第28話

 国分寺の町を出て中央線の線路跡へ戻った。鉄の線路はすべて無くなっているけど、石の枕木は綺麗に並んで残っている。俺はそれを踏みしめて歩いていく。日差しが強くなってきた。汗だくで4時間歩く。そしてついに俺は八王子駅の跡地に到着した。放射線計の値は20前後まで上昇している。

 ここから発電所までは大した距離は無い。地図を片手に進むと、すぐに発電所を囲む真っ白な壁が見えてきた。かなり高くて威圧感がある。上を見上げながら壁沿いに歩いて、発電所の入り口に到着した。放射線計の値はだいたい30前後を行ったり来たりしている。だいぶ上がってきたな……。

 入り口のそばに検問所みたいなブースがあるけれど、辺りに人の気配は全く無い。門も開け放されているので俺はそのまま敷地内に入った。視線の前方、遠くの方にぽつんと、地味で小さな建物が見える。あそこが確か、地下への入り口だ。敷地の地下が巨大施設になっているということだった。

 建物の前まで来た。自動ドアが開けっ放しになっていて簡単に中に入れた。放射線計の値はさらに上がって、現在40。まあ、まともな人ならここから先には進まないだろう。地下に潜って素早く金目の物を探し出すとして、帰り道もあるわけだ。その間も体は汚染され続けて、そうなれば精神的にも追い詰められるだろう。危険過ぎる。……でも俺は大丈夫なはずだ。行くぞ。


 地図を持っているので、事前に建物の構造はある程度把握している。建物の奥にあるエレベーターを目指して、俺は歩き続ける。壁にヒビが入っているけど、建物の中は比較的きれいだ。100年以上放置されているとは思えない。もしかしたら自動で掃除とかされてるのかも。床がツルツルしていて、歩くたびに靴の音がコツコツと天井に響いている。俺がここにいることが丸わかりだ。音に反応してゴキブリが出ないか心配だな。

 一応俺は、シズエさんに教えられて、対ゴキブリ用の武器を持ってきている。厳密に言うと武器ではなくて工具だが。ハンドガンのような形状をしていて、取っ手を握ると釘が凄い勢いで飛び出す。似たような物が昔から建築現場で使われているけれど、この世界ではこれがなかなか進化していて、バッテリーと硬化プラスチックの釘がほぼ無限に使える。ただし、対ゴキブリの場合、遠距離ではまったく効果が無い。ゴキブリの体表にぴったりと道具を押し付けて、壁に釘を打ち込む要領で内部にダメージを与える。えげつない感じだけどかなりの効果があるそうだ。しかしそれはつまり、超接近戦になるということだよな……。嫌過ぎる。

 建物の奥にエレベーターを見つけた。下へ行くボタンを押してみたら、エレベーターの扉があっさりと開いた。中にゴキブリは……いない。俺はエレベーターの中に入ってみる。結構広い。10人とか余裕で入れそうなサイズだ。自動でドアが閉まってちょっと焦ったけど、ボタンを押して無いのでエレベーターはまだ動かない。行き先のボタンは……一番下が地下8階か。最下層は地下10階だから、このエレベーターでは直接は行けないみたいだ。

 さて、どうしよう。放射線の値は……50。ここは思い切って、人が入っていないはずの地下6階まで行ってみるかな。即死レベルの放射線にさらされれば、スキルのこともハッキリするだろう。俺は覚悟を決めて、エレベーターの「B6」のボタンを押した。


 エレベーターはあっという間に地下6階についた。「ポン」と軽い音がしてエレベーターのドアが開く。俺は顔だけ外に出してあたりを見回す。ゴキブリは……いない。エレベーターを降りた。背後で音もなくエレベーターのドアが閉まった。ドキドキする。

 放射線の値は……150。普通の人間なら即死するレベルだ。そして俺の体には今の所、特別な変化は無い。スキルの効果が発揮されていると思っていいだろう。とりあえず良かった。だいぶホッとした。

 エレベーターの正面に地下6階フロアの案内図がある。1階に比べるとだいぶ広い。大と中の部屋が20個以上と、広めの会議室が4つ。中心部に吹き抜けがあって、あとはカフェテリアと……すげー、プールと公園もあるのか。しかしこれ、プールか公園に巨大ゴキブリとかいそうだよな。根拠は無いけどそう思ったよ。アクションゲームだったらそこで中ボス戦だろうな。

 とっとと金目のものを頂いて早めに帰りたい。ということで俺は、エレベーターホールのすぐ横にある部屋に入ってみることにした。入り口にカードキーをかざすと、自動ドアがスッと横に開いた。このカードキーはクララさんに3000円で売ってもらった。高かったけど必要経費だ。というか、カードキーの存在を知らずにここに来てたら、かなり絶望しただろう。教えてくれたクララさんにマジで感謝だ。

 入った部屋はかなり広くて、バスケのコート2面ぐらいは余裕である。奥の方までズラッと机と椅子が並んでいる。特に荒らされた形跡は無い。何の音もしない。床に腹ばいになって机の下も覗いてみる……何もいない。ひとまず安心だな。

 机の上に一定間隔で、薄いタブレットみたいな物が置いてある。このタブレット、結構価値があるかもな。……もうこれでいいんじゃね? 薄くて軽いからリュックにたくさん入るだろうし。よし、これを出来るだけ頂いて帰ろう。

