第24話

 シズエさんと何度か話をして、汚染地域の情報をさらに集めた。それなりにお金をかけて装備も整えた。これでいつでも出発できる。タケルとゴミヤさんには、汚染地域に行くことは話さないことにした。心配をかけてしまうのが目に見えている。あとは良い機会なので、俺は紗季さんにマイを紹介することにした。俺がスラムを離れている間、マイも相談できる相手がいれば安心だろう。


 ごみ拾いを午前中で切り上げて、マイを連れて紗季さんの元へ向かった。俺たちが教会に着いたとき、紗季さんはちょうど、子どもたちに勉強を教えているところだった。

 授業が終わるまで、俺とマイは教室の後ろの席に座って見学をさせてもらった。シスターの服装をした紗季さんが、ムチャクチャ神々しい。こんな綺麗な先生に教えてもらえるなら、やる気が出ないほうがおかしい。今は算数の九九くくの授業が行われているのだが、紗季さんは市場で買い物をする時をシミュレーションしながら教えている。この世界では、子どもたちもお金に非常にシビアだ。小さい子から高校生ぐらいと思われる生徒まで、みんな必死に九九を覚えようとしている。

「それじゃあ7、8、9の段を続けて暗唱してもらおうかな。いま、私の友達が見学に来ているので、彼にやってもらいます。じゃあタクヤ君、お願いします」

 急に指名された。30人ぐらいの子供たちの目が、一斉に俺に集中する。すげー緊張する。と言っても九九だからな、たぶん大丈夫。

「えー、しちいちはシチ、しちにジュウヨン……」

 よどみ無く俺は、9の段まで暗唱を終えた。一瞬があったあと、教室のみんなが盛大に拍手してくれた。けっこう恥ずかしい。

「すごい……。タクヤはやっぱり頭がいいね」

 マイが尊敬の眼差しを俺に向ける。悪い気はしない。ただし、九九を言っただけだが。


 授業が終わった後、俺とマイは紗季さんの部屋に招かれた。きれいに整った部屋を見渡して、マイが目を丸くしている。さらに紅茶とビスケットも出してもらって、マイが感動にふるえている。


「彼女のマイです」

 俺はマイを紹介した。マイが恥ずかしそうにして頭を下げた。

「工藤紗季です。よろしくね、マイさん。私も嬉しい、二人が付き合うことになって」

 紗季さんが笑顔で言った。マイが真っ赤になっている。

「俺、明日から汚染地域に行ってこようと思ってるんです。なので、この機会に、マイを紗季さんに紹介しておきたいと思って」

 俺は言った。

「そっか、ついに行くんだね。タクヤ君は大丈夫だと思うけど、マイさんは心配じゃない? 大丈夫?」

 紗季さんがマイの顔を見て言った。

「ハイ。タクヤ……くんが詳しく話してくれたので大丈夫です。もちろん心配は心配ですけど」

 か細い声でマイが言った。うは。マイにくん付けで呼ばれるのも悪くないな。ドキドキした。

「詳しくって……どのくらい詳しく話したの? タクヤ君」

 紗季さんが俺の顔を見て言った。

「あっ、そうだ。そのことも話すんだった。あの、マイには全部話しました。転生のことと、スキルの話と。それがあるから、放射能はおそらく大丈夫だろうってことで」

「本当に? それでマイさんは素直に信じたの?」

「ハイ。ちょっと、びっくりはしましたけど……」

 マイの言葉を聞いて、紗季さんはかなり驚いているようだ。だけどすぐに笑顔を取り戻して言った。

「マイさん、ありがとう。同じ転生組として私も嬉しい。というか、私も転生した人間だという事を、タクヤ君マイさんに話した?」

「いえ、それは話してないです。紗季さんが信頼できる人だってことしか言っていません。なんというか、プライバシーの問題かなと思って」

 俺は少し気まずくなって言った。特に紗季さんのスキルは……勝手に説明するわけにいかないよな。

「そっか……。じゃあ、私の話も聞いてもらおうかな。マイさんに知ってもらえたら嬉しいし、これからの話もしやすくなると思うから」

 紗季さんが微笑んで言った。マジですか。

 紗季さんがマイに転生の話をした。マイはうなずきながら真剣に聞いている。

「それで私は2つスキルがあるんだけど、その説明をするね」

 そう言って紗季さんが大きく深呼吸した。

「1つ目のスキルは、女性の好感度が上がるというもの。そのおかげで、人とのコミュニケーションが円滑に進んでいます。教会のシスターに、病院の看護師さんでしょ。あとは女性の患者さんと、学校に来ている女の子とか。基本的にみんな笑顔で私を迎えてくれる。あからさまに贔屓してくれることも多い。どこまでがスキルの効果なのか、正確には分からないんだけど」

