第30話
キタムラ医院に付属するアパートで一泊した。そして次の日の早朝、俺とクララさんはスラムに向かって出発した。
来た道をそのまま戻る感じで、中央線の線路跡を歩いて新宿方面に向かう。俺の横でクララさんが、調理道具が満載の屋台を軽々と引いて運んでいる。地面はかなりデコボコしているのだけど、時々浮かすように持ち上げて、すいすい歩き続けている。見た目はあくまでも華奢なメイドさんなんだけどなー。確かにこんなに力が強ければ、ゴキブリの一匹や二匹どうってことないだろう。
「屋台を運んで頂いてありがとうございます。護衛までして頂いて心強いです」
俺はクララさんに言った。
「お気になさらずに。私も久々にスラムへ行くので楽しみです」
クララさんが微笑んで言った。
「普段はあまりスラムには行かないんですか? だとしたら食料とかはどうやって手に入れてるんですか? 医療器具とかも病院には必要ですよね」
俺は訊いた。
「病院には行商人が定期的に来てくれます。彼らに無線で発注もできます。あとはネット通販が多いですね。その場合、ケージが都市部から飛んできます」
「ケージって、ゴミを運搬しているやつですか?」
「あれほど大型ではないですが、モノとしては同じです。荷物を受け取って空になったケージに、こちらから売りたいものを入れる場合もあります。発電所で発掘された物は、都市部のオークションにかけることが多いので」
「そっか、そういうケージの使い方もあるんですね。一方で、貧しいスラムにはゴミしかこないってわけか……」
俺は苦笑して言った。
「人間は……生きるのが大変ですね。ここ100年間は文明の衰退も続いていて、このままだと人類の存続も危ういかもしれません。まあこれは、アンドロイドが心配することではないですけれど」
クララさんがしみじみとして言った。
「あの……女性に失礼かと思いますけど、クララさんっておいくつなんですか? もし差し支えなければ、参考までに……」
俺は恐る恐る訊いた。そんな俺を見て、クララさんは楽しそうに笑った。
「大丈夫、アンドロイドは年齢なんて気にしないです。私は地震が起きる10年前に製造されていますので、現在160歳ということになります」
「マジですか。スゲー。不老不死ですか」
「メンテナンスさえしていれば不老不死ですね。ただ、利用してくれる人間がいなくなれば、私の存在意義も無くなります。ですので、コズエ先生には感謝しています。この言い方が正しいかは分からないですが、愛してもいます」
あっさりとクララさんが言った。スゲーな。なんか壮大だ。
「ちなみにコズエ先生は何歳なんですか? かなりミステリアスな感じで分かりにくいですけど。見た目でいうと……30代前半ってところですかね」
俺はついでに訊いた。
「その質問に答えることは許可されていません。彼女に直接訊いてみたらどうですか?」
クララさんが突然、厳しい口調になって言った。
「あ! すみません!」
マズイ。
「なんてね、冗談ですよ。確かに彼女、年齢不詳なところがありますよね。実際の年齢は……やっぱり秘密かな?」
クララさんが可笑しそうにして言った。これ……アンドロイドジョークかよ。ぜんぜん笑えない。かなり怖かった。
新宿まであと2時間というところで、一旦休憩することにした。もちろんクララさんに休憩は必要ない。俺の為の休憩だ。移動のスピードは手加減されてるとは思うけど、クララさんのペースについていくのはかなり大変だった。だいぶ疲れたし腹も減った。俺はリュックから物資を取り出して少し食べる。……やっぱりこれ、めちゃくちゃ美味いなあ。美味いものを食べると元気も出てくる。ありがとう、紗季さん。
「あとひと息でスラムですね」
腹が落ち着いたところで俺は言った。
「そうですね……」
なぜかクララさんの表情が険しい。
「どうかしました?」
「今、スラムの情報をネットで見ているのですが、何らかの事故が起きているようです。情報が断片的なのですが……ゴキブリの襲撃を受けた恐れがあります」
「マジですか。被害は?」
不安で背筋がスッと寒くなった。
「被害は小さく無いようです。死傷者も出ています。タクヤさん、急いでスラムに向かいましょう」
クララさんが冷静に言った。
「はい! そうしましょう!」
急いで支度を整えて、俺たちは再び歩き出した。
嘘だろ……信じたくない。だけどスラムの守りなんて大したことがないし、ゴキブリに襲われる可能性なんていくらでもあったのだ。とにかく今はマイの事が心配だ。紗季さんがついていてくれるんだから、きっと大丈夫なはずだ。
スラムに戻る道中で、クララさんがさらに情報収集をしてくれた。襲撃があったのは今から8時間前。最大サイズで1メートル前後のゴキブリが、推定で100匹以上、深夜にスラムへ侵入した。ゴキブリたちは市場エリアを中心に、食べ物を食い散らかしながら進んだ。そして2時間ほどであらかたを食い尽くしてスラムを出ていった。真夜中だったので住人の避難が遅れた。1匹もゴキブリを殺せなかった一方で、人間側は大人が5人、子供が12人も殺された。けが人は100人以上いる模様。
マジかよ……。マイはあの見た目だから、子供の判定になるだろうな。頼む、無事でいてくれ。
「ここ数カ月はゴキブリが大人しかったので、新宿スラム側も油断していたみたいです。ただ、このような事件は定期的に各地で起きています」
歩きながらクララさんが言った。
「スラムは……普段から守りを固めることはできないと思います。資金が無くて、自治会もまともに機能してないですし」
俺は言った。みんな、自分一人が生きるのに精一杯なのだ。金を持っている人も少しはいるみたいだけど、ボランティアとか公共の福祉みたいな話はほとんど聞いたことがない。活動しているのは唯一、教会だけだ。
急ぎ足で進んでようやくスラムが見えてきた。もともとがボロい街だから、襲撃を受けた形跡は遠目からは確認できなかった。だけど近づくにつれ、無残な光景をたくさん見ることになった。
入り口のゲートがめちゃくちゃになっていて、検問もやっていない。街の境界を囲っていた金網が、至るところでなぎ倒されている。スラムの内部に入ると、街の大通りから、市場へ向かう方向へ新しく幅の広い道が出来ていた。つまりこれは、ゴキブリが移動した為に出来た道だ。やつらがボロい家とかをなぎ倒して、市場の方面へ直進したのだろう。急いでいるので、俺とクララさんもその道を通って市場方面へ向かう。
現場はさらに酷かった。まだほとんど片付けも済んでいない。人間の血の跡が地面にたくさん残っている。散らかされた食べ物の破片が、壊れた屋台の壁や天井に張り付いている。襲撃の激しさが想像できた。
屋台の跡地に呆然と座っている人がたくさんいる。怪我をしている人も多い。俺はその顔を一つづつ確認しながら、教会の方へ向って歩く。とりあえず、怪我人の中に俺が知っている顔は無かった。ただし死んでしまった人は……確認しようがないよな。とにかく早く教会へ行かなければならない。
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