第6話
スラム街と思われる付近にたどり着いた。金網やトタン、それとコンクリートでツギハギに作られた壁が街を取り囲んでいる。街の入口はどこにあるのかな。金網に沿って歩いていくしかないか。
30分くらい歩いて、ついに入り口のゲートのようなものが見えた。俺は恐る恐る近づいていく。入り口の付近に銃を持った男性が2人、門番のようにして立っている。様子を見ていたら通行人が1人、門番の前を素通りした。特にチェックはされていないようだ。俺も普通に入れるかもしれない。ここは勇気を振り絞って行ってみよう。街の外で夜を迎えたくない。
俺は無害で貧乏な若者です。ただの通りすがりです。やっとこさスラムにたどり着きました。という感じで控えめにゲートに近づく。門番の男性が俺の顔を見つめている。心臓がバクバクいっている。
「おい、とまれ」
門番の男性に呼び止められた。
「お前、流れ者か? どこの街から来た?」
「西の方から来ました。住み家がゴキブリに襲われて逃げてきました」
俺は疲れた表情をして言った。無意識に作り話をしてしまった。
「西ってどこだ?」
「高円寺の近くです」
「高円寺? まだ人が住んでたのか」
門番の人が呆れた顔で言った。そりゃそうかもね。1メートルのゴキブリがいるんだから。
「ずっと住んでいたわけではないんです。色んな所を転々としていて……」
嘘がスラスラと出てくる。
「持ち物は……特に無しか。ここに来た目的は?」
「疲れ果てていて……。少し街の中で休ませてもらえませんか」
「……行っていいぞ。物を盗んだりするなよ」
「有難うございます」
俺は軽く頭を下げて男性の前を通り過ぎた。捨て身で行けばなんとかなるもんだ。実際、この絶望感は演技でもなんでもないからな。
ゲートを過ぎて進むと、見渡すかぎりに街が広がっていた。粗末で小さな建物がびっしりと密集して立ち並んでいる。こういう風景をテレビで見た事がある。東南アジアとか南米の都市にある、貧しい地域のドキュメンタリー映像だ。それを見て、スラムで暮らすのは相当キツそうだな、と俺は他人事でぼんやり考えていた。だけど今は俺自身がスラムにいる。そのうえ俺には家も金も無い。……とにかく歩こう。
街の中心を目指してゆるやかな下り坂の道を歩く。比較的幅の広い道だ。道の両脇には年季の入った建物が並んでいる。脇道を覗くと、小さなプレハブ小屋が奥の方までずっと続いている。ボロボロの服を着た子供たちが楽しそうにサッカーをしている。目の前を果物の屋台を引く若者が通り過ぎた。家の前のベンチに腰掛けて、のどかに将棋を指しているお年寄りもいる。それを見て少しほっとした。街の治安はそれほど悪くはないように見える。
道路沿いに小さな雑貨店、というか売店があった。俺は金を持っていないけど参考までに品物を見てみたい。店の正面にカウンターがある。防犯の為か頑丈な金網越しに、店主のおじさんが暇そうにして座っている。こういうのもテレビで見たことがあるな。
「あの、すみません」
俺はカウンターに近づいて言った。
「何が必要だ?」
おじさんが無表情で言った。
「水はありますか?」
「もちろん」
「いくらですか?」
「400ミリで一番安い物が10円。ブランド物が30円」
「そうですか……。どうも」
俺はカウンターを離れた。10円はこの時代だと、どれくらいの価値なんだろう。しかし喉が渇いたな……。
坂をさらに下って小さな広場のようなところに出た。屋台がいくつもあって結構賑わっている。俺は広場の片隅の、誰もいないスペースに腰をおろした。うっはー、疲れた。足が棒だ。
目の前の小さな屋台でお客が2人、小さなテーブルに座って麺をすすっている。ウマそうだ……。屋台のカウンターに「20円」と書いてある。安い、と一瞬思ったけれど、俺の時代とは物価が違うんだよな。しかも俺は今、一文無し。
お客が金を払って立ち去った。その瞬間、小さな子供たちがどこからともなく現れて、テーブルの上に群がった。みんなでお椀に残ったスープを飲んでいる。争いながら回し飲みをしている。コップの水も飲んでいる。
屋台の店主が、大声をあげて子どもたちを追い払った。子どもたちは笑顔でキャーと騒いで、散らばって逃げて行った。店主が苦笑いをしながら食器を片付けている。特に怒っている様子では無い。今のがアリならば、俺もスープを頂けないだろうか。せめて水だけでも欲しい。
行くか? この際みっともないとか言ってられない。
その後、入れ替わり立ち代わり客が屋台にやって来た。だけどダメだ。スープを飲みに行く勇気が出ない。食事をしている人を見ていたら、今まで以上に腹が減ってきた。日が暮れて、だんだんあたりが暗くなってきた。
夕飯時になって屋台の客が増えてきている。子供たちも残りの汁を狙って集まっている。みんなタイミングが上手い。ほれぼれするほど手際が良い。店主は怒るけれど、徹底的に追い払うような事はしない。スープを貰うのは、そんなに悪いことじゃ無いのだ。どうせ捨ててしまう汁なんだからな……。
夜が更けてきた。屋台にはもうお客がほとんどこない。店主が店じまいを始めた。最後のお客が帰った。俺はふらりと立ち上がって屋台に近づく。
「あのすみません。このスープ、頂いてもいいですか?」
緊張して声が震えてしまった。
「ああ、いいよ」
店主のおじさんが小さく頷いて言った。
俺はお椀を手にとって残り汁を飲んだ。コップに残った水も飲む。久しぶりに物を口にいれたせいか、胃がギュッと締まるような感じになった。
「ほれ」
店主のおじさんが、スープのお椀に小さな肉団子をいくつか入れてくれた。
「ありがとうございます!」
俺は肉団子を口の中に詰め込む。噛みしめるたびに、塩気のある肉の味が体に染み渡っていく。安っぽいスカスカの肉団子だけど、涙が出るほど美味い。あっという間に食べ終えてしまった。そして俺はおじさんにお礼を言って屋台を離れた。腹が満たされて、だいぶ心が落ち着いたな。
広場の中心に小さな街灯がある。街灯を取り囲むようにして、たくさんの人が座ったり寝転んだりしている。子供と老人が多い。みんなホームレスかな。俺はそこから少し離れた所に座った。体はもちろんだけど、精神的にめちゃくちゃ疲れている。今日はこのまま、ここで寝てしまおう。こんな場所で野宿をするのは怖い。だけど他にどうしようもない。固い石畳に横になって、俺は目をつむった。
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