第39話

 エレベーターの外ではまだ、クララさんが戦っている。ゴキブリをバリバリと引き裂いている凄い音がする。俺は必死にエレベーターの操作版を観察する。ボタンは地下8階までのものしか無い。サツキさんに教えられたように、10階に行くには音声で命令を下す必要がある。生体認証のカプセルは、発電所の敷地に入る前にちゃんと飲んで置いた。

「地下10階にアクセス」

 と俺は大声で言った。

「認証しました。地下10階に向かいます。よろしいですか?」

 エレベーターの天井から女性の声がした。よかったー、上手く反応してくれた。

「はい」

 俺が答えた瞬間にエレベーターが音もなく動き出した。外のバキバキ音も急速に遠くなっていく。これでクララさんも建物の外へ離脱出来るだろう。あとは俺が、上手くやれるかどうかにかかっている。


 エレベーターがあっという間に地下10階に到着した。そしてドアが開いた。

 ちょっと眩しいくらいに、壁も天井も真っ白に塗りつぶされている。目の前に短い廊下があって、その先に大きな両開きの扉が見える。それ以外はほとんど凹凸おうとつすらも無い、無機質な空間だ。俺がこの世界に来た時の、転生の部屋に少し雰囲気が似ている。

 放射線の値は、この機械が表示できる最大値の150を振り切っている。サツキさんの予測だと、地下10階の放射線の値は300は軽く超えるだろう、ということだった。そこまでいくとさすがにゴキブリでも耐えられない。放射能に特に強いと言われる変異種さえ、長く留まってはいられないと考えられている。しかし誰も確かめたことはないので俺は結構心配だった。でも、今の所ゴキブリの気配は無いようだ。

 短い廊下を歩いて俺は両開きの扉を開けた。すると、正面がすべてガラス張りの広いスペースが目の前に広がった。地図によるとここは、融合炉のコントロールセンターだ。中央に大きなテーブルがあって、その表面にさまざまな情報が表示されている。数字と英語とグラフと……たくさんあるけど、俺に理解できることはほとんど無い。ただ、いくつかの数値が常に変動していて、融合炉が可動中だということはなんとなく分かった。

 ガラス張りになっている部屋の正面に、俺はゆっくりと近づいた。地図によれば、このガラスの向こう側に融合炉が10基見えるはずだった。しかし俺の目の前に現れたのは融合炉じゃない。その代わりに大きな黒い物体が横たわっていた。マジかよこれ、ゴキブリか。


 高いところから見ているから、実際にどれくらいの大きさなのかが分かりにくい。でもたぶん5メートル……いや、もっとかな。こんな大きな生物を俺は今まで見たことがない。触覚がゆっくりと動いているから、生きていることは間違いない。恐ろしいを通り越して、俺はただ圧倒されている。

 こいつは変異種の親玉みたいな感じだろうか。ただし、この階層は放射線の値が普通じゃない。この環境で生きているということは、ゴキブリとしても特殊な存在ということになるんじゃないか?

 俺が今いる部屋の脇に、小さなドアがある。そこを出ると螺旋状の下り階段があって、融合炉の場所にアクセスできるようになっている。俺はドアを開けてゴキブリを上の方から眺めてみた。触覚は常にゆらゆらしてるけど、それ以外は微動だにしない。こんなにデカイと動きも相当鈍そうな気はする。だけどナウシカに出てくるオームはかなり速かったよな。油断はしないでいこう。

 慎重に螺旋階段の一番下まで降りた。その瞬間、ゴキブリがゆっくりと動き始めたのがわかった。ヤバイと思って俺は階段を駆け上がる。一番上まで登ったのと同時に、階段がめちゃくちゃ揺れてメキメキと凄い音がした。俺はゆさぶられながら夢中で部屋の中に飛び込んだ。ガラス越しに下を見たら、階段の下半分がつぶされて無残な姿になっていた。あぶねー! ヤツは凶暴だ。急に突進してきた。階段はめちゃくちゃになったけど、ゴキブリには傷一つついていないように見える。凶暴な上に頑丈ということか。さすがだ。

 ゴキブリが少し移動したおかげで、その背後が少し見えるようになった。壁のくぼみにはめ込まれるような形で、楕円形のカプセルのようなものが並んでいる。あれがたぶん融合炉だろう。今は一部しか見えないけど、恐らく全部で10個あるはず。そのなかで可動していない2つを探し出して、俺は持って帰らなければならない。


 さて、どうしますかね。物資を投げたらゴキブリはたぶん食べるだろう。でも、そのスキに取りに行けるような雰囲気ではない。さっきの感じだと、少しでも近づけばこちらの命が無いということになりそうだ。

 そうだな……。ここはいったん退散するべきかもしれない。クララさんに相談して、5メートル級のゴキブリをやり過ごす方法を考えよう。そうしよう。

 俺は一旦地上に戻ることにした。ゴキブリを少しだけ観察してから、ガラス張りのコントロールセンターを出て短い廊下に戻った。エレベーターのボタンを押す。しかし、いくら待ってもエレベーターはこなかった。

 ボタンを何度も押した。エレベーターのドアに耳を押し当ててみたけど、動いている気配がない。故障か? もしくは地上に戻る時に何か特別な操作が必要なのか。だけど、サツキさんは特に何も言っていなかった。帰り道はまったく行きと同じという話だった。その後30分ぐらい、ボタンを押したりエレベーターのドアを触って調べたりした。だけど何の反応も手がかりもない。俺はトボトボと歩いてコントロールセンターの部屋に戻った。

 ガラスの向こう側には巨大ゴキブリがいる。融合炉は取れない。エレベーターで地上に戻ることも出来ない。詰んだ。地上に戻るための階段なんてありそうも無いよな。どうしよう……。なにか方法を考えなくては。

 しかしこの状態で俺にやれることは何も無かった。そのままの状態で10日間が経過した。

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