 10分もしないうちに、50枚ぐらいのタブレットを集めてリュックがいっぱいになった。タブレットはまだたくさん残っている。もしこれに価値があるなら、またここに取りに来るのもいいだろう。よし、戻ろう。


 いっぱいになったリュックを背負って、俺は部屋の外に出ようとした。自動ドアが開いた瞬間、目の前に何かの気配を感じた。黒いカタマリが視線を塞いでいて、それは巨大なゴキブリだった。俺の方を見ながら触覚をゆらゆらさせている。俺はそっと後ずさって部屋に戻った。目の前で自動ドアがスッと閉まった。

 マジか。ついに出た。ドアが半透明なので、部屋の中からもゴキブリの姿がぼんやりと見える。巨大な姿が微動だにしない。ドアのサイズよりデカイから、部屋の中には入ってこられないってことか。

 すげー迫力。顔の幅だけで1メートルはある。ムチャクチャ心臓がドキドキしている。こんなの、釘打ちマシーンじゃどうしようもない。戦ってどうにかなる相手じゃない。

 今俺がいる部屋には、廊下へ出るためのドアが6箇所ある。エレベーターに一番近いドアの前に今、巨大ゴキブリが陣取っている。それで残りのドアをチェックしたら……マジか。すべてのドアにゴキブリの影が見えるんですけど。どれもが2、3メートル以上あるだろう。いつの間に来たんだ。こんなにデカイのに、物音一つしなかった。一気に襲われるよりは良かっただろうけど、このままでは部屋の外に出られない。

 アクセスキーを使って、俺は何度かドアを開け閉めして、ゴキブリの反応を確かめてみた。動きは無いけどこちらを見ている感じはある。時間はあるので、俺は様子見ようすみで少し待ってみることにした。


 2時間経過。ゴキブリたちは微動だにしない。触覚がゆらゆらしてるから生きているのは間違いがない。このまま何時間待っても変化がない、ということが普通にありそうだ。……しょうがない、ここで物資を使ってみるか。

 背中からリュックをおろしてジッパーを開けた。大きなビニール袋の中に、小分けにした物資をさらにビニールに包んで入れてある。匂いが漏れてゴキブリを引き寄せたら嫌なので、結構厳重にパッケージしてきたのだ。

 物資を外気に晒した瞬間、ドアの外に見えるゴキブリの触覚がピクッと動いた。マジかよ反応早いな。これは効果がありそうだ。俺も腹が減っているので物資を一口かじって食べる。……やっぱりすげー美味いなあ。匂いはほとんど無いんだけど、ゴキブリ達は感じたんだろうな。ということは俺の存在も、体臭とかで最初からバレバレだったのかも。ヤバいな。

 エレベーターから一番遠いドアを一瞬開けた。そして廊下の奥の方へめがけて、こぶし大に丸めた物資のかたまりを思いっきり投げてみた。その瞬間、廊下にいた全部のゴキブリが物資めがけてザワザワと動き出した。サイズのせいかそんなにスピードは無い。グワングワンと、鉄の塊がぶつかり合うような重低音が響いて来る。ゴキブリ同士がぶつかり合っている音だ。すげー迫力。巻き込まれたらすぐに死ねそう。俺は物資の塊をもう一つ、ゴキブリたちが群がっている方へ投げつけた。音が激しくなった。大乱闘だ。逃げるなら今のうちだ。

 エレベーターに一番近い位置のドアを開けて、外を見てみる。ゴキブリたちはまだ、廊下の奥の方に固まっている。

 俺は廊下に飛び出て、エレベーターの前まで走った。エレベーターのドアの前で、上へ向かうボタンを連打する。ゴキブリはまだ来ない。ドアが開いたのと同時に俺はエレベーターに飛び乗った。閉まるボタンを連打する。早く閉まってくれ! 心臓のドキドキが強すぎて指先まで震えが伝わってくる。エレベーターのドアがゆっくりと閉じた。一階のボタンを連打。エレベーターが上に向かって動き出した。そしてエレベーターは地下6階から……3、2、1と上昇して止まった。

 「ポン」と音がして、エレベーターのドアが開く。ドアの外にゴキブリは……大丈夫、いない。俺はドアの外にゆっくりと降り立った。そのまま地面にしゃがみ込む。はぁ、なんとか逃げ切れたな。たいして運動はしてないのに、すげー疲労感だ。汗で全身がびっしょりと濡れている。

 こんな所に長居は無用だ。俺は大きく深呼吸したあと、来た道を戻って歩き始めた。発電所の建物を出て、そのまま入り口を通過して八王子駅まで小走りで進む。早く戻りたいのはもちろんだけど、背後からゴキブリが迫っているような感じがして、気持ちがムチャクチャ焦っている。休憩をするくらいなら少しでも先に進みたい。ぶっ通しで3時間、早足で歩いて、ついに高円寺の街が見えて来た。時計を見たらまだ午後4時だ。焦りすぎた……。それにしても、ずっと不安と緊張がやばかった。キタムラ医院のドアを開けてクララさんの顔を見たら、一気に全身の力が抜けた。死ぬほど疲れた。

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