第37話
「おかえりなさいませ、タクヤ様」
コズエ先生がなぜかメイド服で出迎えてくれた。しかしこの程度では俺も、もう驚かない。違和感もない。
「ただいま……」
とつぶやいて、俺は室内のソファーにドサリと倒れ込んだ。
「ゴキブリが増えてたでしょ? 大丈夫だった?」
コズエ先生がなぜか楽しそうに言った。俺はここに来るまでの冒険談をコズエ先生に話した。
「このタイミングで国分寺に来るっていうから、危ないと思ったのよ。それでクララと相談して、タクヤの護衛をお願いしたの。でもさ、二人で一緒に出発すればよかったじゃない。どうしてそうしなかったの?」
コズエ先生がクララさんの顔を見て訊いた。
「ギリギリで助けたほうが、かっこいいと思ったので。それと、タクヤさんがゴキブリと戦う姿も見たかったんです」
悪びれもせずにクララさんが言った。
「なるほどね」
コズエ先生が言った。なるほどね、じゃねーよ! だけど命を助けてもらった訳だから、何も言えねー。
「戦闘シーンをドローンで撮影してあります。あとでみんなで見ましょう。タクヤさんがゴキブリに、じわじわと追い詰められていくシーンは必見です。でもタクヤさん、最期まで冷静でしたね。あれは本当に感心しました」
クララさんが微笑んで言った。
「ありがとうございます……」
これ、褒められてるんだよな? そしてビデオなんて絶対見たくないけど。でも、スポンサーには逆らえないよな。ちくしょー。
見たくないビデオをみんなで見て、それから昼飯をおごってもらって食べた。昼飯はなんと握り寿司だった。魚が新鮮でめちゃくちゃ美味い。いったいこれ、どこから出てきたんだろう。まあ、金があれば何でも出来るということだろうな。
何が気に入ったのか、コズエ先生が俺の死にかけビデオを何度も繰り返し見ている。クララさんが俺を救うシーンが来ると、手を叩いて喜んでいる。途中からビールまで飲みはじめて上機嫌だ。クララさんがキッチンでうまそうなつまみを作って持ってきた。俺はこれから大仕事だっていうのに、この人たちは楽しそうで羨ましいな!
「タクヤ、今度は融合炉を取りに行くんだってね? 出発の予定は?」
ビールのジョッキを片手にコズエ先生が言った。
「午後には出ようと思います。伝染病の件があるので、出来るだけ早く仕事を済ませたいんです」
「そっか。だけど今はタイミングが悪いわね。ゴキブリの活動が活発になってるでしょ? 発電所に向かう道もかなり危ないし、発電所の内部はパーティー会場みたいになってるかもよ。数年に一度こういうことがあるのよね。原因は不明だけど」
「ゴキブリが静かになるまで、どのくらいかかりますかね?」
俺は訊いた。
「そうね……今までのケースだと、少なくとも一ヶ月くらい。長ければ半年。こういう時は大人しくしているのが一番なんだけど。でも今回は事情があるのよね」
「はい。伝染病が広まる前に、病原体がある場所を綺麗にしたいんです。そのために金が必要で。ただ今の状況だと、発電所にたどり着く前に、俺は死にそうですね……」
ゴキブリ数匹に囲まれたら、ほとんど打つ手がない。
「サツキさんもゴキブリに関して、これほどとは思ってなかったでしょうね。でも、タクヤに目を付けたのはさすがよね。
そう言ってコズエ先生が俺の首筋に手をかけた。先生の赤い目にじっと見つめられる。ドキドキするのと同時に、俺は頭の中で必死に考えを巡らせている。
「あのー、クララさんに有料で護衛を頼めるっていう話がありましたよね? 一日1万円のやつ。それって今でも可能ですか」
俺は言った。
「うん、可能よ」
先生が少し不思議そうな顔になった。
