第7話

 次の日のお昼時。俺は子供たちに混じって、スープの盗み飲みに成功した。スープの中に少しだけ具が残っている時がある。情けないけど、それがすごくありがたい。ゆっくりと噛み締めて食べる。そういう事に一日を費やして、また夜になった。まだ全然腹が減っている。スープだけじゃ身がもたない。このままだと、体がだんだんと弱っていくだろう。


「ねえ、きみ?」

 声がした。俺は顔を上げた。身なりの良い女の人だ。歳は30代半ばくらいかな。

「どう? 私のウチに来ない?」

 女の人が微笑んで言った。

「え……。いいんですか」

 俺は呆然として答えた。

「どうする? 来る?」

「あ、はい! 有難うございます!」

 俺が答えると、お姉さんが上品に微笑んだ。……なんか色っぽい人だな。とか、そんな事を考えている場合じゃないだろ!

 お姉さんが首をかしげて、俺の顔をじっと見ている。俺は慌てて立ち上がった。腹が減っているから、一瞬フラッとして倒れそうになった。そんな俺を見て、お姉さんがまたちょっと笑った。そして振り返って歩き始めた。俺はその後ろをついて行く。これって……どういうことだろう。


 薄暗くて細いスラムの路地を、お姉さんの後ろについて数分歩いた。なんだかドキドキする。この街にしては大きめの建物の前で、お姉さんが振り返って俺の顔を一瞬見た。そして、建物の外階段を上りはじめた。俺も後ろに続く。

 最上階の3階まで登った。お姉さんが目の前のドアノブに手をかざすと、カチッと音がしてドアが自動で開いた。どうぞ、という感じでお姉さんが手招きをする。俺は軽く頭を下げて部屋の中に入った。

 うわ、明るい。オレンジ色のランプが部屋の中をゆったりと照らしている。すげー落ち着く。家って素晴らしいな。

 背後で鍵を閉める音がした。座って、と言われて俺は窓際にあるソファーに座った。ソファーが凄い柔らかくて感動する。


「シャワーを浴びる? それとも、先に何か食べる?」

 お姉さんが優しい声で言った。

「あ……食べ物を頂いてもいいですか? すみません、凄く腹が減っているんです」

 そう言うと、お姉さんがクスっと笑った。俺は急に恥ずかしくなって来た。

「たいしたものは無いけど、パンとチーズでいい?」

「あ、はい! 有難うございます!」

 お姉さんが頷いて部屋の奥へ歩いて行った。……優しい人だなぁ。ボランティアか宗教の人だろうか。

 俺は改めて部屋の中を見回す。シンプルで趣味の良い部屋だ。小さい木製の家具がバランス良く配置されている。窓際に木彫の猫がいて、窓の外をじっと眺めている。センスがいい。外の世界が酷いせいで、余計そう感じるのかもしれない。


 お姉さんが出してくれたパンとチーズを、飲み込むようにして食べた。そんな俺を見て、お姉さんはずっと笑顔でいる。ハズカシー。食欲を抑えられなかった。

 まだ食べる? とお姉さんが聞いてくれた。大丈夫です、有難うございます、と俺は言った。

「それじゃ、シャワーを浴びれば?」

 お姉さんが言った。

 俺は頭を下げてシャワールームに入った。シャワーの温かい水が、体の汚れを少しずつ溶かして行く。気持ちよすぎてめまいがしそうだ。体の隅々を石鹸で洗う。石鹸の泡が茶色になって、排水口へ流れていく。汚ねーなぁ、俺。どんだけ汚れていたんだよ……。

 心も体もスッキリして俺はシャワールームを出た。


「このTシャツあげるわ。お古だけどね」

 お姉さんが言った。

「あ、有難うございます。ほんとスミマセン」

 俺は清潔なTシャツを着た。ああ、めちゃくちゃ快適だ……。

 お姉さんがシャワールームに入った。俺はソファーにぐったりともたれかかった。快適すぎて猛烈に眠くなって来た。

 お姉さんがシャワールームから出てきた。やばい全裸だよ。すっごいナイスバディ……じゃないだろ! 俺は慌てて目を逸らす。裸を気にしない人もいるよね、欧米の人とか。ましてやここは、未来の日本だ。文化もだいぶ変わったんだろう。

