第26話

 前の世界で俺は、東京の東にある台東区たいとうくに住んでいた。上野と鶯谷うぐいすだにの中間あたりに自宅があって、生活圏も東東京が中心だった。なので西東京の地理には詳しくない。ただ、例え土地勘があったとしても、この荒廃した世界では、たいして役には立たなかったかもしれない。

 JR中央線の線路沿いに歩くのが一番効率が良い、とシズエさんが言っていた。もちろんこの世界で電車は走っていないのだが、線路の跡地が西の方面へ向かう為のルートになっている。一般の道路も一応使えるけれど、その場合は崩れかけた高層ビルとか、マンションのそばを歩かなければならない。線路沿いは周囲がひらけているので比較的安全だ。ただしゴキブリはどこにでも出没しゅつぼつするので、警戒は緩められない。


 トボトボと線路の道を歩いていく。あたりは草ぼうぼうだけれど、足元に砂利が敷き詰められているので結構歩きやすい。見通しも効く。ゴキブリ対策の柑橘類の木が所々ところどころ植えられていて、俺は一時間置きぐらいにその木影で休憩をした。今のところゴキブリに出くわしていない。運がいいだけかもしれない。不気味だ。

 それにしても暑い。俺はこの世界に来てから、季節や日付を気にしたことはほとんど無かった。その余裕も無かった。最近紗季さんに教えてもらって、ようやく今が秋の初めということを知った。ただし、日中の気温は真夏みたいな感じだ。俺が生きていた時代の日本と比べて、だいぶ気候が変わっている。突然のスコールもある。湿度はそれほど高くないけど、とにかくずっと暑い。ごみ拾いで慣れてはいるものの、下手をするとすぐに熱射病になりそうだ。

 休憩を挟みつつ8時間歩いて、午後3時過ぎに国分寺駅に到着した。シズエさんに放射能測定装置を譲ってもらっていて、俺はその値を確認した。ずっとゼロだった値が、いつの間にか10付近まで上がっている。この値が50を超える場所に入ると除染が追いつかない。100以上は即死レベル。そう教えられた。だけど俺にはスキルがあるから心配はいらないはずだ。たぶん。

 地図に従って国分寺の街を歩く。商店街や民家が、恐らく昔のまま残っている。人が住んでいないので全体的に荒んだ雰囲気になっているけど、なんとなく懐かしい感じがする。

 商店街の中程に大きな立て看板があった。ペンキで雑に「ナカノ商店コチラ」とあって、その下に大きく矢印が書かれている。俺の目的地はこの「ナカノ商店」の裏にある「キタムラ医院」という病院だ。「ナカノ商店」はこの付近では一番メジャーな店で、買取価格が一番良い。初めて汚染地域に来た人間は、だいたいここを利用する。ただし除染装置は旧式だし、体の精密検査を受けることができない。その点、「キタムラ医院」は店主が医者なので、体のメンテナンスに関して安心できる。買取価格はそこそこだけど、除染装置は最新式。体の精密検査の料金は買い取り価格に含まれている。

「本気で稼ぐつもりなら、この病院で世話になったほうがいいよ」

 と言ってシズエさんが推薦してくれた店だ。ただ、店主の医者が変人だから気をつけて、とも言われた。どういう変人なのかは教えてくれなかった。恐ろしい。しかし他に選択肢が無さそうだ。

 看板が至るところにあったので、道に迷うことなく「ナカノ商店」にたどり着いた。ナカノ商店は俺の時代で言う、大きめのドラッグストアみたいな感じの見た目をしている。確かに初心者が入りやすそうな雰囲気がある。店の前に大きな掲示板があって、買取価格とか周辺の地図が書いてある。この店もチェックしたいところだけど今は時間が惜しい。俺はナカノ商店の脇にある細い道に入って、路地の奥へ向かう。小さな看板で「キタムラ医院」と書いてある建物の前に俺はたどり着いた。


 「キタムラ医院」は普通の民家のような感じだ。子供の頃、風邪を引いたら行っていたような、住宅地の中にある小さな病院を思い出させる。そこには優しいお年寄りのお医者さんがいて、診療のたびに飴玉とかをくれたりしたもんだ。懐かしさに浸りながら、俺はキタムラ医院の小さな門を通り抜けた。そして庭の花とかをぼんやりと眺めつつ、玄関のチャイムを押した。

「おかえりなさいませ」

 金髪の白人。綺麗なメイドさんが目の前に現れた。一瞬、間違った店に来てしまったのかと俺は思った。メイドさんの背後にアダルトな空間が広がっている。ムーディな照明とゆったりとしたソファー。ミラーボールも見える。メイド喫茶というより……俺は行ったことないけど、キャバクラとか、そういう夜の店に雰囲気が近いのではなかろうか。