「今、俺の手持ちが10万ぐらいあるんですが、これを使い果たすのはちょっと怖いんです。そこでなんですが、今回の仕事の成功報酬という形で、俺がクララさんを雇うことはできませんか? 今までさんざん無料でやってもらってるのに、厚かましい話ですけど」
俺は言った。2人が俺のファンだというなら、もしかしたらこの話を受けてくれるかもしれない。
「面白いわね。成功報酬の額によるかな。どのくらい儲かりそう?」
先生が楽しそうにして言った。
「サツキさんの話だと、融合炉は最大で2基取れる可能性があります。一基で500万。2基取れたら1000万以上のお金になるらしいです。その金額の3%でどうですか? それと……クララさんに護衛をしてもらう期間は、俺がスラムに戻って融合炉の売却を終えるまで、という柔軟な形にしていただけるとありがたいのですが」
俺は必死に頭を回転させながら言った。融合炉を手に入れたとして、スラムへの帰り道で死んだら元も子もない。というか今の状況だと、帰り道に死ぬ可能性もかなりあるよな。
「タクヤが1000万儲けたら、こちらに33万入る計算ね。この仕事は短期間で終わる可能性が高いから、そんなに悪くない話だわ。ただ、クララは発電所1階の、エレベーター前までしか行けないわよ? 地下10階は放射線が強すぎて、アンドロイドでも耐えられないから。それでもいいの?」
「はい。それで十分です。まあ、俺が戻って来なかったら、クララさんはタダ働きになってしまいますけど」
俺は言った。
「うん、じゃあ商談成立ね。サツキさんには私が話をつけておく。現地へ向かうタクヤが提案しているんだから、あの人も反対は出来ないでしょう」
コズエ先生が小さく頷きながら言った。
「ありがとうございます。本当に助かります」
俺は深く頭を下げた。クララさんが護衛をしてくれるなら、これほど心強いことはない。というか、一人で行こうって思ってたのは、相当危なかったよな。
コズエ先生がサツキさんと話し合いをして、クララさんの護衛の件はすんなりオーケーになった。そもそもサツキさんも、伝染病のワクチンをコズエ先生経由で手に入れる予定だったらしい。お二人は普段から商売上の付き合いがあるみたいだ。
「ゴキブリが大量発生してるって聞いて、サツキさんもかなり心配してた。それで、融合炉の売却も私経由でやることになったわ。つまりタクヤは、融合炉をスラムまで運ぶ必要はない。このキタムラ医院まで持って来ればいい。それを私がコンテナに入れて、都市部のオークションにかける。落札されてお金が入ったらワクチンの発注をかける。そしてワクチンはスラムへ直接届けられる。スピーディでしょ?」
「すばらしいですね。ありがとうございます」
俺は言った。非常にありがたい。コズエ先生はずっとノリノリで楽しそうにしている。
「サツキさんはさあ、普段は私の商売敵でもあるのよ。でも今回は珍しく利害が一致してる。まあ、タクヤが絡んでるからでしょうけどね。サツキさんも相当あなたのことが気に入ってるみたい」
「そうですかね」
「そうよ。あの人、普段はこんなに優しく無いんだから。スラムで100年生きてるマフィアのボスなのよ? 裏では相当なことをやってる。詳しくは言えないけどね」
コズエ先生がニヤッと笑って言った。
「そうなんですか……」
そうなんですか、と言うしか無い。でもコズエ先生だって、裏で相当なことをやってそうなイメージだけどな。まあ、この人たちが俺に協力的なのが、相当運が良い事だというのは分かる。しかしその理由は謎だ。そういうスキルがあるわけじゃないのにな。まさか、ついに俺のモテ期が到来してるのか?
