第31話
教会には病院が併設されている。なので、ものすごい人だかりになっていた。入り口付近から、救護用のテントがずらっと建物の方まで並んでいる。そもそもスラムには医者や看護婦が全然足りてない。だから今は凄まじい人手不足になっているだろう。紗季さんとマイも忙しく働いているはずだ。本人たちが無事でさえあれば。
荷物を置く必要もあるし、とりあえず俺は紗季さんの部屋へ向かおうとした。
「タクヤ君! こっちこっち!」
背後から呼び止められて、振り向いたら紗季さんが笑顔でこちらに手を振っていた。俺は駆け寄る。
「よかった、紗季さん。ご無事で」俺は紗季さんの顔を見つめて言った。「マイは? 無事ですか?」
「無事よ無事。今、小児病棟で子供達の世話をしてるの。襲撃の時は私の部屋で一緒に寝てたから、怪我もしてない」
紗季さんが俺を安心させるように、頷きながら言った。
「そうですか……」
死ぬほど安心した。情けないことに俺は気が抜けて、その場にしゃがみこんでしまった。しかし良かった。
「マイさんね、小さい子にすごい人気なの。マイさんと一緒にいるとみんな安心するみたい。だからとても助かってる」
「そうですか……」
そうですか、しか言えねー。だけどハキハキしゃべる紗季さんの声を聞いていたら、俺はだんだん正気を取り戻してきた。みんな頑張っているんだから、俺も何かしないと。
「紗季さん、俺に何かできることは無いですか?」
「あるある。やって欲しいことはいっぱいあるよ。でもまずはマイさんに会ってきたら? マイさんも心配してると思うし」
「いや……無事だって分かったので、会うのはあとにします。大丈夫です」
俺は言った。いま会っちゃったら離れるのがまた辛くなりそうだ。
「あの、ところでそちらの方はどなた?」
紗季さんがクララさんを見て、興味深そうな顔で訊いた。うっかりしていた。クララさんは黙って、俺にずっとついてきてくれていたのだ。屋台を引きながら。
俺は、お二人それぞれの紹介を簡単にした。クララさんがアンドロイドだと聞いて、紗季さんが半信半疑みたいな顔になっている。そりゃそうだよね。
しかしこうやって二人が並ぶと壮観だ。かたやスタイル抜群で清楚なシスター。超美形。もう一人は細身で可憐な金髪メイドさん。しかもアンドロイド。これ、アニメの世界だろ。
「非常時ですから、
クララさんが微笑んで言った。
「それは助かります! ありがとうございます」
紗季さんが心底嬉しそうにして頭を下げた。
「じゃあ、さっそくだけどタクヤ君。物資の確保を手伝ってほしいの。今、食料と医薬品が全く足りてなくて。シスター達が寄付金を集め終わったら、それを持って渋谷の集落へ買い出しに行ってほしい。ちょっと危険だけどお願いできる?」
「わかりました」
俺は頷いて言った。
「食料が集まり次第、食事の配給を始める予定なの。できれば一日で300人前くらいは作りたいんだけど。でもたぶん、資金がだいぶ足りないかな……」
紗季さんが困った顔で言った。
「配給にはどれくらいの資金が必要ですか?」
俺は紗季さんに訊いた。
「うん……何を作るかにもよるけど。例えば300人分の薄いチキンスープを作るなら、一人あたりの予算が10円で、一日3千円かかる。シスター達は、事態が落ち着くまで2週間は配給を続けたいって言ってるの。単純計算で3千円掛ける14日の4万2千円。他に燃料費や食器も必要になるよね」
紗季さんが小さくため息をついた。
「俺、屋台を手に入れたのでそれを使ってください。それと、発電所で稼いだ金もあります。そこから5万円出します。とりあえずそれで食材を買いましょう。もちろん、寄付が集まればそれも使いたいですけど」
俺は言った。紗季さんが神妙な顔つきになって俺の顔を見つめている。そのまま10秒くらい、じっと考えるようにしていた。
「……ありがとう。屋台は是非使わせてもらいたい。でも5万円は貰えないよ。私達の前の世界とは、お金の価値が全然違うんだから。私達、生きるか死ぬかの世界にいるんだよ?」
紗季さんが凄く切ない顔で言った。
「……俺、前の世界だと募金もほとんどしたこと無かったんです。けどなんか今は、生きるか死ぬかだからこそ、助け合わないとヤバイと言うか。ここは金を出すべきだという気がしました。そもそも俺、紗季さんやマイが助けてくれなかったらヤバいことになってたはずだし。だから出します、5万円。なんか偉そうな言い方してすみません……」
俺は言った。
「ありがとう……」
紗季さんが泣きそうな声で言って、俺をギュッと抱きしめてくれた。これだけで5万の価値があるよな、と一瞬思ってしまった俺のバカ!