 白くて滑らかなガウンを着て、お姉さんがタオルで髪を拭いている。セミロングで茶色の綺麗な髪。体格が良いし、ちょっとヨーロッパの血を感じる。そして、歳を重ねた美しさがある。……俺は何を考えているんだ。しかしこの状況は、男子高校生にとってあまりに刺激が強すぎる。

 お姉さんが髪を拭き終わった。拭き終わった髪を両手でスウッと背中の方に掻きあげた。動作がいちいち色っぽい。お姉さんがソファーに近づいてきて、俺の横に座った。そして俺の肩に自分の肩をぴったりとくっつけた。お姉さんの顔が近づいて来る。……キスをした。これ、俺のファーストキスだったけど。

 お姉さんが俺のTシャツの下を掴んで、ゆっくりと上に引き上げようとした。

「あの、え……あの」

「なぁに?」

 お姉さんがニッコリと微笑んだ。

「えーと、これはどういう……。どういうことでしょうか、これは」

 心臓が爆発しそうだ。

「え? 何が?」

 お姉さんの目がトロンとしている。

「僕はあの、なんかこういうのは慣れてなくて。いきなりこういうのは、あの」

「あれ? あなたそれ、本気で言ってる?」

「えーと、何が何やら……」

 俺が言った途端、お姉さんが吹き出して笑い始めた。お腹を押さえて苦しそうにしている。

「それじゃあなんで私について来たのよ」

 涙目になってお姉さんが訊いた。

「飯を食わせてもらえると思って……」

 お姉さんが爆笑した。笑いすぎてハァハァ言っている。さすがに俺もちょっと分かってきた。ご飯を食べさせるから一晩一緒に過ごしましょうとか、そういう事だったんだよなコレは。タダ飯っていう時点で気づくべきだった。恥ずかしい。

「ほんと、すみません」

 俺は恐縮して言った。

「なんかキミ、不思議な感じがするわね」

 お姉さんがまだ笑っている。

「あなた、地方から出てきたの?」

「……はい。この街は初めてです」

「そっか。私もね、少しオカシイとは思ったのよ。素朴に見えて、でもなにか洗練されている感じもして。道で暮らしている人間とは全く雰囲気が違った。だから声をかけたの」

「そうですか……」

 部屋の中がシーンとなった。お姉さんはにこやかな表情で、首をかしげて何か思いにふけっている。

「今日は泊まっていきなさい。そこのソファーで寝るといいわ」

 お姉さんが微笑んで言った。

「え、いいんですか? 俺……何も出来ない感じで……」

「やっぱりあなた、育ちがいい感じがする。元々はお金持ちの家の子だった、みたいな感じかしら」

 お姉さんが言った。ある意味当たっている。なんかこの人、凄いな。

「ねえ……あなた女性と寝たことはないの?」

「え! 無いです! 女性と付き合ったことすらないです」

 俺が焦って言ったら、お姉さんがブッと吹き出して笑った。

「なんだか冷めちゃったな。でも気にしないで。こんなに笑えたの久しぶり」

 俺は恐縮して頭を下げるのみである。

「私は少し仕事をしてから寝るから、あなたは先に寝て。夜中に襲ったりしないから安心して」

 お姉さんが可笑しそうに笑って言った。俺は頷いて、さっそくソファーに横になった。お姉さんが薄い毛布を出してきて、俺の体にそっとかけてくれた。そして片手で俺の頬を撫でた。

「あの、お名前を教えてもらえませんか」

 俺は言った。

「名前を聞いてどうするの?」

「あの、ただ知りたいと思っただけです」

 お姉さんが微笑んだ。

「サツキ。私の名前。あなたは?」

「山本拓矢(やまもとたくや)といいます」

「あら苗字があるのね。やっぱりワケありか……」

 お姉さん……サツキさんが少し驚いたような顔になった。

「ワケっていうか……その、なんというか」

「いいわよ説明しなくても。じゃあオヤスミ」

 お姉さんが俺の頬にもう一度キスをした。うう、ヤバイ。ドキドキする。しかし今は眠気が性欲をはるかに上回っている。

「おやすみなさい」

 俺はそう言って目をつむった。

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