クララさんと相談した結果、発電所への出発は明日に延ばすことにした。時間は惜しいけれど、この先のミッションを考えると安全に行くべきだろう。一晩寝て体力を回復させたい。前回と同様に、キタムラ医院付属のアパートに俺は部屋を借りた。部屋には寝袋が置いてあるので、それで夕方まで一眠りしようと思った。
ハッとして目が覚めたら窓の外が真っ暗だった。一瞬、自分がどこにいるのか分からなくて、すごい不安な気持ちになった。目が覚めたらゴキブリに囲まれていた、という経験はトラウマ確定だよな。この先、何度も夢に見そうで嫌だなあ。落ち着かない気持ちのまま時計を見たら、午後8時になっていた。
金の節約を考えるならば、物資を食べるなりして、また朝まで眠ればいい。だけど俺は今、すごい心細い気持ちになっている。アパートの部屋に一人きりでいて、明日は命がけの仕事に出かけなければならない。寝る前に、もう少し心を落ち着かせたい。とはいえ、気軽に夜の散歩というわけにはいかない。昔みたいにコンビニに寄って、プリンとかポテチを買って、みたいなことが出来ればなあ。それで好きな音楽でも聞いていれば、かなり和みそうだ。だけどここには何もない。ちょっと悩んだけど、俺は思い切ってキタムラ医院に行くことにした。
「お待ちしておりました、タクヤさん」
と言って、クララさんが笑顔で出迎えてくれた。別に約束はしていなかったので、これは営業トークだ。だけど嬉しい。
なぜかカウンター席に案内された。背の高い椅子に座ると、クララさんがトマトジュースベースのカクテルみたいなものを作ってくれた。結構アルコールが入っていると思う。まあ、このさい気にせず飲んでしまうことにした。……けっこう美味いな。
コズエ先生が店の奥から現れて、俺の横に座った。身につけているスパンコールドレスの露出がヤバい。胸の辺りについ、視線が行きそうになってしまって焦る。
「私達バーが好きなのよ。だから時々、ごっこ遊びをするの。お客さんを巻き込んでね」
コズエ先生がエレガントに微笑んで言った。緊張する……けど、なんかいい雰囲気だ。妙に落ち着く。大人達が夜の店に行く気持ちが少しわかる気がする。明日、俺は命を落とすかもしれない。だからこそ、このまったりした感じが貴重に思えるのだろう。
出されるままにカクテルを3杯も飲んでしまった。本格的に酒を飲んだのは初めてだったけど、悪酔いはしてないし結構気分が良い。飲んでいる間にクララさんが焼きそばとか唐揚げとか、どんどん料理を作ってくれて腹がいっぱいになった。コズエ先生がかなり酔っ払って、やたらとボディータッチしてくるので緊張する。時計を見たらもう午後11時だ。そろそろ寝ないと。
「お会計をお願いします」
俺はクララさんに言った。
「えー、まだいいじゃない。明日はお昼ぐらいに出発すればいいでしょ」
コズエ先生が抱きついてくる。いろいろとやばい。
「お会計は9千円になります」
クララさんがにこやかに言った。高!
「9千円って……冗談? ではない?」
俺は呆然として訊いた。
「つけで払ってもいいですよ。タクヤさんは特別に出世払いでいいです」
「……はい」
「というボッタクリのお店もスラムには多いですから、気をつけてくださいね」
クララさんが嬉しそうにして言った。くそー、また騙された。一瞬本気にして背筋が寒くなってしまった。
「遊びに付き合ってくれたんだから、今日はタダでいいわよ。だけどタクヤは本当に騙されやすいわねー。頭がいいのに素直っていうか。それがまた魅力なんだけど」
コズエ先生がまた絡みついて来た。でも確かに俺は油断しすぎている。いくら仲良くなったと言っても、ここはベリーハードの世界なのだ。マジで気をつけないとな。
最大限優しくコズエ先生の腕を振りほどいて、俺はアパートの部屋に戻った。寝袋の中に入ったら酒の酔いが急に回って来た気がして、吸い込まれるように眠ってしまった。
腕時計のアラームで午前8時に目が覚めた。立ち上がっても特にふらついたりはしない。二日酔いというやつにならないか心配していたのだが、大丈夫だった。俺、結構酒が飲める体質なのかもしれないな。まあ、金が無いから今後も飲む機会なんて無いだろうけど。
身支度を整えてアパートの外に出たら、玄関の前にクララさんが直立して待機していた。ビックリした。出発時間の約束はしていなかったのだが。
「すみません、お待たせしました。何時からここにいたんですか?」
俺は訊いた。
「さきほどタクヤさんが起き上がった音が聞こえたので、ここに来ました。おはようございます」
クララさんが微笑んで言った。そうだった、この人はアンドロイドなんだった。そして今日の見た目はまさにアンドロイドというか……凄い格好だ。メイド服じゃなくて、ピッタリとした黒いタイツというかスーツ? みたいなものを身につけている。クララさんはスタイルがいいのでかっこいい、というかめちゃくちゃセクシー。しかしそれ以上に目を引くのが、片手に持っている巨大なハンマーだ。
「……それでゴキブリを叩き潰す感じですか」
迫力に威圧されながら俺は訊いた。
「はい。これがあれば囲まれても対処できます。ですので、どうかご安心ください」
そう言ってクララさんが、ハンマーを頭上でクルクルと回転させた。しかしこのハンマー、金属製だしスゲー重いだろう。
「よろしくお願いします!」
なにはともあれ心強い。
コズエ先生は予想通り二日酔いということで、俺達はそのまま発電所に向けて出発することにした。
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