第38話

 線路の道に戻って八王子を目指して歩く。相変わらず大量のゴキブリが襲いかかってくるのを、容赦なくクララさんがハンマーでぺちゃんこに潰していく。最初は恐ろしかったり気持ち悪かったりしたのだけど、クララさんが淡々としているので、俺もただの作業みたいに感じてきた。

 小さいゴキブリを足で踏んづけて、釘打ちマシーンで腹部に釘を打ち込む。数をこなしていると、なんだか魚を捌いているような気持ちになる。そして、こんなにいっぱいいるゴキブリは食べられないのだろうか、とか考えてしまった。これだけ大きければ可食部もあるだろう。しかし食べたい人なんているはずないか。いや、衛生的な問題をクリアした上で調理を工夫すれば、マイなら食べてみたいと言うかもしれない。タケルも食うかも。スラムの住人はしょくへの執念が半端ないからな。

 すこぶる順調な感じで道を進んで、八王子駅付近に到着した。まだお昼前だ。前に来たときは気が付かなかったのだけど、駅の近くに高台があって、その一帯が柑橘類の雑木林で囲まれている。ゴキブリは侵入しにくいだろうし、休憩するのによさそうな場所だ。発電所に入る前に作戦会議もしておきたい。俺とクララさんは坂道を進んで、その高台に行ってみることにした。


 荷物を地面に下ろして大きく伸びをする。見晴らしがいい。目の前に発電所の敷地と、その周辺に広がるビル群が見える。放置された町並みが植物に侵食されていて、これはこれで美しい景色と言えなくもない。まるでピクニックに来たみたいな感じだ。

「お弁当を作ってきました」

 クララさんがそう言って、背中の小さなリュックからタッパーを2つ取り出した。中にはおにぎりとアスパラガスの天ぷらと、牛肉のコロッケがたっぷりと入っている。すげえ。そしてめちゃくちゃ美味い。食後にはチョコレートケーキとコーヒーまで出てきた。これは本格的なピクニックだ。

「マイもつれてきたいな……。でも無理か」

 俺はつぶやいて言った。それを聞いたクララさんが口を開いた。

「ゴキブリの大発生は一時的な物のはずです。冬になれば、恐らく活動が鈍くなります。その頃にみんなでここに来ましょう。そうですね……野外で鍋パーティをするのはどうでしょう。とても寒いでしょうけれど、そのぶん鍋の美味しさも増すと思いますよ」

 クララさんが微笑んで言った。

「いいですね、それ……。クララさんはなんというか、だいぶ人間味溢れていますよね。失礼ですけど、アンドロイドなのになあ、と俺はつい思ってしまいます。そのギャップがいいですよね」

 俺は言った。

「そう言っていただけて嬉しいです。コズエ先生にもよく言われるのですが、私は考え方が古いんです。私が製造された当時……つまり100年以上昔の人間の好みを、私は気に入っています。あのころはまだ、人間の心にだいぶ余裕がありました。アンドロイドにも冗談のセンスが求められるような、楽しい雰囲気があったんですよ」

 クララさんが俺の横で、景色を見渡しながら言った。少しさびしそうな横顔が本当に美しくて、俺も凄い切ない気持ちになった。


 弁当を平らげて、いよいよ発電所の内部へ向かうことにする。クララさんはエレベーターホールの前まで、俺を守って行ってくれる。ただし、そこからは俺一人で進まなければならない。

 クララさんのデータによれば、発電所の最下層付近は、放射線の値が強すぎて人間はおろかロボットも入れない。地下10階ではもっとも強い放射線が出ていると考えられている。そこには融合炉を制御するコンピューターがあるのだが、基本的な機能は損なわれていない。AIも部分的に生きている。それがなぜなのかは現在のところ不明だそうだ。

 とりあえず進むしか無い。見晴らしの良い丘を駆け下りて道を進むと、また少しずつゴキブリが増えてきた。それらをクララさんと一緒に蹴散らしながら、ようやく発電所の入り口に俺たちはたどり着いた。しかしまいったね。そこで見た景色を俺は一生忘れないだろう。


 建物がゴキブリに囲まれている。囲まれているというより、おおわれているという表現が正しいかも。ゴキブリが建物の壁にびっしりと張り付いているので、目の前の景色が黒黒くろぐろとしていて不気味だ。ゴキブリは身動きせずにすし詰め状態。何がそんなにゴキブリを引き寄せているのかは分からない。でもどうやってこの中に入るんだよ。俺はすがるようにしてクララさんの顔を見た。