「当店のご利用は初めてでいらっしゃいますか?」

 メイドさんが素敵な笑顔で言った。

「初めてです。あの、シズエさんという方の紹介で新宿のスラムからきました。タクヤと申します」

「タクヤさま。こちらへどうぞ」

 メイドさんがソファーのある一角に俺を案内してくれた。

「こちらにご記入をお願い致します。後ほど、院長がご面会致します」

 メイドさんが俺にタブレットを手渡して、ニッコリと微笑んで店の奥へ消えた。俺はソファーに座ってタブレットの画面を見つめる。名前と年齢を入力。居住地は……新宿スラムでいいか。他に質問の項目がある。


Q1 汚染地域は初めてですか?

はい

Q2

体はご健康ですか? 持病があればご記載ください

はい 持病:特になし

Q3

汚染地域に来た目的は? 差し支えない範囲でお教え下さい

店の開店資金を稼ぐため

Q4

ご趣味は?

料理

Q5

性欲はありますか? 強いほうですか?

はい ふつうです

Q6

年上が好みですか? それとも年下? 特にこだわりはない?

こだわりはありません

Q7お酒は飲めますか?

未成年です


以上。


 なんか変な項目もあったね。不安だ。俺が入力を終えるのと同時に、メイドさんがコップ一杯の水を持ってきてくれた。喉が渇いていたので一気に飲み干す。冷たくてうまい。

「お待たせしました」

 メイドさんと入れ替わりで、スゲー色っぽい人が現れた。ラテン系の濃い美人。30代前半くらいかな。スタイルがいい、というか体の凹凸が激しい。スゲーな。

「あの、初めまして……」

 俺は言った。なぜか緊張して声が少し震えてしまった。先生が目を細めて笑った。白衣でメガネ。いかにも男が喜びそうな女医さんって感じだけど、目玉が赤い。怖い。

「わたしのことはコズエ先生って呼んでね。よろしくタクヤさん。若いわねぇ。男前だし。サービスするわよ?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 コズエ先生が俺の目の前に座った。タイトスカートなのに足を組んだから目のやり場に困る。先生が机の上に置かれたタブレットに手を伸ばした。

「あら、シズエさんの紹介なのね。彼女元気?」

「いえ、実はかなり危ないです。今は病院にいます」

「そっか……。まあね、あの人かなり無茶してたから。腕が良かったのにもったいない」

「そうなんですか……」

「好きな男に貢いでて、でも楽しそうだったから、まあいいわよね。人生それぞれ。私も人のこと言えないし」

「そうなんですか?」

「そう。私、もとは都市部の大学病院で働いてたのよ。でも上司の奥さんと不倫しちゃって、居場所が無くなってここに逃げてきたわけ。それで今はこんな商売をしてるの。だから腕前は信用してちょうだい。ただしお金はちゃんと払ってもらうけど」

 先生が微笑んで言った。上司の奥さんと不倫……。よく分かんないけどスゲーな。

「あなたスラム出身じゃないわよね? 都市部の人間ともちょっと違うような……ちょっと不思議ねぇ」

 コズエ先生が鋭い事を言う。

「いろいろ事情がありまして。自分でもなんでここにいるのか、上手く説明ができないんです」

 ちょっと投げやりな感じで言ってしまった。なんとなく、下手な嘘をつくのが面倒くさくなった。

「……気に入ったわ。私の患者にしてあげる。初診料もタダにしておくし。嬉しい? タクヤ君」

 コズエ先生が怪しい笑顔で言った。

「ありがとうございます……」

 なんだろうこの感じ。思いっきり主導権を握られているけど悪い気はしない。やっぱり美人だからかな。


 コズエ先生が買い取りのシステムと、除染や健康診断の手続きについて説明をしてくれた。一応、シズエさんに概要を聞いていたのですぐに理解できた。

「私に任せておけば、まあすぐに死ぬことにはならないわよ。『ナカノ商店』に行ってたら、一年も持たないと思うけど」

 コズエ先生が俺の顔を見てにこやかに言った。赤い目で見つめられてゾッとする。だけど一応は信用できそうな気がする。根拠は無いんだけど。

 キタムラ医院の近くに小さなアパートがあって、そこが簡易宿泊所になっている。俺はその一室を借りた。もちろん有料で一泊1000円もする。糞高い。しかしこの国分寺は、汚染地域の玄関口で巨大ゴキブリが出る可能性も高い。だから路上でキャンプするわけにはいかない。それにしても準備の段階でお金がどんどん減っていくのは不安だ。頑張って稼がなければ。

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