 困ったような顔をして紗季さんが言った。

「そうだ、マイはどう? 紗季さんに何か感じる?」

 俺は訊いた。

「うーん……。紗季さんはすごく綺麗な人だし、最初から素敵な感じがしました。でもそれがスキルのせいなのかはわかりません。わたし、紗季さんぐらい綺麗な人を見たのは、初めてかもしれないし……」

 マイが少し顔を赤くして言った。うーん、これ、スキルの効果出てるのか?

「ありがとう、マイさん。まあ……私達はいま友好的な出会い方をしたから、スキルが生きているかは分かりにくいよね。このスキルの効果が最大限発揮されるのは、たぶん初対面で、まったく知らない人に出会った時かな。暴れてる患者さんとか、人見知りの生徒が、急に心を開いてくれることがあるの。そんな時はちょっとね、有名な映画スターとかになった気分」

 ちょっとはにかんで紗季さんが言った。

「では、私の2つ目のスキルなんだけど……。マイさん、ちょっと気持ち悪く感じるかも。ごめんね」

 そう言われて、マイは不思議そうな顔をしている。紗季さんが覚悟を決めたように言葉を続けた。

「排泄物を摂取できる。それが私の2つ目のスキルなの。表現に迷うんだけど、つまり、大も小もリサイクル出来るので、食事の心配をしなくていいんだ。印象は最悪だよね。でも、私は良いスキルだと思ってるの。いや、思うことにしている、という感じか」

「排泄物を食べられるんですか? あの、食べたんですか?」

 マイが驚いてダイレクトに訊いた。結構大声で。

「うん、食べた。味は悪くない……というか、かなり良いと思う。見た目もシンプル」

 緊張した面持ちで紗季さんが言った。

「うわぁ、凄い。羨ましい」

 マイが明るい声で言った。

「本当に?」

 紗季さんが目を見開いて言った。

「……わたしはあの、飢えたことが何度もあるんです。お腹が空いて、でも食べ物が無いのは本当につらいです。だから紗季さんのスキルが羨ましいです。本当です」

 マイが小声で、でもはっきりと言った。

「ありがとうマイさん……。あー、ほっとした」

 紗季さんが穏やかな表情になって言った。

「タクヤは食べたことがあるの? その、紗季さんの、それを」

 それを言うのか、マイさんよ。

「いや……無いです」

「じゃあちょっと食べてみたいよね? 美味しいんでしょう? 紗季さんは、いくらでもそれを作ることが出来るんですよね? 凄いなぁ」

 目をキラキラさせてマイが言った。なんだろう、この感じ。マイがベリーハードの住人であることを、目の当たりにした感じだ。そういえばこの人は、食べ物に関していつも貪欲だ。食べられるチャンスがある時は、絶対に逃してはならない、みたいなところがある。

「食べてみる? 実はストックがあるの」

 紗季さんが無表情でボソッとつぶやいた。

「ストックが、あるんですか……」

 俺は訊いた。

「うん、ストックしてる。スキルは最大限活用する必要があると思って、物資を蓄えてるの。もしかしたら災害の時とかにね、使えるかもしれないし。あ、そうだ、その……排泄物って言い方は嫌だから、私は物資って呼ぶことにしてるの。じゃあその物資のね、説明をもう少ししようかな」

 そう言って紗季さんが、物資の話をしてくれた。


 紗季さんの物資は長期間保存ができる。簡易的な包装で腐敗などの変化もなく、3ヶ月以上常温保存できている。固形物の方がそうだから、液体の方はもっと保存が効きそうである。

 固形の物資は頑張れば、だいたい一日で5キロ生産できる。どういう風に頑張るのかは、だいたい想像がつくけどもちろん質問はできない。物資5キロで恐らく10人ぐらいの人間の、一日の必要カロリーをまかなえるだろうということだ。さらに液体の方も一日で、30リットル以上は作れるだろう、ということだった。