「あの……それで迷惑ついでだけど、配給の指揮もタクヤ君がとってくれないかな? もうね、人手が圧倒的に足りないの」
困った顔で笑って紗季さんが言った。
「わかりました。俺、高校の文化祭で100人前のカレーを作ったことがあります。なのでお役に立てると思います」
「カレーかぁ。ずいぶん食べてないな。なつかしい……」
紗季さんが夢見るように言った。
「そうだ、配給でもカレー作ろうかな。カレー、作りてぇなぁ」
料理部の先輩達と、慎吾と俺と。文化祭で張り切ってカレーライスを作った。香辛料たっぷりの本格インドカレーで、それが一皿200円だったから飛ぶように売れた。二日間で300人前ぐらい作って、めちゃくちゃ大変だったけど凄く楽しかった。なんて平和で、幸せな時代に俺は生きていたんだろうと思う。
「カレーは素敵だけど、原価が高くならないかな。まず、お米とカレー粉が必要でしょ? 肉と野菜はあまり買えないし、ほとんど具無しカレーになるかも」
紗季さんが苦笑して言った。確かにそうだった。カレー粉なんてどこで手に入るのかもわからない。一皿10円の予算だと米も買えないよな。
「ネット経由で材料を購入するのはいかがでしょう」
それまでずっと黙っていたクララさんが、突然口を開いた。
「やや特殊な購入先になるのですが、飼料用のコメなら安く入手できます。カレー粉は今、インド系コミュニティに問い合わせていますが……ちょっと高いですね。ガラムマサラもやや高い。オールスパイス、クミンなら廃棄予定のものがあります。賞味期限切れですが衛生的な問題は無いでしょう。タクヤさん、どうします?」
「あ、オールスパイス欲しいなあ。それだけ使って家でカレー作ったけど、美味かった。あと、もしかしたら唐辛子かチリペッパーが手に入りませんか?」
厚かましくも俺は訊いた。クララさん、スゲーぞ。
「チリペッパーは……廃棄寸前な物を今、50キロほど無料で確保しました。もちろん送料はかかりますが。野菜と肉も廃棄予定のもので、送料が安くなる場合に検討します。今買えるのは、たまねぎと……うーん、古いたまねぎが30キロだけですね……」
クララさんが心底残念そうにして言った。俺と紗季さんはつい笑ってしまった。
「じゃあ、あとは油と調味料かな」
俺は調子に乗って言った。
「塩と醤油は確保済みです。油はあまり質を下げると危険ですので、バイオ燃料用のパーム油を使いましょう。これなら格安ですし、安全性は私がチェックします」
「ワーオ。今はこれで十分じゃないかな。全部でいくらになります?」
俺は訊いた。
「送料を含めて5万円弱というところです。配給の2週間分と考えると、もう少し量が欲しいところですが」
「凄い……。そんなに安く食材が手に入るものなんですね。あの、これはクララさんだから出来ることなんですよね? 例えば、私が同じように買い付けることは出来ないんですよね?」
紗季さんがまるで、お願いするようにして訊いた。
「そうですね……。私は今、都市部のマーケットと衛星通信をしていまして、その通信コストが通常なら莫大になるでしょう。それと、キタムラ医院は都市部の様々なコミュニティとコネがありまして、今回はそれを最大限活用して買い物をしています。一般の方が廃棄予定の物資を手に入れるのは、かなり難しいと思われます」
クララさんが申し訳なさそうにして言った。
「そうですよね……。一瞬、夢を見てしまいました」
紗季さんが残念そうにして言った。
「いや、俺も同じこと考えてましたよ。廃棄物を仕入れて商売したら儲かるな、とか。でもそれができるなら、とっくにやっている人がいるはずですよね」
俺は苦笑して言った。
スラムで飢えている人がいる一方で、都会では食べ物が余って廃棄されている。そういうのはいつの時代になっても同じようだ。食料も商売の道具だから、廃棄されるのは仕方がない、というのはまあ分かる。例えば教会の配給だって、やりすぎると屋台の店主達の生活を脅かすことになるだろう。だけどなあ……金が無くて飢えている状態っていうのは、本当に辛いんだよな。これは経験しないと絶対に分からないことだ。
クララさんが注文してくれた品物が早速、続々と教会に届き始めた。小型のカーゴが高速で空を飛んできて、教会の入り口上空でピタリと止まる。そしてゆっくりと降下して、地上でクララさんが荷物を受け取る。その一連の流れを、避難している人たちが楽しそうに眺めている。物資が届けられているということ自体が、みんなの励みになっていると思う。
米が大量に届いた時に、カーゴの周囲で大歓声があがった。その声に誘われた感じで、病院から子ども達が出てきた。その中にマイがいた。すぐに駆け寄りたかったけど、子どもたちからマイを取り上げる感じになりそうで、ちょっとためらってしまった。なので俺は遠くから、じっとその風景を眺めていた。
しばらくして、マイが俺に気付いてくれて、一瞬驚いた顔をした。すぐに駆け寄ってきて俺を抱きしめてくれた。俺も抱きしめ返す。そのまま30秒ほどお互い身動きせず。
「……駄目だ。このままずっと一緒にいたいけど、何も出来なくなっちゃいそう。お互い忙しいよね」
俺はマイの顔を覗き込んで言った。マイは泣きはらして目が真っ赤になっている。
「うん……そうだね。またあとでね」
そう言って、マイが俺の体から離れた。
泣き顔のマイを、周囲の子ども達がなんとなく励まそうとしている。それを見たマイが笑顔になって、子ども達に明るく声をかけた。それから俺に手を振って病棟へ戻っていった。……マイも頑張ってる。俺も自分の仕事をしないとな。
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