってしまったらしい。作業の邪魔をしちゃったんじゃないかと申し訳なくなる。


「明日から、昼休みもここで作業しようと思ってるんだけどいいか?」


「この部室は共有で使うルールなんでしょ、好きにしたら」


「サニーサイド瀬戸内海、聞いててもいいぞ」


「うっさい」


 それから、明日は話しかけないから、と付け足そうした。でも、言葉にするより先に、梶木が笑う。


「よかった。これで、また明日も話せるな」


 それから、気怠さをいつもより抑えめにした笑顔を見せる。


 それは、砂浜を歩いているときに急に大きな波がきて靴までびしょ濡れになってしまうのに似ていた。

 彼の笑顔は、ふいに打ち寄せる波のように私の心をさらった。


     ◆◇◆◇◆

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