 紗季さんは冷静な顔で淡々と話をした。なので俺も、表情を変えないように注意を払って話を聞いた。

「この世界に来て、すぐに固形物の物資を備蓄し始めたの。病院の空き室を一室借りて、そこに保存してる。たぶん今、500キロぐらいあるかな」

「すげえ……」

 俺はため息をついた。

「それとね? シズエさんの話で、ゴキブリから逃れるために撒き餌が有効だという話があったでしょう? 私の物資はそれに使えるかも。実験済み。小型のゴキブリに与えてみたけど、ものすごい食いつきだったよ。だから変異種にも有効かもしれない。なのでタクヤ君、よかったら持っていく? 物資を」

 いつのまにか紗季さんの耳が真っ赤になっていた。目も潤んでいる。恥ずかしいけど、無理をして話してくれているんだと思う。

「ゴキブリに対する実験までしたんですか。あの、俺のために?」

「うん。もしかしたらって思って試してみた」

 紗季さんが少し辛そうに笑った。

「ありがとうございます。物資は持っていきたいです。あの……紗季さんのスキル、俺はかっこいいと思います。みんなを救えるスキルですもん」

 俺は言った。横でマイも、うんうんと頷いている。

「ありがとう。私もポジティブに考えたい。でも、モノがモノだけにね。潔癖気味な私にこのスキルっていうのは、やっぱり罰なのかな。……罰だと思うよ」

 紗季さんがそう言って、大きく深呼吸した。目が赤い。俺は何か言いたい。

「あのー、俺、高校の成績は良くなかったし、普段の授業もまともに訊いてなかったんです。でも、古文の授業で古事記と日本書紀っていう、なんか大昔の神話の話をやってたんですよね。紗季さんは、もちろん知ってると思いますけど」

「うん、それは知ってるけど……」

 俺が突然語りだしたので、紗季さんが不思議そうな顔をしている。

「で、その神話の話なんですけど、食べ物の始まり、みたいなエピソードがあったんです。俺、高校で料理部だったんで、食い物の話には興味があって。なぜかその神様の名前まで覚えてるんだよな、『オオゲツヒメ』っていう女性の神様だった。それがすごい話で、オオゲツヒメがその、食べ物を尻とか口から取り出して、それをスサノオに食べさせて、スサノオがあとでそれを知って激怒するんです。不潔だって言って。それでオオゲツヒメが殺されちゃうんだけど、その死体からまた、コメとか麦とかが出てくるっていう。なんかその話を聞いて、俺、スゲー心が揺さぶられちゃって。これって人間が大昔に、コメとかを栽培し始めたことをダイレクトに説明する話じゃね? とか思って。神様である自然を人間が殺して、農業を始めましたってことだとしたら、これスゲー話なんだよ。それを興奮して先生に話したら、ムチャクチャ褒められたんだよね、着眼点がいいとか言われて。俺、国語で褒められたことなんてなかったから、それですごい覚えてて、日本書紀の方も読んだんだ。そしたら、そっちにも似たような話があるんだよ。神話ってスゲーな、って思った。それで……あれ? なんの話だっけ」

「オオゲツヒメ」

 紗季さんが微笑んで言った。

「そうそう、オオゲツヒメ。俺、紗季さんがまさにソレじゃん、ってスキルの話を聞いた時に思いました。しかもさ、それをみんなのために使おうって考えていて、ふつーに神様ですよ。俺、感動しました」

 一気にまくしたてて言った。しゃべりすぎた。やべー、引かれたかも。

「まさかタクヤ君に、学術的に褒められるとは思わなかった」

 紗季さんが可笑しそうにして言った。

「すみません……なんか調子に乗りました」

 急に恥ずかしくなって来た。

「ううん、普通に慰められるより、何倍も効果があったよ。ありがとう、タクヤ君。ちょっと泣きそうになるくらい嬉しい」

 紗季さんが本当に涙目になって言った。

「ねえ、それじゃあ紗季さん。私、物資食べてみたいです。飲むほうもね?」

 マイがいきなり、だいぶ空気を読まずに言った。俺と紗季さんは目を見合わせて笑った。これは俺らとマイの、ジェネレーションギャップと言うべきか。恐らく5世代とか、それ以上離れてるけどな。

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