「これだけの数ですから戦うことは無意味です。私がタクヤさんのカラダを抱えて、ゴキブリの隙間を縫って内部に侵入します。恐らく建物内でもゴキブリが密集しているでしょう。なんとかエレベーターホールまで行って、そこからエントランスの方へタクヤさんの物資を投げてみるのはどうでしょう。ゴキブリが物資に反応すれば、そのスキにエレベーターに乗れるかもしれません。それが駄目ならば、私が一時的にエレベーターホール周辺をクリアにします。この階層ならば変異種はいないでしょうから、数分はその状態を維持できます。タクヤさんはそのスキにエレベーターに乗ってください」

 クララさんが淡々として言った。難易度が非常に高そうだけど、クララさんならば可能かもしれない。問題は俺の方だ。下手なミスをしないように気をつけよう。ゴキブリの群れに飲み込まれたら、一瞬で骨になりそうだ。


 クララさんが俺の腰に手を回して、軽々と脇にかかえた。俺はうつ伏せ状態で頭だけを前方に向けている。この体勢だと首が辛い。まあ、あっという間だろうから少しの辛抱だ。

「エレベーターホールまで一気に行きます。準備はよろしいですか?」

 クララさんが力強い声で言った。

「おねがいします!」

 俺が叫んだのと同時に、クララさんが助走をつけて発電所の門を飛び越えた。ふわりと体が浮いて無重力状態になる。次の瞬間、俺たちは密集しているゴキブリの平野に降り立った。同時にクララさんがまた、跳ね飛ぶようにして前に進んで行く。そのスピードがあまりに早いので、足場になっているゴキブリ達の反応が追いつかない。という感じで俺たちは無事に建物の入り口までたどり着いた。

 入り口付近を塞いでいるゴキブリを、クララさんが強引にハンマーで薙ぎ払った。間近で見るこの、凄まじいパワー。バキバキという音とともにゴキブリの破片が四方に飛び散っていく。小脇に抱えられた俺はむちゃくちゃ振り回されて、ほとんどゲロを吐きそうである……というか実際に吐いている。

「大丈夫ですか?」

 クララさんが大きな声で俺に聞いた。

「大丈夫!」

 ゲロまみれの口から俺は声を絞り出した。

「突破します! 体を小さく!」

「了解!」

 ゴキブリの隙間に体をねじ込むようにして、俺たちは建物の中に侵入した。当然、俺の体もゴキブリの甲羅と強烈にこすれて、無数のひっかき傷が出来た。所々出血もしている。ただ俺も興奮していて、痛みはほとんど感じない。

 想像していた通り、建物の中もゴキブリだらけだった。それをハンマーで蹴散らしながら、クララさんが強引に前に進んでいる。俺は片手に釘打ちマシーンを持っているけど、この状況だと何もできない。なるべく邪魔にならないように、体を小さく丸めているだけだ。ちょっと情けない。

「エレベーターホールです!」

 クララさんがそう言って俺の体を地面に下ろした。目の前にエレベーターの扉が見える。すぐさま俺に群がろうとするゴキブリ達に対して、クララさんがハンマーを振り回して、一定の空間を作ってくれている。俺はリュックに腕を突っ込んで、予め用意してあった物資の袋を取り出した。匂いが漏れるように袋の口を緩めつつ、それを建物の入り口方面へ向けて全力で放り投げた。

 ゴキブリの反応は予想以上だった。投げられた物資がまだ地面に落ちていないのに、壁から天井から、物資めがけてゴキブリが飛びかかっている。目の前に、うずたかいゴキブリの山がモリモリと形成されていく。恐ろしい……。しかし今がチャンスだ。

 気がつくとすでに、クララさんがエレベーターを呼ぶボタンを押してくれていた。表示によると、あと数秒でエレベーターが到着する。クララさんは俺を背後に置いて、目の前のゴキブリを薙ぎ払い続けている。スゲー……鬼神のようだな。

 背後で「ポン」という懐かしい音がした。振り向いて見たエレベーターの中は……からっぽだ! 素早く俺は中に入り込む。同時に、クララさんが入り口を塞ぐようにして、目の前に仁王立ちになった。ゴキブリのシャワーみたいになってる! なんかもう、ドラゴンボールの戦闘シーンみたいだよ。クララさんの手足の動きが目で追えないくらい早い。俺はエレベーターの閉まるボタンを連打している。ドアが閉まり始めるまでの数秒が、異様に長く感じた。

 ようやく閉まり始めたドアの隙間に、クララさんが顔を覗かせて俺に微笑みかけた。潰したゴキブリから出た透明な体液で、クララさんはずぶ濡れである。不謹慎だけど異様にセクシー。

「いってらっしゃいませ、タクヤ様」

「いってきます!」

 俺は精一杯笑顔を作って言った。そしてエレベーターの扉が閉まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る